3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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ユーラシア大陸一人行 vol.11 皆でペタペタペッタン ネパール編

記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。

除夜の鐘が煩悩を鎮め、午前零時、全国の神社は大勢の初詣客で賑わいます。神道の根本原理は「明清正直」と言われ、本来、願掛けの場ではなく、新嘗祭のように神々に感謝する正月の詣であると思います。平成25年(2013年)は「神宮」(伊勢神宮)の式年遷宮の年でもあります。20年ごとの建て替えられた古材は、全国の神社に譲り渡され、そこでまた再生されます。

考えてみれば、瞬時にして年が替わるというのは不思議なものです。時間があって、時間がないようなもの、そこには、あえて人間が時間という枠組みを作り、生老病死から開放される為の時限装置かもしれません。

ネパールで、死にそうになった瞬間、人間は過去の人生を走馬灯のように一瞬にして振りかえるものだと、いわれることがありますが、まさしく自分もそうでした。そのとき、時間という概念は、自分の心の内面時計なんだと思いましたね。

今回はネパール編ですが、流石にヒマラヤの山野に飽き、ガンジスの大平原へ降りていったとき、あれは11月ごろだっかな、平原部では光の祭り「ディワリ祭」が盛大に行なわれていました。家という家は玄関のドアが開け放たれ、家々の明かり、街の明かり、そして燭台に灯されたともし火が町や村に一斉に燈され、とても幻想的な光景でした。

インドでは、このディワリ祭が日本でいうお正月のようなものでした。

国によって様々なお正月があるんだなぁ、と思いましたね。

さて、シムラから南下し、デリーに向かう途中には、ガンガの中流に位置するヨガの聖地・リシケシがあります。自分は寄りませんでしたけど、地元の行者だけでなく大勢の欧米人がヨガを学ぶため現地には多くのアシュラム(道場)がありました。日本人は少なかった感じがします。
60年代にはビートルズがここに訪れたこともあって、欧米人には東洋思想、とくにヨガ思想、禅に興味を持った若者が増えました。
リシケシ
(ヨガの聖地・リシケシ)

一つには、当時のヒッピーたちの精神的なバックボーン、彼らなりの正当性の裏付けとなる思想が欲しかった面があったのだと思います。

現在では、とくにオーム真理教の影響もあり、日本でのヨガは健康と美容のための手段になりつつありますが、当時はそれなりに真理を求める若者たちもいたんですね。

また、ヨガを現代的な思想体系にまとめ、他の宗教との融合を説いたバグアン・ラジニーシは彼らの教祖的存在でした。ラジニーシのことについは南インド編で触れてみたいと思います。

ヒマラヤから離れ、ネパールに行く前、デリーに寄りました。ここではどうしても観光見物になってしまい、それでも見ないのも損だと思い、インド最大のモスクであるジャーマー・マスジッドやムガル第5代皇帝シャー・ジャハーンが建設し自らの居城とした宮殿・デリー城(レッド・フォート)を三輪タクシで見学して回りました。三輪車はとても不安定で、乗っていても、いつ倒れるかなぁ、と心配したものです。建築の完成度からみると、同じ「赤い城」と呼ばれたアーグラ城塞の方がよかったですね。
三輪タクシー
(三輪タクシー)
ジャーマー・マスジッド
(ジャーマー・マスジッド寺院)
デリーは広すぎました。都市近郊圏も含めると人口2000万というのですから、ネパールのビザをとりにネパール大使館を尋ねるだけでも暑いし一苦労でした。

デリーを離れ、アグラ行きの列車に乗ると、早朝だったこともあり、現地の男たちが一斉に列車側に尻を向け、朝の用足しをしていることにはびっくりしました。北インドはバスの旅が多かったので、あまり見かけなかったのですが、ここは別格でした。線路がトイレとは・・・、しかも何千人連なっているかわかりません(なんと今でも続いている?何かブログで書いてあるのをみました)。女性はさすがに水壷を持って草むらでしていましたね。

インドでは、他にも様々なトイレがあって、それはまた後き書きます。

アグラ(アーグラ)では、これまた定番の世界遺産にも登録されているタージ・マハル廟、アーグラ城塞など見て周りました。
アグラは人口も100万人ほどでデリーのような喧騒もなく比較的落ち着ける古都でした。
アグラ城の赤さはデリーの城より、より紅く、イスラムの装飾もより洗練された感じでした。
赤い城
(レッドフォート)

