3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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ユーラシア大陸一人行 vol.3 宝くじに当たったら気をつけよう 欧州編

確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。

記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。

旅のプロローグも終わって、いよいよ日本を旅立ちます。
何だかんだありましたけど、約100万ほど資金が貯まったので、今から歳を振り返ってみると、確か22歳のころ、大学を一年休学し、1978年4月旅立ったと思います(後で旅立った時の正確な年次がわかりました)。友人からの餞別もありました。
搭乗機は当時、一番、墜落の可能性が高いことで評判だったPIA、パキスタン航空でした。
しかも、途中、タイのバンコクを経由して26時間ものフライトでした。南周りは安かったからです。当時のお金で一年間有効の往復旅券で20万ほどだったかな。

ブログを書くにあたって当時の経済状況を調べました。1968に実質国民総生産(GDP)が西ドイツを抜き世界二位になり、70年には大阪万博が開かれ、このころが戦後の高度成長のピークでした。私は、つい、60年代から1990年代初頭のバブル崩壊までの期間が高度成長の時代だと思っていたのですが、それは間違いだったことがわかりました。

1973年10月の第四次中東戦争勃発による石油の高騰、いわゆるオイルショクですよね。これにより戦後初めてマイナス成長を経験しここに高度成長は終わったんです。その後は極端な右肩上はしない安定成長へとシフトしていき、それが、90年初頭のバブル崩壊まで続いたのが実相だとわかりました。

社会的には安保闘争などによる学生運動も下火になり、また海外においても、ベトナム戦争が終わり、反戦ムードが高まっていたアメリカも、やはり下火になり、その反動か、自由やフリーセックスを叫ぶ若者たちが、ヒッピーと化して世界、とくにインドに様々なコロニー、たまり場を作っていました。

当時のヒッピーの代表的な姿です。
ヒッピ

世代的に言うと、自分たちより一回り上の世代、団塊世代と言われる60~65歳前後の人たちですね。
昨今、よく言われる「年金」の勝ち組といわれる世代です。

戦後の安定期、浮かれた気分が黄金期に映ったのが、この80年代でした。若者たちにとっても大幅な円高為替により海外渡航が自由にできるようになった時代ですね。

そして旅立った77年は、イランのホメイニ革命(1979年)やアフガニスタンへの旧ソ連の侵攻が始まる(78年)、また、イラク・イラン戦争(80年)、そして、イランアメリカ大使館人質事件(79年)などが起こるほんの直前だったんですね。今、思うと、アフガンを経由したインドまでの陸路の旅が出来た最後の年だったかもしれません。ホント、ギリギリなタイミングでしたね。

そのころ、旅を目指す若者たちにとって、色川大吉氏の「ユーラシア大陸思索行」、それから小田実の「何でもみてやろう」、そして、今でもある「地球の歩き方」、これら三冊が一つのバイブルでした。イデオロギーは別にして。自分はそれに文庫本の「万葉集」を一冊加えました。後に、「地球の歩き方」はまったく使わなかったこと、それと「ユーラシア大陸思索行」に出てくる、ある少年とトルコで劇的に会ったことも、当然、そのときは知るよしもありませんでした。

26時間かけて、やっとたどり着いたフランクフルトはまだ4月で肌寒く、空は陰鬱な雲に覆われていました。
フランクフルト空港

しばし、空港で途方にくれてましたけど、広い洗面所で顔を洗い、都市部行きの電車に乗りました。
この夜は、同フランクフルト市内のユースホステルに泊まる予定だったので、地図を片手に市内バスに乗りました。でも、とても緊張してたせいか、同じルートを三回も乗車してしまいました。流石に見かねた運転手さんが、ユースホステルの位置を確認し、そこで降ろしてくれました。当時、ユースホステルは朝食付きで1500円ほど。現在だと1ユーロ109円だとして25.5ユーロの2780円ほど。約倍になりましたね。
フランクフルトのユースホステル                                 (ユースホステル)

当時は北欧はとくに物価が高く、最初から旅の対象からは外していました。ドイツ、フランス、オーストリア、スイスにについては、基本、ユースホステル泊まりでした。南欧のイタリア、スペイン、ギリシャは物価も安かったので民宿のペンションに泊まりました。イタリアで1000円。スペインで7~800円ほどで泊まれたんですよ。しかも晩飯付きです!。 

