3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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相国寺七重大塔を作り直してみました。

これもブログ初期ですが、今、改めて最初に作った相国寺七重大をみて見ると、もう下手くそで見るに耐えないです。
そう見えるということは、自分なりに目が肥え少しづつ上達しているのかなぁ、と自分なりに思う次第です。

当ブログは基本、京都の失われた建築群を3Dで作成し掲載するのが趣旨ですが、
なかなか簡単なことではなく、今後も5年、10年と時間をかけて作っていこうと思っています。

本来ならブログというよりもホームページ向きだと思いますが、やはりブログは刺激あっていいですね。

さて、その相国寺七重大再築のことですが、
その前に日本の代表的な仏の歴史と概要を書いてみたいと思います。

まず、けっこう時間をかけて作った「仏比較図」の掲載から入っていきます。 (クリックすると何れも拡大します)

仏塔比較図


左から順に高くなっています。
こうして立面図で見ると、メートル表記よりも、その規模の大小の違いが実感できますね。

現代建築でも15mを超えると結構高く見えますし、法隆寺の31mだって十分な高さがあります。

でもこの違い!

左端と右端では大人と稚児さんの、そのまた上をいく違いさですね。

この「仏比較図」を見比べるだけで、それなりに各塔の特徴がわかるというものですが、
その「仏塔比較図」にそんなコメントを載せてしまったので、。。。もう書くことがありません。。。笑


でも、まぁ、幾つか漏れてはいますので補記しますね。

ちなみに今回は濱島正士さんの「日本仏塔集成」、国立歴史民俗博物館刊行の「高さを求めた昔の日本人」などの書籍から引用させて頂きました。

日本で最初に建てられたことが明らかな塔は蘇我馬子が造営した法興寺(あすかでら飛鳥寺)の塔で、五九六年(推古元年)年に竣工しています。同じころ聖徳太子も四天王寺に五重塔を造立されています。

そのほかにも奈良時代の大安寺東西両塔、各地の国分寺塔、飛鳥の百済大寺九重塔が高さ82m、
おなじく九重塔であり大安寺の前身であった大官大寺の塔は90mを越えていたと推測されています。

東大寺の七重塔も90mを越えていたといわれています。

その中でも相国寺七重大塔は109mと日本史上、一番の高さがありました。
ただ、その高さも文献上から類推したもので確たる証拠はありません。

一方、中国に目を向けると、
現存木塔では唯一の仏宮寺釈迦塔(一〇五六年)が八角五重で高さ六七メートルといい、
日本の東寺よりも高いですね。

で、中国にはさらに高い塔が存在したといいます。
北魏の洛陽に建てられた永寧寺九重塔で、最近の発掘調査等によると相輪だけでも三〇メートル以上あって全高では一六〇メートルを超えていたとさえ言われています。ただ、完成後わずか一八年後に雷火で焼失してしまいました。

とにかく日本、中国、韓国とも古代では七重、九重と巨大な塔が建てられたのですね。

元々、仏塔はお釈迦様さまの遺骨、位牌を納めた仏舎利塔のことですが、原則、床が張られたのは一階のみでした。
なぜなら二階に張ったらお釈迦様を土足で踏むことになるからです。

で、律儀な日本人はその教えを守り近代まで階上に上れる塔はわずかでした。

さて、本題の相国寺七重大塔ですが、 さらっと来歴について記します。

応永6年(1399)、三代将軍足利義満によって建立されました。

当初の塔は雷火によってわずか四年後炎上してしまいました。
その後も再建されたようですが1416年再び雷火に焼け、京都に聳え立っていたのは都合20年ほどの短い期間でした。

一説には応仁の乱を奇跡的に免がれ、文明二年(1470)3度目の火災で京の都から完全に消えたとも。

また、当時の都を鳥瞰した「洛中洛外図屏風」町田本(重文)は、この七重塔からの眺望をもとにして描かれたとも言われています。


そして存在した跡地を探してみます。

塔之段 


京都御所北東、ピンクで囲んだ塔之段町がその跡です。地名にも残っているんですね。

自分の作った同相国寺七重塔と御所のラインを改めてみてみます。
京都御所と相国寺七重大塔 

明らかに御所の北東、鬼門の方角。
なんというか、現代でさえも鬼門上には玄関を作らない、どうしても。。。なら南天を植える、というほど風水で恐れられているのに、
その鬼門ライン、さらに御所と眼と鼻の先に109mもの高い塔を建てるとは一言、