5代皇帝のシャー・ジャハーンが最愛の寵妃の死を嘆き、弔いの廟として建てたのが、タージ・マハル廟ですが、ここはさすがに美しかったですね。使い古された言葉ですけど、とても精緻な装飾に彩られた総大理石の外観はこの世の夢のようでした。ただ、内部は妃の棺が置いてあるだけで、装飾も華美ではなく、大きな空間が棺を包み込んでいるようでした。ひょっとして妃の遺言だったかもしれません。また、シャー・ジャハーンが後に息子に幽閉された事も関係しているかもしれません。ただ、幽閉された窓からは、寵妃ムムターズ・マハルの眠るタージ・マハル廟が見えたことだけは幸いだったことでしょう。
タージ・マハル廟
(タージ・マハル廟)

アグラを後にして、ネパールの国境・ビルガンジからカトマンズまでバスで向かいました。
と、書こうとしたら、フラッシュバックのようにカトマンズ盆地を上空から俯瞰している自分がいました。そうだ、行きは飛行機だっんだ。思い出しました。旅仲間から「飛行機で行くことを勧められことも」。ただ、どこから機上したのか覚えていません・・・

機上から眺めたカトマンズ盆地は、赤茶けた大地を緑が覆い、点々と散在するレンガ造りの村々、モザイクのような様々な形をした田圃が箱庭のように目に飛び込んできました。首都・カトマンズもパタンもバドガオンも視界に入るコンマクトな盆地でした。
ネパール地図
(ネパール地図)
空港に降り立ち、リキシャで市内ニューロードにあった、当時、バックパッカーたちの定宿だった「ストーンハウス」に着きました。後にトレッキングからの帰り、ラダックのレーでお世話になった彼女に再会できたのもこのストーンハウス。行く先々にバックパッパーたちの定宿がありました。
定宿で旅仲間と再会するのも旅の楽しみの一つです。別れて一人になったり、再会して旅仲間達と街を闊歩するのが旅のパターンでした。一つ言えるのは、たとえグループを作っても、旅立つときは一人でした(女性は除く、インドを旅する女性はグループが多かった)。バックパッカーたちの掟みたいなもんです。
カトマンズ市内地図
(カトマンズ市内地図)

30数年前のカトマンズの町は古いレンガ壁と二階、三階の木製バルコニーを縁取った様々な装飾、市内のあちこちで見かけたヒンズーの寺院。屋根も日本風で、日本の塔を彷彿する眺めです。インド・ガンジス流域の石造建築ばかり見てきた自分には、とても新鮮に映り、中世の面影を宿した街でした。

今は悲惨な事件で王制も倒れ、毛派によるテロなど治安も悪くなっていますが、ここも当時は平和でした。そして老いた自分達(と言ってもまだ老人ではないですよ^^)が呟くのは「いい時代に旅できた」こと。

ここもやはりヒッピーたちのたまり場でした。街にはヒッピー(バックパッカー)向けの料理屋(中華などの麺類、ケーキが多かった)やインドの民俗衣装であり、ヒッピーたちの制服?でもあったクルタ(上着)・パジャマ(ズボン)を売る店、そして装身具の店と、ここはインド産バックパッカーの旅装を調える街でもありました。自分もここで見事?に変身しました(ちょっと派手目、ヒッピーに思われたくなかった?)。
クルタ(派手目) クルタ
(左が自分が着ていたタイプ、右がヒッピー愛用のクルタ)

しかし、日本で言うならば六本木、皇居前?にあたる、旧王宮や五重の屋根を持つナサル・チョーク、マジュ・デガ寺院、クマリの館などがある、市の中心であるダルバール広場の側溝でさえ、人糞の臭いが漂ってきました。街の側溝はトイレ?でもあったほど、不衛生な街でした。さすがに今はそんなことないと思いますけど。そんな異臭もただよう街ですが、階段状のマジュ・デガ寺院では日長、のんびりと市民やヒッピー達が腰掛けていました。
カトマンズのダルバール広場
(カトマンズのダルバール広場)

