3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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どうも仏塔の比較図が人気あるらしい。

今月に入っての2日の日曜日あたりから当ブログのアクセス数が急に増えてきました。多い時には一日で230PVほどのアクセスがありました。このアクセス数は同じ人が一日何度でもアクセスしても、あくまで一日/一回しかカウントされません。ブログ右カラム下にあるfc2カウンターですけど、時差等の関係もありますが、実質のアクセス数は同Fc2カウンター数よりも1.4~1.8程多いですね。ですから今週は日に200人以上の方が来訪されています。
私としては、普段、記事のアップ数が少ないというか気まぐれ、また努力もしていない・・・ので、それなのにこんなに増えたことについて嬉しいですね。視えた方、ありがとうございます。
リサーチバンクで調べたところ、百万を超える?ブログ全体で一日の平均アクセス数が50以下のブログが全体の75%だそうです。しかも全体の平均で一日あたり10アクセス以下のブログが59.6%にものぼるそうです。
そのなかで、更新も少ない3D京都にも関わらず、みてくださる方に感謝申し上げます。
今後は、心改め更新が少しでも増えるよう精進します・・・・。と何度言ったことか。でも頑張ります。よろしくお願いします。

さて前置きが長くなりました。
今回のアクセスがなぜ急に増えだしたか?
調べてみると、だいたいわかりました。あるイラスト図が頻繁にみられているのです。

何でしょう?
そのイラスト図をアップします。

仏塔比較図
仏塔比較図 塔及び各時代の特徴。
以前書いた、相国寺の七重塔を3Dで作り直した記事のなかで、ついでに日本の各時代の塔をサイズ別に比較し、簡単な解説も加えた比較図です。

この仏塔比較図はけっこう人気があって以前から検索等でこの図を見られる方がいます。
それが今回は俄に増えた訳です。
なぜ?自分にもよくわかりません。強いていうならばテレビ番組で塔が取り上げられ、関心をもった視聴者の方がネットで検索、そして3D京都にたどり着く(以前、BSの番組で当ブログの3Dが出たときも多かったです)。あるいは学校の課題で生徒たちがネットで調べて、これもまた3D京都にたどりつく。か、ニュースで新たな塔の遺構の発見とか、あるいは連鎖反応??。
とにかくわかりません。
自分で言うのもなんですが、この仏塔比較図、見やすい、わかりやすい、簡単な解説もあって、それが一枚の図にコンパクトにまとめられている。そのへんが評価されている?なんてです 笑。

せっかくですからリニュアール版というか、新たに醍醐寺五重塔も付け加えた 続・仏塔比較図を掲載します。

仏塔比較図(2017-7-7)3D京都
加筆した仏塔比較図




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知恵熱が出た!?

今日、いつもの湖畔を散歩していたら、いくら垣根だからといって伸びすぎじゃないか?と思って、でも花の名を知らず帰って調べたら「アベリア」の花。かっこいいじゃん。アベリア(Abelia)とはツクバネウツギ属のラテン名で中国原産の Abelia chinensis(タイワンツクバネウツギの母種)と Abelia uniflora の交雑といわれている、とのこと。公園などの生け垣によく使われるんだそうです。なんか羽子板の羽みたいですね。

アべリア
アベリアの花

美しい花の名はいいですね。
でも、なかには、「ヤブデマリ」とか「シャリンバイ」、「イボタノキ」、「オトコヨウゾメ」とか、およそ歌にもできそうでない花の名もあります。「歌われない花」・・・・。なんか可哀そうですね。命名者を恨むんじゃないぞ、植物図鑑を恨めよ、と思うのでした。
さて、「飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 後編」を書いたので次は内部、室内編へ行こう。おっとその前に一応外観のお色直しをしておこうと思って3Dをいじっていたら、唐破風と軒廻りの垂木の整合性がアンバランス、そこでストップ。最初から唐派風の横目の垂木との兼ね合いを想定していればよかったのですがそこまで見込んでいなかった・・・。表からみれば、むくり屋根に唐派風が合ってる感じに見えますが、軒下から見上げればバラバラ・・・に見えて、どうしよう・・・また作り直す?それもゾッとする・・・と思案しすぎて知恵熱?がでてしまいました。ホントはアホ熱ですが。

正直、どこまで作り込めばいいのか、また迷ってしまいました。際限ない垂木にテクスチャ(質感)を貼り付けるとそれだけでファイルサイズが大きくなります。それこそ単色ならレゴランドじゃないですが(失礼)データも軽くなるのですが、それでは本物感がない。自分としては、やはり飛雲閣だけを単体として精緻に描くというよりも聚楽第全体を俯瞰するような描き方。各時代を象徴する建築イメージとしての京都を描きたい・・・という思いが強いかな。でも、じゃ、垂木なしでいこう!とすんなりもいかず、遠目に見ると垂木?でいこうかなと今考えてます。で、うじうじと梅雨時のように日が経ってしまった。まだ、考えてます 笑。
知り合い(実は娘)から聞くに、「Maya」だと、薄いレースのカーテンが風に微かに揺れる様までアニメーションで表現できるとか。自分にはそんなハイエンドなソフトは使えない。もう、頭がついていかないですね 笑。

