3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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二条城本丸御殿の車寄せ(玄関)を作ってみました。

今、塀フェチに凝っています。あれこれ、20塀ほど作ったかな?
というのも、昔のお屋敷にとって塀はいろんな意味で欠かせない建築パーツでしたからね。身分の上下から、公家、武士、町屋、庄屋と、それらの階級に従って様々な塀が作られました。
日本建築にとって屋敷を取り巻く塀はステータスとともに低い家並に一定のアウトラインを引く水平志向の美しさがあります。同じ塀といってもコンクリートブロックだとガックリですけど。

という訳で、どんなお屋敷にも対応できるよう塀の数々を作った訳です。
さすがに、これら塀を全部ブログに載せるのも? なので自分のフォルダにしまっておきます^-^。

さて、今回は明治まで京都御苑にあった旧桂宮の御殿(主要部)を移した二条城本丸御殿の玄関・車寄せを作ってみました。

日本建築(昔)の玄関には大雑把に言って4~5タイプの基本形に分かれます。その玄関をタイプ別に作っておいて、今後の3D製作に上手く転用しよう? と密かに思っていて、今回、その一環として唐波風の同二条城本丸御殿の玄関を作ってみたわけです。

この本丸御殿玄関は元々桂宮時代には牛車が玄関にそのまま横付けできるよう正面間口約10m、奥行きは10mを越える大きな車寄せで、これが明治になると、さらに馬車が入れるよう左右の壁が取り払われました。

実際、現地で見るとその大きさに圧倒されますね。

さっそく、3D作品の紹介・・・・、
という前に、せっかくですから本丸御殿に関わることや幕末の二条城にも少し触れておきたいと思います。

ここに一枚の指図があります。
幕末の幻の二条城二の丸及び本丸御殿指図
(幕末の二条城二の丸及び本丸御殿の計画指図・二条城御殿修理報告書から引用)

幕末、文久三年(1863年)に、将軍・家茂が慶喜とともに上洛、二条城へ宿泊しました。このとき家茂は現在の二の丸御殿、慶喜が本丸御殿の分かれて泊まりました。

この指図でみると、本丸には御殿の記載があります。従来ですと、本丸には天明の大火で焼失後、再建されることはなかった、と、言われていますが、同指図で見る限り幕末には御殿があったということになります。

実際に、慶喜の孫である徳川慶光が所蔵していた二条城の古写真のなかに幕末に撮ったと思われる本丸の御殿があります。
幕末の二条城本丸仮御殿
(幕末の二条城本丸仮御殿?)
 
写真を見ると、確かに一部二階建ての数奇屋風の平屋の御殿が映っています。後ろ側には勤番の武士たちの長屋が面って並んでいます。将軍家の御殿にしては少々地味です。慶喜の好みもあったかもしれませんが、どう見ても仮の御殿に見えます。

ここまで、及びこの写真だったら歴史好きなひとだったら一度はみているかもしれません。

そこで改めて、指図を見てみると本丸よりも、家茂の滞在した二の丸御殿の方がかなり大掛かりな増築であったことがかわります。現在も残っている書院群と台所や諸役所を繋ぐ渡り廊下、また大広間や遠侍の隣には幾つかの書院も記載されています。

この指図で見るかぎり、将軍が長期に滞在できるよう常住型の御殿が計画された指図ともいえます。

ところが、実際には、この指図通りに二の丸御殿が増改築されることはありませんでした。新たな書院も増築されることはなく、当時の建物の修築だけに終わっています。

家茂の急死、あるいは逼迫していた幕府財政や当時の緊迫した情勢など、いろいろ背景はあったと思いますが、でも、大阪城の櫓や御殿など、かなりお金をかけて修築しています。当時、大阪城を訪問した外国使節も、その豪華さに驚いています。当時は大阪城が迎賓館的な役割をしていたようです。

ということで、指図に描かれただけの幻の二の丸御殿だった訳です。

さて、幕末が終わって明治になり京都御所を取り巻く宮家や公家の屋敷は「大内保存事業」によって一部を除いてすべて取り払われました。

そのなかで唯一残っていた桂宮の御殿も明治26年に現在の二条城本丸に移築されました。
二条城本丸常御殿
(現在の二条城本丸の常御殿)

そして、御殿玄関の車寄せです。 
二条城本丸御殿車寄せ(写真)
(二条城本丸御殿車寄せ・玄関)

移築後の間取り図を載せます。
移築前の御殿と較べるとかなりコンパクトな感じです。
現在の二条城本丸御殿指図
(現在の二条城本丸御殿間取り図)
 
この間取り図で、濃い黄色に塗られている渡り廊下などは戦争の始まる昭和16年に類焼を恐れ撤去されたものです(二条城本丸御殿修理報告書より引用)。

間取り図の西側、飛び出した部分が玄関・車寄せです。西向きの玄関なんですね。
京都御所の車寄せと較べると、飾り金具などもなく地味な感じですが、そのサイズは御所と引けをとりません。確か御所の車寄せは明治以降になってからの新造だったと記憶していますが間違っていたらごめんなさい。

では、3Dの車寄せを掲載します、色合いも車寄せの写真をもとにかなり似てるかと思います。ただ屋根の銅板葺の色とか後ろの方の細部は自分の想像が入っています。

まず、正面から、 いずれもクリックすると拡大します。
二条城本丸御殿車寄せ(正面)
(正面から見た二条城本丸御殿の車寄せ3D)

どうですか? 古色な色合いが出てるでしょう。やはり本物の建物の年月を経た風采はいいものですね。後、正面の奥に見えるのは玄関式台の舞良戸です。
本来なら、この奥、左右に御殿が続いているのですが車寄せだけなので舞良戸を貼り付けました。で、ないと奥が空け空けの間が抜けた感じになってしまいますからね。

次に斜めから、
二条城本丸御殿車寄せ(斜め)
(斜めから見た御殿車寄せ)

さらに、真横から、

二条城本丸御殿車寄せ(側面) 
(御殿車寄せの側面側)

何というか、車寄せだけだと、片足だけで立っている様な不安定さがありますね。やっぱり玄関は本屋に付属していなければ・・・・と思うのですが、

懲りずに正面上から、
二条城本丸御殿車寄せ(斜め上から)
(正面斜めから見た車寄せ)

別に銅葺の屋根を見てくれ・・・という訳でもありませんが、銅葺もやっぱり、その本物のような質感を出すのが難しいですね。ただ単に緑色のペンキになり勝ちですから。どうですか? 雰囲気出てますかね?
コメント待ってます^-^。

以上、二条城本丸御殿車寄せの3Dでした。

後、続編として、もう少し玄関とか作ってみます。
以前作った冷泉家屋敷の「むくり屋根」の玄関も、今、見るとお恥ずかしい作品で改めて作り直します。清閑寺家の玄関にも活かせますしね。

ではでは。

参考文献 : 二条城本丸御殿修理報告書 。


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