さきほど、ケーキと書きましたが、実は幻覚キノコであるマジックマッシュルームを混ぜて食べるためのケーキ(普通のもありました)でもありました。

自分も一度誘われるままに食べましたけど、人によっては受け付けない?のか、自分は最悪な幻覚体験でした。

食べると、急に聴覚が鋭くなり壁を隔てた隣も、街路のざわめきさえも何十倍にも増幅された感じで耳に襲ってきました。そして体、、四肢がロボットのように勝手にバタバタしだし、しまいに体が仰け反って床にに突き伏してしまいました。仲間たちも、驚き、「大丈夫?」と騒ぐ声、「救急車呼んだら」とか、そんな声が天井から微かに聞こえてきました。幸い、しばらく経って治まり、病院へ行かなくても済みましたけど、もう二度と食べるものか!と思いましたね。でも、当時、カトマンズに救急車あっのかな?。

後、郊外も行きましたよ。チベット仏教の大きなストッーパ(仏塔)のあるスワヤンブナート寺院、カトマンズ盆地の第四の都市・キルティプールとか。ここは一番古色のある中世風の町で観光客もほとんど来ず、穴場的町です。ぜひ、お薦めの町です。
丘の上のキルティプール
(丘の上のキルティプール)

さぁ、いよいよヒマラヤを歩くトレッキングの旅です。
アンナプルナ周遊トレッキングルート
(ジョムソン街道とアンナプルナ周辺トレッキングマップ)
カトマンズから西へ200キロほど、ポカラの町へ出発しました。
カトマンズ盆地が海抜1300mなのにポカラは800mほどで低くなり、ちょっと亜熱帯風の盆地から望むマチャプチャレ峰(標高6993m)との標高差は何と6000m、こんな落差のある風景は世界でただ一つポカラだけです。季節も10月になり雨季も和らいだ感じでした(そうでもない山道もありましたけど)。
マチャプチャリ
(ポカラから望むマチャプチャレ)
ポカラからは俗に言うジョムソン街道と言って、ガンダキ川を挟んで、左にダウラギリ峰(標高8167)、右にアンナプルナ峰(8091m)を望む雄大な景色が続き、上流部にはチベット仏教とヒンズー教の聖地・ムクチナート、さらに奥のチベット国境にはムスタン王国(2008年王制廃止)があり、昔からチベットとポカラを結ぶ交易路でした。途中、タトパニという所には日本風の露天風呂もあり、あの平尾昌晃さんの弟さんが経営する民宿(今もやってみえるのかな?、偶然、旅の途中、カルカッタでお会いすることができました。当時は結婚していても三年に一回ビザを延長する必要があったのです)もあり、日本人トレッカーたちで賑わっていました。
ガンダキ川
(ガンダキ川)
タトパニの温泉
(タトパニの温泉)
ローマンタン
(ムスタン王国の中心・ローマンタン)

自分は先にラダック地方を旅していたので、タトパニまで行き、そこからは右に旋回、より緑が多くネパールらしいアンナプルナを望む前峰をトレッキングしました。
アンナプルナ+ポーター
(アンナプルナのトレッキング)
この地方は山村ごとにネワール族やチベッタンなど人種・民俗も多様な面があって、スイスのアルプスにはないワイルドさと尾根上(ネパールの山村は多くが尾根上)の山村から望むヒマラヤなど、独自のパノラマが展開してました。
シャラコット
(シャラコット)

途中、幾つかの村の民宿に泊まりましたけど、珍しく女性だけの宿がありました。女主人は妙に色っぽく、夜、簡素なベッドで寝ていると、隣で薄着の若い女性が髪を梳いているのが見えました。とても艶かしく感じられ、ここは本当に民宿か?と思いましたけど、後で聞いたら春を売る宿だったんですね。こんな山奥にも!と思いましたけど、その一方で「なぜ、自分は誘われなかったのだろう?、客じゃない?、お金持ってなさそう?」などと変にスネてしまいましたね^^。今、思い起こすと、あれは「雪女」だっかもしれない・・・、あのまま寝ていてよかったんだと、妙に納得する自分でありました^^。

