3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 >  ★時代別 >  平安-弘仁・貞観文化 794年⇒ >  平安京大極殿の基壇部を訂正しました。

平安京大極殿の基壇部を訂正しました。

先日、平安京の大極殿を3Dで再現してみましたが、
どうも平面基壇部の階段が正面南側には三基あったようですので
階段を一基から3基に訂正しました。

現在も、大極殿の正確な基壇の全容はわかっていませんが、
後白川天皇が編纂を命じた「年中行事絵巻」に描かれている大極殿、
そして、平安遷都千百年紀念祭にあわせて明治28(1895)年に刊行された
「平安通志」所載の朝堂院図にも3基の正面階段が描かれているので
今回、訂正しました。

大極殿基壇訂正
訂正した大極殿正面の3基の階段。訂正前は1基のみでした。





大極殿イメージ図48
平安通志に基づいた大極殿イメージ図


ちなみに、平城京の大極殿の基壇は発掘等で概要がわかっており、
現在、大極殿も復元されています。

でも、平城京の大極殿正面の階段は1基のみで
裏側というか北側が3基の階段で構成されています。

なぜ、平城京の大極殿正面の階段が1基で
平安京の方は3基なのか?
その理由はわかりません。

それと基壇寸法ですが
どちらも九間四面で、
正面左右の長さはどちらも約50mを越えています。

でも南北梁間(奥行き)は
平城京の方が約28m、

平城京大極殿基壇図
平城京大極殿基壇図(蘇る平安京 平安建都1200年記念 文化庁刊から引用)

一方、平安京の方は約20mと
平安京大極殿の方が短い、奥行きが狭いです。
平安京大極殿基壇図(平安京提要)
平安京大極殿基壇図(平安京提要 角川書店刊 より引用)


なぜ?
それも個人的にはわかりません。

なんとなく奥行きが狭いと倒れやすいというか、
台風など風水害に弱い気がしますが? どうでしょう。

ちなみに同じく平安京の重要施設、
豊楽院の正殿・豊楽殿も奥行きは狭いです。

羅城門も復元図を見ると狭い気がします。
事実、強風で倒れていますからね。

平安時代は、
平城よりも建築技術が退化した?

そんなことはない、と思いますが、ただ
確か前、平安時代の柱の方が細く、
瓦についても脆く耐久性がなかった、
と高名な宮大工の方が言っていた記憶があります。

菅原道真による遣唐使の廃止、
それに代わる国風文化の台頭、
大陸風な堅固でゴツい建物よりも、
華奢で繊細な平安建築へと好みが変わり、
一時的な技術の停滞があったかもしれません。

平安時代の建築遺構は意外と少ないです。

再び雄渾で強靭な建築は、
鎌倉時代の禅宗様が流入してからですからね。

まぁ、とにかく、
桁行(左右)が長いわりに、奥行きが短すぎる・・・・

ちょっとアンバランスでは?
と思った次第です。

<補足>

記事タイトルには基壇の訂正と書きましたが
実は階段部と欄干を南北に反転させただけで
訂正・・という程のものでもないのですが、

ただ、反転させてみて感じたのですが、
訂正後の基壇正面に階段が三基並ぶのは
何か大極殿の建屋とは合わない気がしました。
階段の方が強調され過ぎて建屋とのバランスが
欠けている風に見えたのです。(訂正前の大極殿と比較してみてください)

思うにその理由は建屋が重層(二層)だからでは?
と、ふと考えました。

もしかしたら、平安京提要に載っている基壇は、
単層構造の大極殿であったかもしれません。

それだと梁間(奥行き)の狭さも納得できます。
また、単層でも建ちが高ければそれなりの重厚感も出て、
基壇・階段との相性も、間口が左右に長く並行する形で、
座りも良いのでは?
と3Dであれこれイジりながら想像してみました。


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