3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

Category [ 安土・桃山時代 1573年⇒ ] 記事一覧

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飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 後編

今、後編を書き出しているところですが、14日のブログで東京帰りのついでに背景用写真を撮ってこよう、と書きましたが確かに撮ってきました。足に豆ができるほど歩きました。でも、皇居東御苑は金曜はお休みで入れないんですよね、知らなかった。いきなり出鼻をくじかれた感じ。仕方なく明治神宮に移動。そこでパシャパシャ撮ってましたが、そのときのこと。灯篭を撮っていたら突然背後から40代くらいの女性から「今、撮りましたよ...

飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 中編

前編に引き続き後編です、もとい中編になりました。前編で『そもそも聚楽第には飛雲閣自体が存在しなかった。天守さえも存在しなかった?』、について、その書きかけというかまだ、ほとんど入口にも入っていない状況ですが、一つづつ解明?してゆきます。というか書きながらどういう方向へいくのか?自分でもわからないです。そもそも浅学菲才の私が聚楽第に挑もう?と思うこと自体が間違っていますが、3Dで再現するとう流れのな...

飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 前編

前回も申しましたが、あくまで「飛雲閣は聚楽第に存在した」、ということを前提に「事実」はわからないままですが、今回は自分なりに論点整理して飛雲閣の数奇な物語?に取り組んでみたいと思います。何度も書きますが、飛雲閣が聚楽第からの移築か?いまだ事実は定まっていません。ただ西本願寺の寺伝を根拠とするものであり、これまでの修築によれば移築の痕跡はなかった・・・従って移築ではなく、最初から同本願寺の回遊式庭園...

秀吉の聚楽第に在った頃の飛雲閣を想像してみた 「外観編」

一応、飛雲閣の外観3Dができたので3DCG図をアップしてみます。今回はCG図をメインにアルバム風に載せます。飛雲閣についての「聚楽第からの移築説」や「聚楽第の何処に存在したのか?」、「そもそも存在したのか?」などの考察については次回私見も含め書いてみたいと思っています。まずは現在の飛雲閣の姿から、現在の飛雲閣聚楽第は関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅として天正15年(1587年)9月に完成されました。した...

桃山仕様の唐門を作ってみました

昨日は大徳寺唐門をベースにした白木造りの比較的簡素な唐門を作りましたが、本日は、より豪華な安土桃山時代風(寛永仕様かも?)の向唐門を作りました。 手抜きとは申しませんが、一応、大徳寺唐門の屋根と四足門を一部変更を加えながら西本願寺唐門作成に転用しました。そして豪華な飾り金具や装飾彫刻(テクスチャ)でまさにコテコテに飾りつけました。もう、大徳寺唐門の面影は微塵もありません。四足柱も円柱から四角柱に変え、...

伏見城のパノラマ画像です。

元和9年(1623年)7月16日、徳川家光の将軍宣下が伏見城で実施されましたが、これが伏見城の最後の姿でした。これ以降、一国一城令の主旨からも城を維持するのは困難とし、1619年(元和5年)には伏見城の廃城が決まり、翌年から城割りが始まりました。城の遺構は福山城や淀城など全国八十余箇所にも運ばれ移築が行なわれたと言います。 当時の幕府が400年後のお城ブームを見越して伏見城を残していてくれればとは、いささか虫の良...

伏見城3D製作第一期分とりあえず完成。

勝手に自分で第一期分と呼んでいるのですが、伏見城の主だった内郭・外郭の石垣と櫓、天守などを完成させたのでブログにアップすることにしました。 前回の記事でも書いたのですが、法住寺殿から望む伏見方面の地形・風景が美しかったのと、先日、京都へ行った際も模擬天守ではありますが、京都盆地から望む伏見城のシルエットがとても良かったので、取り合えずでも、各曲輪・内郭と石垣、その上に佇む櫓群、そして天守だけでも再...

伏見城の3D製作に取り掛かりました。

前回記事で法住寺殿から望む伏見方面の3D地形図がとても綺麗なので、思わず「伏見城出て来い!」と心のなかで叫んでしまい、後で後悔・・・そうですよね、現実に存在しないんだから。あっ模擬天守は存在しますけど今は閉鎖してるんですよね?確か遊園地だったんですよね。 そこで3Dのお出ましです。現実にないのなら3Dで作ってしまう。模擬とどこが違うん?と聞かれても3Dはディスプレイの中とお答えします(笑) とにかく、...

聚楽第・伏見城の遺構を探す旅 その(二) 果たして飛雲閣は聚楽第からの移築か!?

世に聚楽第の遺構といわれる建築物は幾つかあると思います。中には、それはないでしょう?というものもありますが、今回はある意味異色の楼閣・飛雲閣を取り上げてみたいと思います。 まずは普段は非公開で見学できない飛雲閣について管理人の持っている資料の範囲内でご紹介しますね。最初に飛雲閣のある西本願寺の境内図から。これは同本願寺の公式HPに載っている案内図です。 この図で見ると左下の庭園・滴翠園のなかのまた左...

聚楽第・伏見城の遺構を探す旅 その(一) 聚楽第編

今現在、合間をみて再び二条城の天守閣の3D製作にチャレンジ、今度は天守閣だけでなく本丸全体を再現しようと思って頑張ってます。完成したら、また東寺の塔から眺めてみたいです(笑)。そうそう二の丸の方は現存しさんざん紹介されているので今回は割愛。それと今、三つのちょっとしたシリーズ物を3D製作の合間に書こうと考えています。一つは今回の「聚楽第・伏見城の遺構を探す旅」、数回に分ける予定です。も一つは京都の門...

東寺の塔から方広寺大仏殿を遠望しました

例によって定点観測地点の東寺五重塔から方広寺大仏殿方面を遠望しました。約4キロ程先ですから、法勝寺より近くに見えますね。というか現実なら見えるはずもないんですがね。そうそう二条城も天守閣だけでなく取り巻く本丸も出来たら、京都3Dマップに載せようと思っています。何はともあれご覧あれ。クリックすると拡大します。 史実ではありえない法勝寺八角九重塔と方広寺大仏殿が同時に見えます(笑) 東山の地形に沿った方広...

方広寺大仏殿を造ってみました。

方広寺は、東山の地に大日如来(大仏様)を祀るため、1586年(天正14年)秀吉により奈良・東大寺に倣って大仏殿の造営が開始され、1595年(文禄4年)完成しました。1595年10月28日(文禄4年9月25日)の大仏開眼のため千僧供養会には、天台宗、真言宗、律宗、禅宗、浄土宗、日蓮宗、時宗、一向宗の僧が出仕を要請されました。千僧供養に出仕する千人もの僧の食事を準備した台所が、かの妙法院だそうです。東大寺の大仏より大きい18mの...

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2017年5月8日更新

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Author:梅村京一朗
(けいいちろう)、
寝つきの悪い夜は、いにしえの京を想いながら寝ます。すると鼓の音のように京の日々歳々が甦ってきます。・・・浅き夢みし男のブログ語りです。

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