後、珍しく川沿いの村があって雨期の最後のころで、大雨に遭遇し、夜、寝ていてもやまず、ヒマラヤの豪雨は半端じゃなく、いつ、鉄砲水が襲ってくるかも!、と恐怖の夜を体験したこともありました。不便でも尾根に暮らす地元の人たちの気持ちがわかった気がしました(疫病・風土病も含めて)。

アンナプルナを巡る旅は比較的、眺望にも恵まれ、アップダウン(1000mを越える落差)こそありましたけど美しい雪山を毎日観られて幸せな気分になりましたね。
ガンドルン
(アンナプルナ周辺の中心の村・ガンドルン)

再び、カトマンズに戻り、昔、登山家のティルマンに「世界一美しい谷」と言わしめた、あのランタンリルンの聳えるランタン谷にトレッキングすることにしました。今回は最近、山賊が出た、という情報を聞いていたのでチームを作ることにしました。日本人二人、ニュージーランド人一人の計三名で出発しました。往復に二週間かかる長旅でした。

ランタン谷トレッキングルート
(ランタン谷トレッキングルート)
カトマンズから北へ、トリスリバザールというところまでバスで移動。着いてみると、丘の上に城塞のようなものが見えたので、登っていくことにしました。
トリスリバザール
(トリスリバザール)
登りつめた村はナワコットと言って、ネパールの昔の地方領主の首都で、尾根沿いに街路や石畳の広場、そしてりっぱな王宮まであって、ミニ・カトマンズ版といったところ。観光客は誰もいず、100%地元民の村で、何か得した気分になりました。
ナワコット全景
(ナワコット全景)
ナワコットパレス
(ナワコットパレス)

そして、ここからは山旅。トリスリバザールの周辺はポカラより海抜が低く蒸し暑かったですね。登っている途中も10センチはあろうかと思う巨大ヒルに悩まされ、ライターでその都度、火を当ててやっと退散する有様で、宿に着き、ジーパンを脱いでみると脚は血だらけ!。ヒマラヤはヒルとの戦いでもありました。
ヒル
(巨大ヒルに悩まされた密林)
その後、出会った村人の家に泊めてもらうことになり、素朴なネパールの山村暮らしの一端を体験しました。
ランタン・トレック道
(ランタン・トレック道)
トレッキングはまだまだ続きますけど、今度は診療所もある比較的大きな村で、何と、ニュージーランド人の彼が犬(あちらは基本野放し)に尻を噛まれてしまいました!。
幸い、診療所があったので、そこへ連れていきましたけど、
僕ら二人が治療が終わるのを待っている間、「そういえば彼はジーパンの下には何もはいてなかったよなぁ・・・看護婦さんたち(には見えなかったけど)大丈夫かなぁ?、と本人よりも看護婦風の女性たちのことを心配してました^^。

何とか、治療も済み大事には至りませんでした。でも狂犬病の心配もあるため、彼はそこで離脱、二人だけで目指すことになりました。

トレッキングでは幾つかの川を渡ることもありますが、幹線沿いのルートには吊橋が架かってました。しかしランタン谷の川は広いためか、橋のない所もありました。

そんな、ある日、比較的広い川を地元の村人が水のなかを渡っていました。雨期の終わりごろで水かさは胸ぐらいまであり、流れも急でした。自分は物怖じしましたけど、相棒の方は地元の人が渡っているんだから大丈夫だろう、と渡ってしまい、途中、流されそうになりながらも無事渡り終えました。
次は自分の番です。一人だったら絶対渡っていなかったと思いますが、相棒の手前、渡ることにしました。

でも、自分に正直でなかったのがいけなかった・・・。
見事なまでに流されてしまいました。
アホなことに中州になんとか辿り着いたのですが、そこからまた対岸まで渡ろうとしたら、また流されてしまいした。今度は本流らしく、身は将棋倒しに川に倒されていき、みるみるうちに溺れ流されていきました。対岸へ何とか泳ぎ渡ろうともがきましたが流れが急で流されるばかりでした。今度こそはダメかと観念した途端、不思議と怖い、苦しい思いは消え、過去の自分の人生が走馬灯のように頭をよぎっていきました。意識はちゃんとありました。

そうこうするうち、幸いなことにカーブした浅瀬に身を投げられた感じで岸に辿り着き助かりました。
トリスリ川
(ランタン谷の川)

もう全身びしょ濡れです。どうすべきか途方にくれていると、村人たちが集まってきました。そして手招きで近くの家に入るよう促され付いてゆきました。

家に入ると、服を脱がされ、地元の服に着替えました。そして囲炉裏で体を温めました。

みんな何を言っているのか解りませんでしたが、ただ、無事だったことを喜んでくれていることはわかりました。

そして、食事もよばれ、濡れたリュックの中身を干すのも手伝ってくれました。

さらには、所持していた現地のルピー紙幣を、何と、壁にペタペタと貼って乾かしてくれるではありませんか!

