3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

Category [ 平安-院政期 1086年⇒ ] 記事一覧

法勝寺フォト集

えぇ、今回は「法勝寺フォト集」と題して、CG写真を掲載します。いままで法勝寺については記事でいろいろと書いてきたので、ここは単純にCGだけ載せます。京都盆地を背景にしたもの、霧に浮かび上がる法勝寺、夜景と法勝寺、等々いろんな角度から。似たようCGもありますので辛抱して見てみてください。ちなみに京都盆地の背景写真ですが、4年前の雪降る寒い京都、某ホテルの展望スペースから撮ったものです。パチパチ一一心...

院政期最大の建築・法勝寺金堂を復元しました。

先回は院政期を代表する法勝寺八角九重塔を復元しましたが、今回同じく法勝寺の金堂を復元してみました。これもブログ初期に作っていますが、今回、新たにリニュアールしました。今日の記事では八角九重塔も含めた3DCGをアップしようかと思いましたが、時間の制約もあって次回に譲ります。さて、金堂ですが、過去に記事も書いているので重複しますが、その点はご容赦を。法勝寺及び六勝寺ですが、1077年(承暦元年)白河法皇の法...

法勝寺八角九重塔を作り直してみました。

ちょうど四年程前からブログを始め、ブログトップのブログ名の背景をどんな感じにしようかと思い、そのとき思いついたのが、法勝寺八角九重塔(京都市左京区岡崎)をランドマークにした京都の街並みでした。で、最初に作った3Dがこの「法勝寺八角九重塔」。今思えばよくこんな難しい八角の塔にチャレンジしたなぁ・・・と思いましたが、とにかくブログタイトルの背景ですから、何が何でも作らなければ、という勢いで作ったものです...

第二期鳥羽離宮の3Dパノラマ画像です (後編)

前編に続き鳥羽離宮の後編をご紹介いたします。 鳥羽離宮も、あれこれ数えて12回ほど記事を書いてます。もちろん、同離宮は、何回書いても語り尽くせないほど広大で興味の尽きない離宮ですが今回でひとまず完結させて頂きます。PCの負担の件もありますから。 それでは前置きはこのへんにして、早速、後編のアップを致します。 まず、鳥羽離宮の湖面に揺らぐ竜頭船と貴族?たち。 竜頭船は箱根神社の竜頭船をお借りしました。 貴...

第二期鳥羽離宮の3Dパノラマ画像です (前編)

第二期の鳥羽離宮の3Dパノラマ画像が出来ましたのでご紹介します。 離宮全体ではいろんな角度から撮ったので、前編、後編の二回に分けて掲載します。 今回は、主に離宮の左サイト、西側の南殿(証金剛院)や勝光明院、北殿などの俯瞰パノラマ及び個々のクローズアップ画像など紹介します。 この鳥羽離宮の3Dファイルですけど、全体で700MBほどにもなりました。ですから実は離宮の全体像を同時に離宮内に配置することは出来ませ...

鳥羽離宮南殿&証金剛院の3Dが完成しました

訪問者の方、こんにちは。 まずは、御礼から。 ブログランキングの日本史部門で第二目標の五位以内、瞬間的には四位を獲得しました! 皆様のご協力ありがとうございました。 上位三位の方々のブログはとても素晴らしく、まだ新米の自分にはとても太刀打ちできませんが、皆様のネットを通じた応援をささえに今度はトップを目指して頑張ります。 今後もどうかご支援宜しくお願い致します。 と書いたら、何と、本日、9位に下がってし...

鳥羽離宮の南殿間取図を載せます。

鳥羽離宮の3D製作もいよいよ佳境に入ってまいりました。 今まで、何度も離宮のことを書いてきたので、かなり重複してると思うんですけど、「こいつ、また同じこと書いてる」と思わないでくださいね(笑)。ブログによっては記事中の下線をクリックすると、その場でブログ内の過去記事へ案内してくれる、という便利な所もありますが、管理人もおいおいブログの勉強して「おぉ!」と言われるようなレベルになりたいと思っています。 ...

串団子と水煙

相変わらず鳥羽離宮が続きます。 今回は鳥羽離宮に存在した三重塔を3Dで作ってみました。 もちろん、当時の建物はないので、現存三重塔で年代的に一番近い興福寺三重塔を参考にしました。 三重塔及びその関連記述については、今回、堀内明博氏の「日本古代都市史研究」の鳥羽離宮編に絞って参考にさせて頂き、文章も引用させて頂きました。 現在、白川法皇、鳥羽法皇、そして近衛天皇の御陵が安楽寿院及び周辺に存在しています。...

