3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。随筆、短歌も詠みます。

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金閣北山第宸殿or室町時代内裏紫宸殿を造りました。

先回、金閣北山第の3D宸殿屋根を作りましたが今回、建物全体の外観が出来ました。

まずは、その全体画像から(各写真をクリックすると拡大します)、
金閣北山第宸殿正面

正面からの3Dです。
モデルにした仁和寺金堂の屋根を本来の桧皮葺にしました。
また、同金堂の蔀戸と同じ漆黒に金細工を施した華麗な姿にしました。

これが創建当時の蔀戸か寺院本堂になってから後の変更か、それはわかりません。



その本来の仁和寺金堂の写真です。
仁和寺金堂正面12

まぁ、似てますよね。笑

前記事でも書きましたが、
同金堂は慶長18年(1613年)に建立された土御門内裏(現在の京都御所)正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)に移建改築したもので、近世の紫宸殿を唯一残す遺構としてとても重要。
しかも室町時代の遺風をよく伝え、今回とても参考になりました。

室町時代の内裏は方一町、100m四方の御所敷地に建てられ将軍邸に比べても狭いものでした。
そこに7間5間の大きさの紫宸殿が建てられていました。

ちなみに室町時代の御所を描いた洛中洛外図から一枚、
室町時代の内裏

何とわなしに仁和寺金堂に似ていると思います。

紫宸殿といえば内裏の中心であり公の朝議や儀式を行う建物でした。
従って、その間取りは仕切りも少なく広い空間でした。
京都御所紫宸殿間取り
(三好和義 京都御所・朝日新聞出版刊)から引用。



それに比べ今回の北山第の宸殿は、下記のように、
北山第御所寝殿間取り

幾つもの部屋に分かれていました。

この間取り図は建築史学の伊藤延男先生が描かれたもので、当時、菊亭右府という公家が金閣・北山第を
訪れた際の日記「教言卿記』等の資料に基づいて推測作成されたものです。

一部、間取りの復元については建具の位置とか、史家の間でも、
考えの相違があるみたいですが、
今回は同伊藤先生の図をもとに外観を作りました。

また記事のタイトルについても、
金閣北山第宸殿or室町時代内裏紫宸殿を造りました」としましたが、
これも、本来の間取りからすると、この北山第の宸殿は、紫宸殿というよりも、
壁、あるいは杉戸、襖、障子などで小さく区切られ、一つ屋根で晴れの儀式を行う場と住空間が一体
になった所謂「主殿造り」で、後の書院造りの走りです。
平安貴族の寝殿が、いわば「ワンルーム」型であるのと大きな違いです。

ということで、外観は室町時代の紫宸殿、
内部空間は主殿風と、
両面からみた宸殿にしました。

応永十五年(一四〇八)三月八日、義満は後小松天皇の行幸を
北山殿に仰ぎましたが、そのとき、宸殿も新たに立て替えたといわれてます。
そのとき、より天皇の権威に相応しい本来の紫宸殿に作り変えたかもしれません。

以上の事を踏まえ自分なりに作りました。


では次に北側から見た宸殿、
金閣北山第宸殿北面

正面が平安風の蔀戸なのに比べ、
北側は全面、鑓戸(木板に桟を組んだ今でいう引き戸)です。

この鑓戸の導入が寝殿造りから書院造りに変わる、一つのキーポイントになった建具で、
北山第宸殿も、その両方を持ち合わせた折衷型、過渡期の建物でした。
ちなみに寝殿作りに欠かせない丸柱は、引き戸には合いません。
素人的には角柱よりも丸柱の方が優雅に見えるのですが、
実は角柱の方が工作的には難しいそうです。
柱が角になり引き戸が生まれたのも、室町時代の大工工具の進化があったからこそ、とのこと。
室町時代は米作、農耕技術も発展した時代です。
地味なようで、床の間や棚などの座敷飾りは今も和室の基本ですし、意外と重要な時代ですね。

さて、次に北側からのアップ
金閣北山第宸殿北面鑓戸
現在の京都御所でみられる朱色の漆金具がいかにも御所風で風雅です。




正面からのアップも、
金閣北山第宸殿向拝アップ&唐戸

階段、向拝と四折の唐戸です。
これも寺院に改装されて以降の作事か?わかりません。
実際に金堂の扉は見てませんが・・・
また階段は寝殿造り以来、五段と決まっており高さは1.5mほど。
この1.5mの床上に上れるかどうかが公家の分かれ目なんですね。


北東にあたる角は壁や建具のない吹きさらしの開放的な広縁でした。
ここで何をしていたのでしよう。夏の納涼にはいいけど、冬は寒いだろうなあ・・・。

また大和絵をあしらった襖障子は現在の御所・清涼殿の北廂にある「更衣」という
襖絵を建ててみました。
金閣北山第宸殿開放部アップ

次に形ばかり東西から、

西妻側は、蔀戸と鑓戸が混在しています。
鑓戸は漆黒に塗ってみました。
金閣北山第宸殿西妻側


開放部のある東側から、

金閣北山第宸殿東妻側


と、その西側アップ、
金閣北山第宸殿西側鑓戸


東側も、
清涼殿北庇更衣の襖障子
バルコニー?も見えます。

後、細部ですが、
室町時代の紫宸殿と現在のとが大きく違う要素が幾つかありますが、
その一つ、屋根と柱を支える軒下の組物の大きさの違い、

現在の紫宸殿の組物、
紫宸殿組物
幾層にも屋根を支える肘木が重なっていて、とても重厚感があります。まるで禅宗様の寺院のようです。



一方、室町の紫宸殿、仁和寺金堂を見ると、
仁和寺金堂軒下アップ
三段の垂木の上は地味で平板な舟肘木一つです。
これ一つみても、規模の違いといい
時代の変遷がうかがえます。

よく二条城の豪華な二の丸御殿に比べ京都御所は地味と言われますが、
とんでもない!
造営当時、最高品質の桧と大工の腕を注ぎ込んだ言わば魂の作品です。
あの桧の年月を経た風合いを、自分はいまだ、どこでも見たことはありません。

素の素晴らしさです。

では最後に斜めからのショット、
金閣北山第宸殿南西側


次回は金閣と二階廊で結ばれた会所・天鏡閣にチャレンジしてみます。


以上、お粗末さまでした。


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