こんな体験は初めてで、とても感動というか、感謝の気持ちでいっぱいになりました。地獄へ落ちた思いがいっぺんに天国に駆け上った気分でしたね。一介の名も知らない異邦人をよくここまで介助して頂いたと、今もこのことは忘れません。

二日ほど後かな、所持品も乾き、何もないのでお礼に乾いた紙幣を渡そうとしたら、けっして受け取りません。頭だけ、ひたすら下げ、感謝の思いを伝えました。そして途中まで案内もしていただき、ランタンへの本道に戻ることが出来ました。

ただ、相棒の彼とは行きはぐれてしまいました・・・
後にランタン谷の最深部の宿で合流したとき自分の無事を喜んでくれました。彼は自分が流された後、一生懸命、自分の名を呼び捜してくれたそうです。

今はもう彼が髭を生やし骨格がしっかりしていて、叱られたことだけ覚えています・・・。

ランタン谷は登るにつれU字谷が扇のように広がり、花の季節はもうとっくに終わっていたけど、ネパールでは珍しい紅葉が迎えてくてました。

ランタン谷の中心部落・ランタン村(海抜3500m)では、夜遅くになっても、村人の気勢、ときにはケンカの声が谷に響き渡りました。チベット地域ではチャンといってアルコール度数が60度もある地酒を男たちが飲んでいました。ですから、夜はあまり近づかない方が良かったですね。
娯楽のない山奥ですから、いくら飲んでヨッパラっても邪魔するものもなく、ケンカも楽しみの一つだったかもしれません。
ランタン村
(ランタン谷の中心・ランタン村)

ちなみに川で助けてもらったのはネワール族で3000mを越えるとチベット系住民にかわります。

4000mにちかいキャンジンゴンパへ登ると、珍しく山羊のチーズを作る工房がありました。ドーナツ状の形で片手では持てないほどの大きさでした。これを弁当代わりに食べましたね。出来立てのチーズでとても美味しかったのを覚えています。
チーズ工場
(チーズ工房)

さらに登るとジャタン・カルカ(山の番小屋)、そして、4000mを越えるリルン氷河の舌端まで登りつめました。ここからはランタン群峰が、氷河が一望のもとに眺められ絶景です。ヒマヤラの特徴の一つといわれる風と雪の「ヒマラヤ襞」が一番美しいのもここランタンリルンです。
ランタン谷上流部
(ランタン谷上流部)

下を見下ろせば、ランタン谷の広い緩やかなU字谷と寂を帯びた一面の黄葉がきれいでした。

ランタンへの山旅も終えカトマンズのストーンハウスに戻ったら、すっかり日焼け男になってました。

そしてラダックでお世話になった彼女にも再会です。今回は「男らしいだろう!」とばかり胸を張りましたが、彼女は何と、ジャニーズ系が好きとのこと・・・。でも、まぁ、いいや。
一緒に食事しながら驚いたことが一つ、彼女の相方の女性が財布と大事なパスポートを盗まれ、今、再発行されるのを待っているところ、というではありませんか!。当時のことですから、再発行には早くても二週間はかかります。その間、一人じゃ心細いからと、一緒に待っているそうです。心なしか表情も暗い感じでした。自分もただただ話を聞いてあげるのが精一杯で、もどかしい思いをしましたね。

結局、彼女たちと二週間、一緒にカトマンズに留まるわけにもいかず、インドでの再会を期してお別れしました。でも再び会うことはありませんでした・・・。

携帯もメールもモバイルも何もない、ただ紙切れとペンだけが旅の伝達手段だった当時、自分はいつもこんな感じでした。それで良かったのかもしれません。一人旅なんですから。