多宝塔を作ってみました。

鳥羽離宮には、当時、三つの塔が建っていました。多宝塔が二つ、三重塔が一つ。現在の安楽寿院があるあたりに建っていました。鳥羽殿で言う東殿、泉殿の区画で同離宮の東側にありました。 白川上皇はこの東殿付近に三塔を建てました。天仁二年(1109年)建立の三重塔から天永三年(1112年)にかけての二基の多宝塔です。上皇は大治4年(1129年)崩御され、この三重塔を御墓所とされました。で、管理人もよくわからないのですが、保延五年...

第一期鳥羽離宮のパノラマ3Dです

今夜も大河ドラマ「清盛」に鳥羽離宮のことが触れられていました。先週は後白河法皇が鳥羽離宮に幽閉されたお話でしたね。いよいよ清盛も最後の時が近づいてきました。何故か平家一門の物語は滅亡に至る過程がドラマチックで胸に迫るものがあります。ドラマ的に言うといよいよ佳境に入る、ってところですかね。 平家は京都に構えたことにより貴族化しました。足利氏もそうですけど。 ただ、日本の文化は、たとえば江戸の始めの寛永...

鳥羽離宮・勝光明院(平等院鳳凰堂のそっくりさん)が完成しました。

衆議院もようやく解散の運びとなりました。野田総理には「近いうちに・・・」に言われ続け、本当に年内?とヤキモキしていましたが、この師走、本当に約束を守ったわけですね。やれやれ、気ぜわしい年末になりそうです。 今回、鳥羽離宮の北殿に付属する勝光明院の3Dを作りましたが、テレビで国会議事堂を見てると、何となく勝光明院(実際には平等院鳳凰堂)と似てるなぁ?と思いました。なんか、似てるのは「左右対照だけだ!」...

鳥羽離宮-金剛心院の3Dが完成しました!

鳥羽離宮-金剛心院が完成しました!昨日、一応、完成したのですが、見直す所が出てきて修正にちょっと手間取りました。やっぱり、和風建築は屋根の形状と色合いで決まりますね。今回も造ってみて、やはり入母屋屋根の軒の反りの曲線・角度が重要だと改めて感じました。今後も様々な屋根の形を作りストックしておきたいと思います。さて、金剛心院の各建築物の大雑把な寸法等の説明は、ちょっと前に書きましたので、今回は同心院に...

鳥羽離宮-金剛心院の南側から見た3D作品をアップします。

まだ一部製作が残っているので、 取り合えず鳥羽離宮-金剛心院の南側から見た3D作品をアップします。 いかにファイルの重さを押さえ、かつ、それなりに見れる作品ができるか? 一人で出来る範囲内で作成してみました。 今回も作ってみて、後で「ここをこうすれば良かったのになぁ・・・」と反省することしきりです。 とにかく、ファイルの軽さと、見た目、クォリティーの高さとの両立、その辺の兼ね合いが難しいですね。 と言う...

鳥羽離宮-金剛心院の間取図(指図)が完成しました。

当ブログ訪問者の皆様方、こんにちは。寒くなってきましたね。 そろそろ炬燵のほしい季節になりました。と、そんなことを書くと、「日本の家屋は夏向きじゃ」と徒然草の兼行法師さんが出てきて説教されそうですが、実際問題、平安時代にも炬燵はありました。けれど、限りなく火鉢に近い代物でした。しかも「寝殿造」には一部、塗り籠めの壁がありましたが、そこは主に納戸に使用。他の母屋周りは蔀や遣り戸で囲うだけ、隙間風もぴ...

鳥羽離宮の3D製作を始めました。

タイトルの通り鳥羽離宮の3D製作を始めました。鳥羽離宮と申しましても五つの広大なブロックから構成されており、そのすべてを復原するのはとても手に負えないので、一部について3D化したいと思っています。まずは、手始めに御所の一つ田中殿に関係する寺院・金剛心院について再現してみます。同金剛心院は鳥羽離宮のなかでも規模、壮麗さにおいて当時から「一番!」と言われていた建築で、どこまで3D化できるかわかりません...

