3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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中国が親日だった頃

いきなり時事ニュースから入りますが、
28日、安倍総理とオバマ大統領の日米両首脳が合意した「日米共同ビジョン声明」のなかで、
「米国は日本を常任理事国に含む形で国連安全保障理事会が改革されることを期待する」との一文がありました。

この記事に自分はおっぉっと思いましたね。

米、しかも民主党大統領からこの言質を公式の場で得たことは日本の外交的成果だったと思います。
もちろん、中国が拒否権を発動、現実的には難しいと思いますが、
言質そのものが大事で日米両国が無言の圧力を中国に投げかけたものと推察します。

戦後70年、アメリカもようやく国連の敵国条項から日本を外す方向に舵をきり、
未来志向のより強固な日米同盟を目指すということでしょう。
勝てば官軍、負ければ賊軍、・・・戦後70年、もうそんな自縛からは脱皮するときです。

また、現実的にも一位を狙おうとする国家があれば、経済規模の一位と三位がタッグを組むのは
自然の道理ですよね。

今、日中間での問題になっている尖閣の領有権や歴史認識問題について、
中国は日本政府を一方的に非難しています。

しかし、鄧小平が主導した80年代の「改革開放政策」が行われたころは、
日本の中国侵略(と中国は言っている)について「一部の軍国主義者がやったこと、国民は逆に犠牲者だ」
との解釈で、日本との友好を優先しました。

鄧小平



これも、文化大革命で疲弊した国内の共産主義統制経済を
新しい市場経済体制である「改革開放政策」へと転換するためには、
日本の支援が必要不可欠との現実的判断があったからです。

当時、その友好ムードから中国では日本語の習得がにわかにブームとなり、
当時、500万人を越える中国の人が日本語を学んだといいます。

それが、ある程度経済が発展してくると、
中国国内の貧富の差、不満を外に向けるため、今度は反日政策・教育に転換しました。
まさに手のひら返しです。

そんな中国のまだ親日だったころ?
同中国を旅した時のことを書いてみたいと思います。

旅した時期は、
1989年のあの天安門の事件のほんの少し前、
個人での旅でした。

天安門



そのころ、改革開放が行われ、
それまでは団体で、かつ、決められた所だけに入国を許可されていた外国人が、
個人で旅行できるようになり、行き先も制限はありましたが、自分の自由意志で宿も決め
ることが出来るようになりました。

ただ、個人での陸路の入国ルートは香港から広州へ向かう電車が
唯一の窓口でした。

中国に入って最初の都市が広州、
駅前には職を求めて大勢の流民が野宿をしていました。
驚きましたねぇ。

広州駅前



駅前の食堂で食べた中華料理、滅茶苦茶まずかったです。
もう泥を食べている感じ。
このまずさは、その後の北京でも他でも同様でした。
お客様は神様みたいなサービス感覚はまるでなかったですね。

現在のレストランではだいぶ美味しくなってますね。
それでも黄砂のころは、北京の一レストランでも砂交じりでしたねぇ・・・

広州を後にして南岳衛山などの仏教聖地を訪ねました。


南岳



その折、たまたまローカルバスでの出来事、

若い女性が車酔いでにわかにゲロを吐いてしまいした。
それで、どうするか見ていると、
本人はなにもせずただ窓の外を涼しげに眺めているだけ。
バスは停車し、男どもがバケツに水を汲み、布巾で一生懸命ふき取っていました。
その間も娘は動じず涼しい顔、
掃除が終わるとバスは何事もなかったように走り出しました。
もちろん、女性本人からは何の感謝やお詫びの一言もありません。
男どもも何も言いません。

中国は共産主義で男女同権、女性も気が強い、とは聞いていましたが、
この光景を見たら、「それでもなぁ・・・」と呆気にとられましたね。

中国は赤茶けた大地が広がっていますが、
上海に近い江蘇省の杭州や蘇州などの都市は水と緑が豊富で、
古い町並みと合って美しかったですね。
杭州ではとくに美人が目立ちました。やはり美人には豊かな水が必要?


蘇州



で、蘇州の博物館での出来事、
見学していると、そこの幹部、館長らしき人が近づいてきて、
説明でもしてくるれのかなぁ?・・・と思っていると、
なんと美術品、壷の売り込みでした・・・
なにも博物館で売らなくても・・商店ではないんだから・・・
中国の人の稼ぐたくましさ?を感じましたね。

どうでもいいことですけど、
中国は以外とワイン多いんですね。
孔子を祭っている孔子廟の宿で飲んだワインは滅茶苦茶アルコール度が高かった。

北京では定番の紫禁城を観光しました。
当時は文化財まで修復する余裕がなかったのか、全体に彩色もあせて煌びやかな感じはなかったですね。
ただ壮大さには感動しました。

建築好きの私は、とある清朝の皇族の屋敷へ行こうと市内をさ迷っていました。
すると、オバサンが近寄ってきて、「どこへ行かれますか?」と、なんと日本語で話しかけてきました。
おかげで目的地にたどり着けましたが、
ごく普通のご婦人でも日本語が話せるのか・・・
日本語ブームは本当だったんだなぁ・・・と印象的でしたね。

