3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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日本の楼閣の起源はいつだろう?

今回、金閣・北山第の3D再現(宇治上神社から金閣に飛んでしまってすみません。ムラキなもんで・・・)をしようと思って関連本・資料など読み漁っているうち、金閣に代表される日本の楼閣建築の起源・流れはどうだったんだろう?、

という興味がフツフツと湧いてきて、上記、タイトル「日本の楼閣の起源はいつだろう?」となった次第です。

ところで、まったく関係ないのですが、
先ほど、金閣関連の本云々と書きましたが、書斎(っぽい?)の本棚から何冊か関連本を探し、
調べているうち、「そうだよなぁ・・・もう一冊、以前買った覚えのある本あったよなぁ?・・・」と、
ぼんやり首をひねり、それから数日後、本棚を何気なく見ると、
本の背表紙がほとんど判読不明な一冊が見つかりました。

手に取ると、そう、それは以前買った淡交社刊行の「金閣と銀閣」でした。昭和39年刊行の古本です。
指折り数えると50年近く前の本ですね。

妙なもんで、見つけた時すごく嬉しかったですよ。

で、一首、
    背表紙の 褪せて読めない 古本の 忘れたころに 棚に見つけり


まったくのタイトルに関係ない自己満足短歌ですみません。

でも、こんな何気ない日常に、ささやかな発見は、しみじみと来るものがあります。

さてさて、本題に入りますが、

今回、主に参考にさせていただいた書籍は、

「日本建築の特質 日本建築史論集 太田博太郎著 岩波書店刊」、
「町家の茶室、中村利則著 淡交社刊」、
の二冊です。

ほとんど、丸ごと引用に近いです^-^。

ちなみに、本の表題だけで内容を判断してはいけない、と改めて思ったのは、中村利則先生の町家の茶室。
主に茶室についての著述かなぁ、と思ったらさにあらず。
それこそ、鎌倉・室町の仏閣から会所・書院造、御所・別荘、
そして近世の数奇屋造りから町屋、農家、城下町、蔵、さらに、
それらに付随する間取り・指図復元図・建築寸法などなど、もう、日本の建築史をあらかた網羅してます。

きっと、先生の溢れる知識と情熱がそうさせたのでしょうが、
逆に本の題名、もう、ちょっと考えてみたら良かったのに・・・、

たとえば「茶室から見えてくる日本建築」なんてね。勝手な主観ですみません。

金閣そして銀閣を見られた方は多いと思いますが、
その室町時代、両閣以外にも苔寺で有名な西芳寺の舎利殿や足利将軍の花の御所にも二階建の観音殿がありました。

銀閣
(銀閣寺)

とくに西芳寺の舎利殿は、当時、その後の金閣・銀閣のお手本となった建築で、
管理人もたしか、その舎利殿の復元図を持っていたはずでしたが、みつかりません。
形的には銀閣そっくりです。まあ、銀閣が真似たんですね。 (クリックすると拡大します)

西芳寺創建時想像図
(西芳寺創建時想像図:日本庭園の植栽史 飛田範夫著)

西芳寺は鎌倉時代末から室町時代初期にかけての禅僧で作庭の名手としても有名な夢窓疎石が開祖の寺ですが、
その寺内には禅宗伽藍の特徴の一つとして、庭に楼閣や橋廊を建て、
庭から望む頂(丘)には眺望を楽しむ亭閣が建てられました。
今みる西芳寺とは、かなり違った様相でした。 (クリックすると拡大します)

細川殿廊下橋
(細川殿廊下橋:上杉本・洛中洛外図)

実例として、
永保寺庭園無際橋
(永保寺庭園無際橋)

そういったことから、室町時代だといくつかの楼閣建築の例が挙げられますが、
もう少し前の時代になると、意外にその例は少ないです。

「いや、そんなことはない!法隆寺や薬師寺の塔、東大寺を初めとして各国の国分寺にも七重塔が建てられているし、宮殿で見ても、平安宮には白虎・蒼竜両楼がそびえ、正面の応天門も二重の楼門だった」と、
思われる方も多いかと思いますが、
太田博太郎、中村利則先生によれば、

たしかに、重層の楼閣はあったけれども、

階に階を重ね、ともに用に機能する二階建があらわれてくるのは比較的新しく、
「記紀」などに見られる、眺望を目的とした「たかどの高殿」や、
高さ上古三十二丈、中古十六丈といわれる出雲大社本殿も、高層建築ではありましたが、
ただユカを高く張っただけの単階の機能しかもっていませんでした。

唐古・鍵遺跡の望楼
(唐古・鍵遺跡の望楼)

また法隆寺金堂、五重塔といった堂塔でも、屋根を重層にし、
各層に廻縁および手摺をつけていて一見重層にも見受けられますが、

それとても上層へ人が登り、眺望を楽しむものではなく、ましてやユカを張り詰めたものさえ少なく、
居住を目的としたものでもありませんでした。

それらは外観上の造形的配慮、いわば建物に縁飾りを付したものでした。

一部、
平安時代の鳥羽離宮の南殿に二階上層に四仏をすえた二階仏堂、や二階建ての釣殿など、例外もありますが、
一般化しだすのは、金閣や銀閣に象徴されるように、鎌倉・室町時代になってからです。