よみがえる鳥羽離宮

最近のブログでは法住寺殿や伏見城など洛南の地域の建物を取り上げていますが、今回もまたまた真打登場というか、あの鳥羽離宮の登場です。ちょうど名神京都南インターが離宮跡とも被るので、いままで発掘調査もなされてきて全体概容がおぼろげながらわかってきました。ただ、細かいところになるとまだ不明な点が多く、建築史上もまたしかりです。太田静六氏の書かれた「寝殿造の研究」のなかに鳥羽南殿の推定間取り図が描かれてい...

法住寺殿と方広寺大仏殿の夢のコラボです。

またまた定番というか京都・東寺五重塔から定点観測した法住寺殿と方広寺大仏殿です。いくら京都の地形図を等高線にそって3D化したとはいえ一面のグリーンは「実際ありえん!」と思われるのは当然かもしれませんが、それでもこの信州の「美ヶ原高原」状態の京都盆地も良いものです。現実は一面の灰色のビルと住宅群が連なっているなか、夢のようなお伽の世界があったっていいじゃないですか! ということで今回も後白河法皇の法...

後白河法皇の法住寺殿に最勝光院が完成しました。

記事のタイトル通り最勝光院が取り合えず完成しました。指図は参考にしましたが立面はまったくわからず100%想像力で造りこみました。もし、本物の設計者さんが見たらどう思うだろう?改めて思うのは、まったくの白紙から斬新な建築を設計することはとても難しいことだということです。どうしても既存の固定観念に縛られてしまいますからね。そういうことで、まったく別物の最勝光院かもしれませんが見てやってください(笑) ところ...

法住寺殿に三十三間堂や塔が出来ました。

今日は春の嵐と呼ぶにはあまりにも暴風雨が吹きあふれた一日でしたね。中には強風で亡くなった方もみえました。大地だけでなく空も今の時代に震えているのですかね・・・。 さて人も亡くなったのに時候代わりに使ってすみません。ご冥福をお祈り申し上げます。 法住寺殿の方ですけど、初代三十三間堂や五重塔が出来ましたのでアップします。当時は朱塗りの寺院が定番でしたからそうしました。まだ最勝光院とか残っているので頑張っ...

もう一つの平家物語の舞台 法住寺殿南殿の完成です。

前回一期工事で法住寺殿南殿の建物の方を取り合えず3Dで製作してみました。室内は未定ですけど、いずれかの機会、寝殿造りの室内を造作してみたいと思ってます。 で、今回、建物周りの外溝工事をメインに大池や中島、二階釣り殿、門や塀などを造りこみました。外溝についてはわからない事も多く、多分に想像力で造ってみましたので、あるいは史実とずれているところもあろうかと思いますけど、そこは単純に目の保養と思って見て...

法住寺殿南殿3D製作 第一期工事完了です。

法住寺殿南殿の3D製作のうち、 第一期分の工事が完了しましたのでパース図をアップします。 実際に寝殿造りのホンマものの遺構は残っていませんから、指図やいろんな資料の画像等みて、だいたい、こんなんでは+比較的手早く(失礼)ということで製作しました。まだ、南殿一つとっても広い池や反り橋、二重楼閣もこれから製作です。法住寺殿のは広いです!(笑)。 今回、正殿である寝殿の間口は約22メートルほどにしました。指図の...

後白河法皇の法住寺殿・南殿の間取り図を作成してみました。

京都千年というといつの時空に飛ぼうかと迷うときがありますが、今年は大河が「平清盛」を取り上げているということで、やはり注目の目は院政及び源平期にいってしまう面があります。今、流行のものに合わせて点数稼ごう・・・などとどこか世間に「阿る(おもねる)」気持ちが自分にあるのかぁ・・・とも思ったりしてますけど、そう思う自分こそが「何様のつもり?」とまぁ、あれこれ自問自答してますけど、そんなことより乗り出した...

後白河法皇の法住寺殿はどんなイメージだったのだろう?

NHKの大河の方もこれから清盛と後白河法皇との丁々発止が展開されてゆきますが、その舞台ともなった後白河法皇の院御所である法住寺殿はどのようなイメージだったのだろうか?管理人も当然、そんな興味があったのでここで一つ無謀にも「法住寺殿」を再現してみよう!ということになりました。なにせ、当時、治天の君とも言われた最高権威・後白河法皇の御所ですから方十町四方と広いこと広いこと!御所内には、広い池から三十三...

