公家屋敷の指図を探し求めて、宮内庁書陵部へと通っていますが今月も行く予定です。というか予約済です。で、史料が徐々に集まっていくのはいいのですが、それに見合った公家町の3Dパーツを追加作成する必要が生じてきました。そこで、ここ、しばらくパーツ作りをしていました。今回は出来上がった分をブログで紹介したいと思います。作るにあたっては、省く意匠もありましたが、出来るだけ建物の雰囲気を壊さないよう努めました。...
今回の記事も、私が気になっていた点を、知りたい以上に教えて頂けました。
>杮葺き
これ耐火性のある瓦より重視されていたのは、格式を重んじる御所らしいですね。
屋根の反りは、軒先の綺麗な断面を見せたいのだろうと勝手に思っています。
>むくり屋根
数寄屋建築の母屋や京都東山の別荘群で見ましたが、あのゆったりとした曲線が良いですよね。 でも御所では少ないのは意外でした。 なるほど私的な空間での意匠で、それが後に別荘など私的な空間で用いられるようになって気がしました。
>長屋門
下級公家の門が、皆目不明だったのですが長屋門も多かったのですね。
管理人常駐になるから治安面も安心。 武家のものと雰囲気が違うのが、良い感じです。
>厩、湯屋、雪隠
こういう建物があると、生活感が出てきますね。
お書きのように羽林の下級公家は、馬は必要な時に借りたと聞きます。 馬の高額に加えて、維持費と手間がかかりますから。 京都所司代や神社、領地があればそこからも必要に応じて用いたようです。
これからも楽しみにしております。
天明の大火以後、幕府は耐火対策で本格的に公家町の瓦化を進めました。ただ、当時はまだ杮葺きの方が安かったらしく中々進まなかったみたいです。ですが、天保の1830年頃にはかなり普及しました。
日本建築の反りの特徴は天辺から軒先まで緩やかにカーブを描くの点だと思いますが、これが海外だと、軒先にポッと帽子を被せるようにして龍の反りを演出してますから、昔の日本からすれば、逆にせっかく優美な反りを出したのに、帽子で隠すんじゃない! みたいなとこでしょうか。
杮葺きのむくり屋根はいいですね。権力を持たない公家にとって瀟洒なこの佇まいは一つのルサンチマンのような気がします。
長屋門ですが、公家町においての表門の格式として長屋門はどんな位置付けかと怪訝に思うときがあります。家人の住居を兼ねているから”門ではありません”と応えがかえってくるかもしれません。
江戸時代、江戸には千軒のリサイクルショップがあったと言いますから、まぁ、持ちつ持たれつ皆、助けあったんですね。当時、年間を通じて何百万人もの民が伊勢や富士講、金毘羅さん、御所の千度参り、さらに湯治へと出かけ楽しんでいました。こんな平和な国は当時、そして今もないと思います。