ネパールの国境を越え、インド、そして喧騒と無尽蔵な人波の都市、カルカッタへと向かいました。


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コメント

旅の手記が終わりました 

takaさま
コメントありがとうございます。

「ユーラシア大陸一人行」、ようやく終わりました。一ヶ月+αかかってしまいました。

ようやく、これで「3D京都」にもどれます。
羅生門の復元からはじめます。

さて、「質問、デリーではカースト制度だな~ という感じに直面した事はありましたか? それからデリーの衛生状態はどんな感じだったでしょうか?」

答え:カーストについては実際にそこで暮らしてみないとわかりません。当時はオールドデリーで我が物顔に牛たちがのっそりと歩いていたので、衛生面は察してください^^

「マジックマッシュルーム入りのケーキを食べた、というのは驚きでした。ってか相当やばかったみたいですね。普通の麻薬でもやはり体質で依存する人と拒絶する人と存在するのでしょうか? 少し気になりました。」

答え:自分の場合、とくに拒否反応がひどかっみたいです。ほかのひとは普通に楽しんでいましたから。

<平尾氏は弟ではなく親戚です。本も出していますが、夫
<人のスルジェ氏と死別して現在は閉館した。

そうなんですか。閉館したことは聞いていましたが。外国で結婚して暮らすのはたいへんみたいです。
それこそ、バルパライソで沈没した日本jん男性も、多分、まともな仕事はせず、売春婦の用心棒とかしているかもしれません。

「質問、山羊のチーズはどんな味でしたか? 美味しかったです? 次にヒマラヤ登山のシェルパとかは見かけました?」

答え:美味しかったですよ。というか、なんでも、そうだと思いますけど、出来立てホヤホヤは美味しいと思いますよ。冷めたすき焼きとかマズイでしょう。

では、こんなところで。









  • 梅のコージ 
  • URL 
  • 2013年01月08日 06時13分 
  • [編集]
  • [返信]

最終章をまとめています 

コメントありがとうございました。
「ユーラシア大陸一人行」もあと一回で終わろうと思い書いてますが、けっこう長文になってしまい、二回にわけようかと迷ってます。掲載写真もいろいろと探しているところです。いろいろの質問ですが、いましばらくおまちくださいませ。
  • 梅のコージ 
  • URL 
  • 2013年01月06日 16時09分 
  • [編集]
  • [返信]

 

デリーに行ったというのは驚きましたね。ヒッピーに限りませんがあえて観光名所には行かない人も居るのですが。

ニューデリーは街自体が整然とした都市計画に基づいていますから、そのものが観光名所と行っても良いですが、流石にオールドデリーで精一杯だったみたいですね。大統領や首相官邸も素晴しいものですよ。

タージマハルは是非とも観てみたい建築物の一つですが、その記事を観て羨ましいと思うばかりです。

質問、デリーではカースト制度だな~ という感じに直面した事はありましたか? それからデリーの衛生状態はどんな感じだったでしょうか?

マジックマッシュルーム入りのケーキを食べた、というのは驚きでした。ってか相当やばかったみたいですね。普通の麻薬でもやはり体質で依存する人と拒絶する人と存在するのでしょうか? 少し気になりました。

タトパニ温泉は知っていますよ←(もちろん知識で)。ちょっと古いからだと思いますが、平尾氏は弟ではなく親戚です。本も出していますが、夫人のスルジェ氏と死別して現在は閉館したと聞きました。

あんな山奥にも売春があるというのは驚きですね。根源的な欲望はどこでも変わらないという事なんでしょうか。それとあのような地域でも人を助け、きちんとお金もくすねずに全額渡すような行為をする人が居る事に驚きました。田舍だから素朴なのか? それともネワール族は仏教徒だから自然に出てくる行為なのか? とにかく嬉しい話ですね。

ただ見栄とかで渡ったのは感心しませんね。勇気と無謀は違いますし、その人の持っている力や運動神経をキチンと把握しなければなりません。

質問、山羊のチーズはどんな味でしたか? 美味しかったです? 次にヒマラヤ登山のシェルパとかは見かけました?
  • taka 
  • URL 
  • 2013年01月05日 09時37分 
  • [編集]
  • [返信]

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