清朝の離宮・頤和園も行きました。
そのスケールの大きさに驚きました。
ただ、歴史的には、あの西太后が軍事予算から横流しして建てたとのこと。
清朝滅亡の一因でした。

よく中国の建築史では、
北京の建築さえ見れば十分、
もう三国志の時代から中国建築のスタイルは完成されていて、
それがそのまま近代まで続く、大いなる停滞だ・・・とも言う学者もいます。

ちなみに当時、多くの民が着ていたのが人民服、
解放軍などサイズはフリーサイズ一つでカバー、
なるほど、街で見かけると、不自然に合わない市民や軍人みましたね。


人民服



これも共産主義の画一した側面で、
これは他のあらゆる文化も含めて、多様性がなく、文化的不毛を感じましたね。

北京から山西省へ、
ここには有名な仏教聖地・ 五台山があって是非行きたいところでした。
ここではタクシーを借り切って巡りました。
運ちゃんが何故かオナラ好き?で、
何度も屁をするので臭くてたまりませんでした。


五台山



ここ 五台山も文革のせいか寺院も建築・修繕中のものが多かったですね。
でも標高3000m、雲上の聖地は美しかったです。

同じ山西省には、完全な形でのこる城郭都市・平遥古城があってそこも行きました。
当時は観光化もされず、昔のシナの都市はこんな感じだったのか・・・と感激。


そして三国志の舞台・成都へ向かいました。

その電車での出来事、
夜行列車でコンパーメントでたまたま四川省の政府高官と同席しました。
筆談で会話し親しくなりましたが、
「お金いくらもっているのか?」と尋ねられ、約120万と応えました。
今思うと、気軽に所持金など言うことじゃないなぁ・・・と振り返ります。
相手が政府高官でよかったです。

で、驚いたのは、成都の駅へ着いたとき。
何台もの高級車が駅のホームにまで乗り付け、何事か?と見ると、
なんと、その政府高官をお出迎えするための車列だったのです?

なにこの豪華さ・・・・

共産国でよく言われる「赤い貴族」をまざまざ見る思いでした。

余禄ですが、やはり中国は人が多いですから、夜行列車とか乗ると最悪です。
人、人、人の波で、半座でこのまま朝を迎えるのか・・・と思うとウンザリでしたが、

どうにも我慢できず伝家の宝刀、車掌さんに持参した紹介状を見せました。
紹介状には重々しく日本国○○云々と書かれていたので、
車掌もわかったのか?、別の車両に案内してくれ助かりました。
案内された車両は、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かで空席も目立ちました。
ここはビップ専用?共産党幹部しか乗車できない?
いろいろ複雑な思いで揺られていたのを思い出します。

成都の駅前での出来事、
当時、外貨・外国人用の兌換券と一般国民の使う人民弊の二つの通貨がありました。
兌換券は需要が高かったので人民弊と変えると率が良い、
ということで、いわゆるチェンジマネーのお兄さんがたくさんいて声をかけられました。
で、交換した人民弊でタクシーに乗り料金を人民弊で払おうとしたら、
運転手が拒否、外国人だから兌換券で払え・・・といってくる。

折り合いはなかなかつかず、
近くにあった警察署で「そこでケリをつけよう」ということで中に入りました。

すると中庭の木に犯罪者か容疑者?が何と!両手首を縛られ木に吊りさらされていました!
おいおい戦国時代でもあるまいし、これはないだろう?
と、急にゾッとしてきて、
意地を張るだけ損、即決、兌換券で払い逃げるように出て行きました。

現在の中国の警察署はどうなんだろう?
人権とかあるのかなぁ・・・心配にもなってきます。

また、ホテルには当時から売春婦がいましたね。
共産国では不可、犯罪なのですが、
そこは賄賂?当たり前に営業してました。

そんな華人世界を抜け、
雲南省へ入りました。

省都・昆明からさらに奥地の大理に至ると、
そこはいろんな少数民族が住んでいて、
いささか華人世界に疲れていた自分にはホっとできる街でした。

ここからさらに奥へ行くと、
今は世界遺産となっている麗江古城があります。
当時、ここはバックパッカーたちのたまり場になっていて、
また中国内でも一番ビザの延長がし易いところでした。


麗江


ここ麗江は、藍染の産地でもあり、鮮やかで安くデザインもよく
日本に輸入したら商売になるかも?と思いましたけど、
後に日本のデパートで見つけ、思うことは一緒だなぁ・・・感じましたね。

麗江からさらに奥の白沙村。
ここには有名な麗江壁画が幾つかの寺院に描かれていて興味深く鑑賞しました。


白沙壁画




麗江一帯はナシ族の住む地域で、
珍しい図画の象形文字である「トンパ文字」が伝わっていて文化的にも優れた地域です。

ここからは5000mを越える玉龍雪山が聳え立っていて、
その独立峰はとても美しく、麗江の自然を代表する景観です。


玉龍雪山



雲南省、分けても麗江の一帯はとても落ち着ける街で、
あの中国世界の人混み、喧騒とはまったく無縁の世界、
少数民族の天地です。

中国を旅して一番気に入った所でした。

以上、ざっとサラリ書きしました。

後は香港にもどるだけでした。




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2016年12月7日更新

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