ですから、正直、ドイツとか早く抜けようと思ってました。

さっそく翌日、古くからの学問・大学の街として知られるハイデルベルクを目指し電車に乗りました。
で、車掌さんが廻ってきたので、二ヶ月間乗り放題のユーレイルパス(学割の周遊券)を見せると、「君の席はここじゃないよ。あちらの一等席だよ」って言うじゃないですか。改めてパス券を見ると、何と、二ヶ月間一等席のパス券でした!。日本の代理店の人が間違えて発行したみたいです。もうラッキーと思いましたね。ヨーロッパの一等席はまるで動くホテルで国境間を越えることも多く座席は個室になっているんです。
    (ユーレイルパス)
ユーレイルパス 

なんかとても得して宝くじに当たった気分です。
それからとゆうもの、ユースホステル探したりするの面倒ですから、車中の個室に寝泊りすることが増え、気が付けば電車から電車への乗り継ぎ旅になってしまっていました。とくにドイツ、オーストリア、スイス、フランスなどはその繰り返しでした。

もし二等のままだったら、もっと街を歩き、苦労しながらもユースHを探し、そこで友人もできたでしょう。もっと、いろんな旅の経験をしたことでしょう。

そう思うと、記事のタイトル副題にある「宝くじに当たったら気をつけよう」に繋がる訳です^^。

では、話をハイデルベルクに戻しましょう。街のシンボルであるお城など見学しましたが、

ハイデルベルク城


そのとき高台から街を見て思ったことは、ヨーロッパの街並みの美しさは、一つは、その各地元産の材料で葺いた屋根が同じ色、同じ風合いで統一されていたことです。ですから丘から見下ろす街は美しいです。でも一旦街中に入ると、通りの壁や窓など、結構現代的になっていて、旅人からすれば、ちょっと、その落差に首を捻ります。

旅の道中みたドイツの町や村などは、外見的には伝統の形をしていますが、ちょうど軽井沢の山荘をみるような現代風にアレンジされている家が多かったですね。

ドイツの観光の目玉となっているローテンブルクなどのロマンチック街道も、その多くは近代の復興建築です。

それは、何もドイツだけのことだけではなく、日本でいう明治維新のころパリの街を大改造したナポレオン三世、またウィーンの街の城壁を取り払い同じく大改造したハプスブルク帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世など、また19世紀、欧州で沸き起こった復古主義による廃墟となっていた城郭や古い町、寺院の再建、復興、それが今日、ヨーロッパの重要な観光資源となっている一面もある思います。

ハイデルベルクを後にして、あの有名なノイシュヴァンシュタイン城を見学、その豪華さに驚きました。傾きかけたバイエルン王国の栄華を形に残そうと美男王ルートヴィヒ2世はこの城の建設に情熱を傾けたのかもしれません。

ノイシュバンシュタイン城

そして、オーストリアへ入国後、ザルツブルグへと向かいましたけど、同国へ入った印象ですけど、どこか東欧、ギリシャ正教の影響をそこはかなく感じたことです。正教の寺院で見かける、あの玉ねぎ型の尖塔、家々の壁に塗られた東欧特有の乳白色な雰囲気、それらが、従来からイメージしているヨーロッパとは違う印象をもちました。やはり日本人が抱いているヨーロッパはドイツ、フランス、イタリアかな・・・とも思いました。

ザルツブルグ


ちょっと駆け足でいきますけど、オーストリアのアルプスを眺めながら、

ハルシュタット
   (湖沼群で知られるハルシュタット)

グロースグルックナー(3798
    (オーストリア最高峰のグロースグルックナー、3798m)

インスブルックの街に入りました。日本の伊那谷のような地形のところです。目の前にアルプスが見える風光明媚な街です。ここは1964年と1976年の二回冬季オリンピックの開催地としても知られています。人口12万人弱。
インスブルック 

ここは1848年にウィーンで起こった三月革命の際、一時的に王宮がインスブルックに移されたこともあります。

その由緒あるインスブルック王宮を見学しました。
インスブルック王宮 

宮殿内はどこもかしも豪華なロココ様式で飾られていました。
しかし、近くに寄って細部を見てみると、意外と雑な造作で、その豪華さとの違和感を感じました。

毎日、こんな豪華な宮殿で暮らしていたら、なんかかえってストレスたまりそうな感じしましたけど、どうでしょう?。あの王妃マリー・アントワネットが農村に見立てて小集落風に建てさせた小トリアノンのように、ヨーロッパ王族・貴族にも日本でいうところの数奇屋風建物はあったんでしょうかね?。