院政期 八条院領と長講堂領についての閑話

次の3D製作の対象として後白河法皇の院御所・法住寺殿を取り上げてみようと思っていますが、その前に院政期の白河、鳥羽両上皇、そして後白河法皇の権力の基盤ともなった院の御領(荘園)について後白河法皇を中心にお話してみたいと思います。 何故ならば、なぜ、後白河法皇は白河、鳥羽両上皇に比べ独裁権力を発揮できなかったのか?また武士の台頭をなぜ許したのか?それから何故南北朝に皇統が分裂したのか?また室町幕府は何...

東寺から法勝寺八角九重塔を眺めたら・・・

白河法皇の建立した法勝寺、いまだ八角九重塔と金堂しか完成してませんが、心配になった管理人は定点観測の定番地・東寺五重塔から眺めることにしました。と・・・いきなりのこんな書き出しで戸惑われたと思います。実は久し振りに京都の3D地形図を引っ張りだして来て、そこに法勝寺を貼り付けたんです。どんな感じかなぁ・・・と東寺5重から眺めたパース図が一枚目。クリックすると拡大します。以下4枚ともです。 意外と近いじ...

清盛邸東泉廊の内観です。

江戸時代、あまりにも派手過ぎて幕府に財産を没収された難波の豪商・淀屋辰五郎という人物がいました。なんでも天井をビードロ、今でいうガラスで一面に覆い、そこには鯉がゆうゆうと泳いでいたという話です。どこまで本当かわかりませんが、江戸の豪商の気概みたいなものは伝わりますね。でも鯉が泳いでいたということは水が張ってあったんですよね?で・・・そこから水繋がりで清盛の泉殿にたどり着く訳です(笑)。今も昔も人は新...

平清盛邸の外観図が出来上がりました。

皆さんおはようございます。今日は結婚式出席のため早朝にアップしておきます。といっても清盛の邸宅の想像図だけですが。前回でも書きましたが清盛のお宅は延建坪240坪ほど。邸宅の名前が「泉殿」というのは母屋寝殿東側の「東泉廊」の床下から泉がこんこんと湧き出ていたからです。当時、都では「風情のある屋敷」として評判でした。ですからお屋敷はそんなに広くなくても「泉」がカバーしたんですね(笑)。それと前記事で徳子(後...

何と清盛邸には障子紙が貼ってあった!?

今日も寒かったですね!外は晴れているのに霙が時々降ってました。 ところで建築中の清盛邸(あくまでバーチャルの世界ですよ)はまだまだ完成にはちょっと遠いですが、とりあえず外観だけでも二日ほどで仕上げようと思ってます。そうそう11日の土曜は知人の結婚式でしたっけ。多分、お酒も入りますし当日はブログの記事も休筆かなぁ・・・。今回のタイトル名、またまた意味不明?な題名になってしまったかもです。ですから、まずは...

平清盛はどんな家に住んでいたのだろう?

平清盛は一体どんな家に住んでいたのだろう? この素朴な質問は歴史好きな方だったら一度は思ったこともあるかと思います。 一時期は全国のほぼ半分を領国に占め、公卿は十六名、殿上人は三十四名、そのほか諸国の受領は数知れず・・・まさに「平家にあらずんば人にあらず」の権勢を誇った平家一門でした。そんな清盛たちですから「さぞかし豪奢な寝殿に住んでいたんだろうなぁ」と憶測はするのですが、たまに資料を見ても、京の六...

法勝寺及び六勝寺周辺

ブログトップの背景写真を何で飾ろうかと思って、まず思い浮かんだのが院政期、白河法皇が建立した法勝寺八角九重塔。この異形の塔は高さ81mもあって、存在していれば今でも京都のランドマークタワーになってたと思います。まして当時どんなにか人々を驚かせたでしょうか。そんな法勝寺の塔を3Dで再現しようなどと気安く考えたのがまずかったです。難しいです・・・写真や記事だけでなく、そもそもブログとは何ぞや?から始まっ...

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たまに短歌

2017年5月8日更新

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梅村京一朗

Author:梅村京一朗
(けいいちろう)、
寝つきの悪い夜は、いにしえの京を想いながら寝ます。すると鼓の音のように京の日々歳々が甦ってきます。・・・浅き夢みし男のブログ語りです。

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