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霞会館京都支所のこと

霞会館京都支所のあゆみ表紙

華族会館といえば、
戦前の華族の社交の場として知られていますが、
戦後、華族制度の廃止に伴い、

新たに旧華族の親睦団体として設立されたのが「霞会館」です。
元々華族会館の敷地であった霞が関(三井不動産所有)に、
戦後、初めての本格高層ビル「霞が関ビルディング」が建てられたのは今から
ちょうど50年前の1968年(昭和43年)。
36階建ての当時としては超高層建築でした。

そのビルの中に同会館があります。
10階、11階等さらに会員の結婚式やパーティなどに貸し出す収入などで賄われています。
その一部は障害者施設、老人施設、癌研究所など各社会福祉施設にも寄付されているとのこと。

で、きょうのお話は、
その本家・霞会館ではなく、
京都にもある「霞会館京都支所」のことについて少しばかり触れてみたいと思います。

上掲しました小さな小冊子は「霞会館・京都支所のあゆみ」。
平成二十二年に刊行された非売品です。

霞会館の支所が京都にあったこと、
今も存在していることは
意外とあまり知られていません。


この小冊子から、
その「あゆみ」の一部を紹介してみたいと思います。

京都支所の会員は主に京都・関西方面の元華族の方々。
よく知られた方には冷泉家もいます。
主に公家さんの会員が多いそうです。

明治維新で京の公家たちは天皇とともに東京へ住まうことになりました。
残ったのは冷泉家のような留守居役の一部でした。

その後、明治に入って数年、時代も安定してきたこともあって、
京都への帰還も許されるようになり、
結果、多いときで三十家を超えるまでになりました。

そこで京都においても華族たちの社交場、集会の場を設ける必要が生じ
「華族会館京都分館」として設立されました。明治7年のことです。
戦後の華族令廃止に伴い、呼称も「霞会館京都支所」として再出発した訳です。

当時の名簿からどんな公家さんが戻ったかというと、

順不同、

冷泉、持明院、豊岡、清岡、萩原、外山、藤井、油小路、石野、飛鳥井、藤谷、町尻、日野西、
五条、伏原、六条、梶野、久世、三室戸、小松、渋谷、堀川、高倉、広橋、西大路、舟橋、
大谷、大宮、金子、清閑寺、花山院、水瀬家等の公家の名がみえます。


あの、こんなこと言って失礼とは思いますが、
この名簿の方々は華族でいう子爵、男爵が多く、
基本、公家の場合は最低でも子爵、
また男爵だとしても分家の場合が多く、

どちらかというと、
五摂家の公爵家のような高位の方はみえません。
諸般の事情があったんでしょうね。
あの冷泉家は伯爵でした。

開設された場所は、
現在の今出川通烏丸の交差点の角にあたり今は同志社大学のキャンパスになっています。
門と塀の一部だけが残っています。
ここは昭和27年まで使用されました。

京都華族会館の建物
今出川通烏丸の交差点の角にあった旧華族会館。大きな建物は明治二十八年に増築された広間でしょうか?

(出典:「写真集 京の町並み」昭和47年 京を語る会が発行 編集・解説 田中泰彦)

その後、現在地の大黒屋町に移り平成三年にはモダンな現代風のビルに建て替わって
今になります。
大黒屋町に移った当時は、庭園をもつ和風二階住宅で、他に別棟一棟と土蔵があったそうです。
一時期は同志社女子大学の女子寮に貸した時期もあるとのこと。

霞会館京都支所
現在の「霞会館京都支所」

戦後の混乱期、
GHQ・アメリカ進駐軍が場所柄、ここの接収を命じられ、
昭和21年から27年にかけ、
実際の実務・集会場は、
近隣の大聖寺門跡を仮支所として借り、蔵する什器備品関係も同門跡と冷泉家に預けられたそうです。
霞会館京都支所大聖寺時代

会館の建物は、
外観こそ変わらずとも、
内部は、進駐軍の幹部将校の住居用、庭にジープのガレージを設置、大広間は食堂及び台所に改造等、
かなり変容していったそうです。

その当時の会館の建物ですが、
明治十二年、旧徳大寺家邸の土地と建物を使用、
戦後の27年までの約75年間、
その間には、
明治二十八年には広間を増築。
大正六年にはさらに改築され合わせて十一棟の大規模な分館となります。

東京の本館が鹿鳴館に代表されるように洋風だったのに比べ、
こちらは純和風、御所のような建物でした。

翌大正七年の竣工式の記念写真がありますので載せます。

霞会館京都支所竣工記念


それにしても大きな車寄せですね!


手書きの当時の敷地・建物配置図が残っていますのでアップしますね。

霞会館京都支敷地図


で、27年以降は土地・建物を同志社大学に売却・譲渡。
同志社ではとりあえず大学院棟「啓真館」としてそのまま建物を使用しましたが、
老朽化により昭和47年に解体され今は残っていません。
冒頭書いた門と塀だけが残りました。
もったいないというか、
修繕して残してほしかったですね。

ちなみに現在の同志社大学の敷地は
明治維新時は薩摩藩邸や二条家の屋敷でした。
当時の建物は何も残らず、
ただ、二条家の茶室だった寒梅軒が唯一残っています。

二条家遺構寒梅軒


平成三年には天皇、皇后両陛下も、
現在の会館支所を訪問されています。

同霞会館京都支所では、
現在でも様々な活動を行っているそうです。

雅楽の一つである御楽・絲竹会の活動。
皇居の桃花楽堂等での演奏もあるようです。

また上賀茂神社への奉納行事の一つ
蹴鞠も披露。
テレビなどでたまに見ますよね。
基本、この支所の方々が行っているんですよね。
見学する人たちも
まさかお公家さんの子孫の方が行っているとは思ってもいないでしょうね。
他にも日本画など様々な文化・伝統行事活動をされているそうです。

普段、同支所の存在じたいが
ひっそりと京都の町中で佇んでいますので、
どういう世界か、
多少わかるかと思い書いてみました。


九条邸の3D作りの方も続けています。
今しばらくお待ちを。



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