ヨーロッパ編は一回でサラっと書くつもりでしたけど、まだ南欧をかいてません。そちらの方がいくつかエピソードもあって面白いかもしれません。

ドイツ、オーストリア等見て思ったことは、当時、高度成長真っ只中だった日本から来てみると、まず感じたのはショーウインドーの中が地味だったこと。人々の服装も意外と地味で街に活気があんまり見られなかったこと。街の中心部は整然としていて、当時、雑然とした日本の街に比べ、統一感を感じましたね。

なんか過去の大いなる遺産の上にマイペースで暮らしているような、まるで時が止まっているような、またそれがヨーロッパの歴史の重さを感じさせる旅でした。

長文、失礼しました。

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コメント

ヒッピー 

来ましたねw 正直な所私の親の世代で彼等に関心を持っている人や、体験者というのはあまり関心していませんでした。特に今置かれている自分達の幸せを気付きもしないで反戦等と美辞麗句を並べて、邪悪な共産主義者との戦いをしている最中に内部から足をひっぱる。そしてその行き着いた先がヒッピーでしたから。

そして日本でもそういう輩が企業に大量就職して、今では名古屋の某大手商社のトップとして経済界の重鎮として初の民間大使になるまでになっていますからね。私の親の年代というのは正直安全保障上の重要な問題にまでなっていると思っております。

さて、やっぱりヨーロッパ大陸に行くとなるとフランクフルト空港ですね。英国に次いで二番目に大きい空港で欧州の玄関口と言われていますね。ちなみに旧西ドイツ人は今でも自国を西ドイツ、もしくはボン共和国と言っている人が多いそうです。

ところで質問ですが、梅のコージさんはお金は何を持って行きました? 当時は、まあ今でもですが㌦帝国で欧州でも㌦決済が出来ますが、㌦でしょうか? それともドイツではDEM(ドイツマルク)に、オーストリア共和国に行けばATS(オーストリアシリング)に両替していたのでしょうか?

それと欧州では置き引きが多いそうですが、当時ユースに宿泊して身の危険を感じた事はないのでしょうか?

ハイデルベルクはドイツ最古の大学の街ですね~ 学問の街らしく赴きのある街と聞きました。バイエルンのノイシュヴァンシュタイン城は芸術的で非常に美しい城ですね。これを作ったルートヴィヒ二世は芸術家としては尊敬していますが、王としてはやはり?と言ったところですね。プロイセンのホーエンツォーレルン皇家やビスマルクとはやはり格が違いすぎました。

オーストリアに正教の文化を見出したのは流石ですね。元々オーストリアハプスブルク家は一介のスイスの小貴族の出で、神聖ローマ皇帝となってウィーンに移ったのですがボヘミア王国領であった時代から地形上東方正教会の影響を無意識に受けていたようで、建築どころかイコンを掲げている教会もあるそうです。

ちなみに東方正教会とはローマ帝国の正当な後継者である東ローマ帝国のキリスト教であり、ローマ皇帝がキリストの生まれ変わりで首座であるという正当な教義であって、対してカトリックは異民族の侵入のどさくさにまぎれてローマ司教が代理者であり首座であると主張して独立したものです。

ところでオーストリアに行ったのなら是非ウィーンに行って欲しかったです。ハプスブルク家のシェーブルン宮殿があり、ウィーン国立歌劇場があり、ウィーン楽友協会大ホールも凄く立派な建物ですよ。モーツァルトやヨハン・シュトラウスの銅像もありますし、マーラー大ホールで行われるニューイヤーコンサート等は一度生で聴きたいものです。

南欧編、楽しみにしていますね^^ あ、ちなみにザルツブルクはモーツァルトの生まれ故郷です。

追記
昔を思い出すとこみ上げてくるものがある、というその気持ちは良く解かります。私自身も小学校時代の友人や初恋の思い出や、昔の彼女の思い出なんかもふと考える事があります。

そういう事をブログの類いに書くというのは良い事だと思いますよ。何かあった時にはいつまでも残る物ですし、それが時代を下れば資料になるかも知れません。私自身も小学5年生になった頃から毎日日記を書き続けています。日々の天気や出来事、出会いや思った事等を書き続けていますよ。

娘さんもいつかはそういう感情が理解できるようになると思いますよ。
  • taka 
  • URL 
  • 2012年12月15日 11時40分 
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