3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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ユーラシア大陸一人行 vol.1 旅のプロローグ 資金作りと人間模様

雪が降ったら書こう・・・とも思っていた過去の旅の記憶。
昨日、その雪が薄っすらと屋根に積もり、書くことにしました。

ユーラシア大陸一人行」。

もう30数年も前のことで、多くの固有名詞は忘れてしまいました。それでも断片的に残っている旅の記憶は、忘れることが出来ません。今でも欧州や西南アジア地域で何か事件が発生すると、その原因や背景、現地の人たちの思いが空気伝染のように肌に伝わってきます。金銭的なものは何も得られなかったけど、自分のその後の人生に大きな価値観を与えてくれました。それは自分にとっての心の財産と言ってもいいでしょう。

今回、鳥羽離宮の3D製作がひとまずケリがついたので、このブログの場を使い手記を書くことにしました。ブログの趣旨とは外れていて、その点については申し訳なく思っています。

中年男の独りよがりの旅日記でも、もし読んで頂いて、何がしかの参考になれば幸いです。

旅のルートですが、地図上でご説明したいと思います。
旅のルートマップ

大雑把ですけど地図上のピンクの線が旅のルートです。南周りの26時間かけてドイツのフランクフルトに到着。ヨーロッパを二ヶ月ほどかけて周り、フェリーでギリシャまで辿り着きました。その後の8ヶ月間、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパールと旅して廻りました。
この間、多くの人との出会い、再会、別れがありました。治安も当時は山賊はいましたけど、今のアルカイダのようなテロ組織はいませんでした。

旅の目的は、
一つに長期旅行しようと思ったら学生時代しかなかったこと。また当時1970年代後半は、経済も安定し、未来にも希望のもてる明るい時代だったこと。ヒッピーと言われた若者たちが世界を旅して周る、とても開放的でフリーダムな時代だったこと。
そして自分自身は、「何でも見てやろう」じゃないですけど、海外の様々な文化や歴史、その痕跡、自然、人々の暮らし等などに、とても興味があったこと。また、自分の生まれ育った祖国を、一度、海外から眺め、そして比較してみたかったこと。何が日本と海外と異なるのか、自分の国のアイデンティティを、自分なりに、この目で確かめたかったこと。これらが目的でした。

旅となれば、資金が必要です。大学生の時だったので、お金もありませんし、旅すること自体に両親も反対でした。自分としては、社会人になる前にどうしても海外を自由に旅して廻りたかったので、まずは資金稼ぎのため二年ほどいろんなバイトをしました。

今日は旅のプロローグの、そのまたプロローグとしてバイト時代のことを書いてみたいと思います。何故ならば、何も旅だけが日常からのトリップではなく、バイト時代に出会った人たちの悲喜交々、人生模様そのものが、若かった自分にとっては別世界、ありえない日々に見えたからです。

アルバイトのなかで、主として働いたのは深夜レストラン兼カラオケーバーでした。
こんな感じの店内でした。
カラオケBar Jeanne.D
カラオケBar Jeanne.Dさんから写真お借りしました。当時の店の雰囲気に似ていましたので。

ホステスさんも幾人かいました。自分はチーフと言われ、上司に当時30歳ほどのマスターがいました。彼は雇われマスターで、いつも、もっといい稼ぎはないか、商売はないか?と、なにか、もがいてるような感じでした。でも、普段は明るく、ちょっとしたハンサムでした。

深夜ですから、お客さんみんな酔っ払っていましたけど、今でも忘れられない客がいます。某さんと言い、タクシーの運転手をしていました。毎週、みえましたけど、いつも奥さんが同伴していました。というのも一度酒が入ると包丁を持って暴れだすからです。そのとき、必死になって止めていたのが奥さんでした。奥さんがいなかったら自分も刺されていたでしょう。酒の入らないときはとても穏やか紳士だったんですけどね・・・・・。お客さんの中には、酔うと目が据わり、キスしまっくてくる客や、裸になって踊り出す客など、いろんな客がいましたが、彼は特別でした。
でも、そんなに彼の酒癖が悪いのであれば、飲む前に包丁を持たずに来れば、奥さんも同伴する必要はなかっのに、毎週、同じことが繰り替えされました。店でも、不思議とそれを受け入れていました。今思うと、その行為は、最後の一線は「女房が止めてくれるだろう」という本人の甘えと、奥さんがそれを受け止めることで絆を保っていたのかもしれません。

あと、忘れられない人がもう一人いました。お店のすぐ隣で廃車になったバスの中でカラオケのカセットを売っていた色の黒い、小錦のような巨体の持ち主でした。
普段、客が入るのをほとんど見たことがありません。ただうちの店にきては、半分手伝ったり、冗談をいったり、自分に「大人の世界はこうなんだぜ」とか薀蓄をたれる気のいいおっちゃんでした。彼には後日談がありますが、それはひとまず置いておいて、

先ほどのマスターの話に戻りますけど、ある日、15万ほど貸してくれ、言われ、日頃お世話になってるからと、つい貸してしまいました。何に使うかと思ったら、どんな臭いでもたちどころ消える消臭剤、それを誰かに紹介すれば紹介料がもらえる、俗に言うマルチ商法でしたね。そんなの上手くいく訳ないし15万も戻って来ませんでした。また、あるときはマスターの知り合いの喫茶店に同行して、マスターから10万、店に貸してあげられないか・・・と頼まれ、また貸してしまいました。その憂いを帯びた美しい店主の奥さんが必死になって哀願してくるので、つい、貸してしまったんです。もちろんお金は返ってきませんでした。自分も旅の資金を作っているのに、何してんかなぁ・・・と思いましたけど、甘かった自分でした。

店はあんまり儲からず、自分はホステスたちのオモチャ?にされていました。そして、マスターはそわそわ、と、いつも金欠対策に悩んでました。

そしてある日、ホステスの一人と駆け落ちしてしまいました。そのホステスさんは40歳にもなり子供もいる年上の女性でした。自分から見れば、何でこの二人が?と、不思議でなりませんでしたけど、そこが学生だった自分の考えの限界でした。男女の機微とは・・・何か因縁めいたことを当時感じました。

その後、店も閉め、マスターとも会うことはありませんでした。ただ、風の便りに、マスターが頸をくくって自殺した、と聞きました・・・。そして、あの喫茶店も、憂いを帯びた奥さんもどこかに消えてしまいました。
そして、気のいい大巨漢のおっちゃんも、とある日、知り合いとの諍いから友人を刺し殺し刑務所に行ってしまいました・・・。

自分からみれば、かれらは何も特別なひとたちではなく、市井の普通の人たちでした。
ただ、どこかで歯車が狂ってしまったんです。

人生はもっと「いい暮らしがしたい」、「もっとお金を稼いで幸せになりたい」ともがけば、もがくほど、自分を見失ってしまうのかも知れません・・・。

あの人たちは、今、どうしてるだろう?、と、今でも気にかけるときがあります。

それでも自分は資金を稼ぐため、その後もいろんなバイトをしました。次回はその顛末を書いてみたいと思います。


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2017年5月8日更新

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