日本の重層建築が下から見上げるものだったのに比べ、
中国の楼閣は上から下を見下ろすものでした。

たとえば八世紀にできた有名な長安の慈恩寺大雁塔なども、
階段を上って眺望を楽しむこともできましたし、
洞庭湖に望むの有名な岳陽楼(三重)も眼下に広大な湖を望む亭閣でした。

岳陽楼
(岳陽楼)

このように中国は古来から階上に上ることを前提にした楼閣が数多く建てられました。

では、なぜ日本では階上に上って見下ろす建物が稀少だったか?

そのへんについて、太田博太郎先生は、
「高い所に登って、遠くを眺めたいという願望は、どこの国でも同じだったばずである。
しかし、日本では平野といっても、そう広くはない。少し山を登っただけでも、十分全体を望むことができる。
京都で清水寺や修学院離宮に行けば、このことはすぐ分る。

これに対して、中国は全くの千里の大平原である。近くの山に登ってというわけにはゆかない。
しかし、一度高楼に登れば、それこそ干里の眺めが見渡せる。両国における楼閣建築の発達の差は、
こうした地形的環境によって起こったのだろう」。
と言われています。

果たして、どうなんでしょう?

ちなみに、中国の最古の木造建築は西暦七八一年頃までしか遡りませんが、
その代わり、陶で造られた「せん塔」は今日でも多く残っています。
建材の影響もあったかもです。

その一方で、
では、日本で鎌倉末から室町時代にかけ金閣のように庭を二階、三階上から眺める楼閣が出現したのは何故でしょう? という疑問も湧きます。


それについては、13世紀(鎌倉時代)に伝えられたとされている禅宗及び禅宗伽藍建築の影響が大きいといわれています。

禅宗建築(伽藍)には、奈良の南都六宗や天台・真言二宗には見られない、
観音や十六羅漢などと言った仏像群を安置する二階重層の仏間空間が造られました。
禅宗の伽藍用語でいう「三門」などを指しますが、一階と同じように造られた内陣空間で、
これが禅宗三門の決まりでした。

東福寺三門
(東福寺三門)

禅宗伽藍の先駆けともいえる鎌倉の建長寺は、
鎌倉幕府5代執権北条時頼によって建長5年(1253年)に創建されましたが、
今に残る「建長寺指図」には、二階床敷に仏像を置いた三門や二階千仏閣と書かれた法堂にも二階に千仏を安置したという記述があります。

伝衣閣
(東福寺伝衣閣)

また、同様に同指図には、僧侶が住持する方丈のところに「得月楼、二階」と記され、
後にはこの東に逢春閣という二階楼も建てられ、仏堂以外の住宅・楼閣へも二階楼が広がり、
それが西芳寺へ、そして金閣・銀閣へと繋がる過程が仄見えた感じです。 (クリックすると拡大します)
建長寺二階楼
(建長寺二階楼:中村利則著・町家の茶室より引用)


禅宗でいう七堂伽藍とは、三門、仏殿、法堂、庫裏、僧堂、浴室、 東司等が挙げられ、
三門・仏殿・法堂が一直線に配置されます。

禅宗の伝わる以前は、伽藍の中に舎利塔(釈迦の遺骨をさし、塔に納めて供養する仏舎利)が含まれましたが、
禅宗伽藍では塔が建てられることは少なく、あっても中心伽藍からは外れた位置に建てられました。

管理人の考えとしては、
禅宗寺院では塔の代わりに重層(裳越含)の舎利殿が建てられ、
それが従来の上階層の床を伴わない仏塔から二階床空間をもった殿閣への過渡的役割も果たしたのでは?
とも想像します。

最後の締めではありませんが、
今日の京都を俯瞰しますと、
広壮な寺院はその多くが京都五山等にみられる禅宗寺院です。

禅宗建築の特徴として柱や壁などは丹塗り(朱塗り)せず白木のままです。
確かに白木の寺院は武家好みで質実剛健というか地味で渋く、けっして華やかとは言えないものがあると思います。

なのに京都が雅な風を失わず残しているのは、

一つに、禅寺等に下賜・移築されたものも含めた御所群の存在、寛永期建築に代表される王朝文化への憧れと復興。
そして多くの親王、内親王が独身のまま住まいとなった門跡(尼)寺院の存在、
さらに、それらを包み込む四季の緑。

それらの存在があったからこそ、今日の多彩で雅な空間を残したのではと思います。

今でも回廊も含めて残る禅宗伽藍(万福寺等)を見学すると、
以前、中国の山西省五台山で感じた、舌に砂塵の絡むような感覚、
そして乾いた気持ちを思い出すと、

日本で後世になるほど回廊を伴った寺院が減り、逆に回廊の代わりに緑の縁取りが取り巻いていったのは、
やはり、そこは日本なんだなぁ・・・と思い起こすのでした。


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