                       「けしからん!!」


そんなところに建てるから、後小松天皇の北山第行幸のわずか一ヶ月ほどに急死したんだ!
と言ってみたくなります。

後円融上皇など、義満と折り合いが悪く、同上皇の愛妾に手をかけるなどやりたい放題、しまいには上皇さまは自殺未遂さえはかられたと伝わります。

まぁ、それはともかくとして、今回、とんでもない位置に建てたもんだ。。。といことかな。

塔自体のことですが、記載された文献もほとんどなく、どのような形、構造をしていたのか?わかりません。

ですから今回、かなり自分の想像が入っています。

想像さえもできないレベルです。

でも何かしら参考に作らなければならず、
とりあえず、東大寺の七重塔から入っていきました。

同東大寺の塔跡の発掘調査によれば、
初層の方形一辺(三間)の長さが約15.5mほどということがわかりました。

では高さは?形は? なんですが、

これには現在二案があります。

一つは明治に天沼俊一氏が出された案、高さは90m以上です。今も大仏殿のなかに模型がありますから見られた方も多いと思います。

ですがその後の研究、検証等により、
新たに箱崎和久氏から高さ70mの新案が出されました。

果たしてどちらが実物に近いか?

「仏塔比較図」にも載っていますのでごらんになってください。

自分的には天沼俊一氏の案の塔は、軒や反りも深い近世の塔に似た形には違和感を感じ、箱崎和久氏に一票ですね。

そこで自分的には、相国寺七重塔の基本ベースは箱崎和久氏案の七重塔に、同じ室町期の興福寺五重塔の近世的な外観をプラスしました。

自分は構造的なことはまったくわかりませんが、実際に3Dで作ってみると、
東大寺の初層の方形一辺(三間)の長さ15mで、高さを109に作ってみるとスタイルが良すぎるというか、
はっきりいってアンバランスなほど細いです。

で自分なりにバランスを考え一階一辺長さを18mにしました。現存で一番高い東寺塔の倍の長さ、間数にすると、
五間の柱間にしました。

また、「仏塔比較図」にもコメントしましたが、
外観は朱塗りにしました。相国寺は禅宗伽藍ですから基本、塔はなく、柱等白木のままです。
けど、義満があえて建てた塔ですから宗教というよりも自分の権力、権威を誇示するための面も
あったと思いますので朱塗りにしました。

神仏混合の当時、神社にも塔は建てられましたから、余計、そうかもです。

で、自分なりに完成した再築の相国寺塔を、
これも新たに新装した京都盆地の3D地形の該当する位置に置きました。
縮尺は実寸法です。

そうそう高さを測る目安に義満公に馬上にて立っていただきました。

馬上のゆうゆうたるお姿は、実は京都-時代祭に参加された方です。考証した当時の井手達ですから。
それなりに室町の人物像が浮かんでくると思います。


まず南から見た全体像、
南から見上げる相国寺七重塔

高すぎて画面に入れると小さくなってしまいます。


次に時代祭の義満公を紹介します。どのような方かわかりませんが、堂々とした恰幅のよい方ですね、
義満アップ

馬上ですから座高高さは2mを越えると思います。
また背景は塔の基壇部分、それなりに大きいですね。


次は初層を背景にした義満公、
普通の塔よりも柱間が五間と長く、義満公と較べてみて、それなりに規模の目安がわかると思います。

義満初層前 


そして、塔全体を前にした義満公、
わかりますか?米粒ほどなのでピンクで囲っておきました。
義満全景前 


例によって大内裏の白線が入ります。
いつかこの仮想空間に大内裏の威容を表現してみたいものです。
相国寺七重塔と大内裏 


京都盆地と相国寺塔の風景です。なにも言うことはありません。
北から見た相国寺塔と義満 

最後に3Dで製作してみての感想ですが、
やっぱり五重塔が一番風景に馴染んで絵になる感じですね。
日本にはなぜ方形の五重塔が多いのか?

七重塔以上にするならば八角塔が相応しいと思います。
方形で七重は異型建築、宗教の枠を越える感じです。
バランス的にも七重は不安定ですよ。

建築の発達史から見れば、
古代の塔が軒の出が浅く、屋根も角ばり下半身が大きいのも、それだけ近世ほどには
木造軸組工法が発達していなかったからです。

ですから近世でも七重塔を立てる技術は充分あったと思います。

諸説によれば仏教は奇数を好むからとか、
五重塔にこだわるのは、中国の陰陽五行説に基づく風水説などありますが
確たるものはありません。

日本の近世城郭の天守閣なども、内部は七階だけど外観は五層とかがほとんどです。

古代草創期の七重、九重にかける情熱と、
近世の高さに拘らず、美しさに相応しい階層がたまたま五重塔だった。。。

その違いかもしれません。


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相国寺七重の塔は、義満が天皇家に権勢を見せつけるために造られたという説があります。ただ、御所の鬼門の方角にあったというのは初めて知りました
  •  
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  • 2015年10月24日 10時30分 
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