そんなこんなで、もうちょっと頭を整理して内観編に入って行こうと思ってます。

せっかくですから、最近、木造で再建されることになった名古屋城天守閣の3Dをアップします。施工される竹中工務店さんのPV作品。



名古屋城天守閣の3D 竹中工務店


いやぁ、すごいですね!素晴らしい。光と影の演出もGood!。建物の新築感を出すのって意外と難しいんですよね。とくに木造。この動画、竹中さんの公式アカウントではないのでいつ消えるかわかりませんが良かったら観てみてください。


『追記』

「飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 後編」の最後行に書き忘れた分を添えましたが、こちらにも載せておきます。重複申し訳ないです。(H29.6.29)。

今回、飛雲閣を巡って、聚楽第にその存在ありや? 天守閣の存在ありきや?と、甚だ不明瞭な内容になってしまいましたが、一つ、歌人の感性?から、「ひょっとして」と思ったことがあるので書きます。豊臣秀吉の祐筆・御伽衆であった大村由己の記した聚楽第行幸記のなかで次のような表現、言葉の比喩が使われています。「遥閣星を摘でたかく、瓊殿(けいでん)天に連れてそびえたり(瓊殿とは玉のように美しいの意味)。甍のかざり瓦の縫めには、玉虎風にうそぶき、金龍雲に吟ず」。難解な表現ですが、要はいかに聚楽第の甍、天守や殿閣が高く洛中に聳え、その美しいことこの上ない、ということだと思いますが、さすがに秀吉の手前、大きく盛ってはいると思いますが、後陽成天皇の行幸直後に書かれたものですから、その華やかさが伝わってきます。

この表現のなかで気になる言葉があります。「遥閣星を摘でたかく」のところです。星を摘む?そこから連想するのは、そう飛雲閣の三階の名称「摘星楼」です。似た表現でしょう?大村由己はこの詩的な言葉が好きだったのでしょうか。ひょっとすると「摘星楼」の命名者は大村由己かもしれない。なんの根拠もないですけど・・・。

ただ、仮に秀吉が聚楽第に楼閣を建て、その楼閣名を自分で「飛雲閣」と名付けたか?あの秀頼に対する溺愛ぶりで有名な手紙の一節「一日ハ ふしは ( 普請場 ) まで おくり候て まんそく ( 満足 )申候。さりながら、人おおく候て、くちをおもひのままニ すい不申、 いまに わすれがたく おもひまいらせ候。 やがて 参り候て、くちをすい可申候」。 意訳すると、先日は、普請場まで 見送ってくれて 満足です。 でも、人が多くて、思いのままに 口を吸う ( キスする ) ことが出来なかったのが残念で、忘れられません。 すぐに行って、口を吸いましょう、との内容ですが、ご丁寧にも「おかか ( 淀殿 ) に口を吸われてはなりません。 油断なさるな。」とまで書いている。もう明け透けといっていいか、本能のまま書いてます。その秀吉が飛雲閣?ましてや「摘星楼」などというロマンチックな命名をしただろうか?無理でしょう、秀吉は歌人ではありません 笑。きっと御伽衆の大村に「もう、お前に任せる!いい名前つけにゃ」、「ははぁ!、承知つかまつりました。では、摘星楼に致します」と言ったかもです。なんとなくその情景が目に浮かびます。私もかなりアレの方かも、ですが・・・・。

「星を摘む」か・・・。やはり飛雲閣は聚楽第に建てられ京都新城に、そして西本願寺に移築されたのだろうか?一つの比喩を巡りそんな連想がわいてきました。

※ 上記「聚楽第行幸記」のなかの一文は狩野博幸氏の著「秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風」から引用しました。






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ハザードサインのやさしさ

最近、胸へんが張るので、残っていた「逆流性食道炎」の薬を飲んだら、スーぅという感じで治ったので、味を占めて病院へ薬をもらいにいきました。「薬だけでいいです」、「は~い、わかりました、カルテ見てみますね。ちょっとお待ちください」。しばらく待っていると看護師さんが「○○さんにはこの薬お出ししたことありませんよ」、私、「はぁ?」、しばし狐につまされた感じ。でも、だんだん、じわ~っと思い出されてきた。「うわぅ、ここじゃなかった!耳鼻科の先生っとこだった・・・」、看護師さんが笑っていた。「あぁ恥ずかしい」。一年以上とか間が空くとどこの何某でもらった薬か忘れてしまうときがありますね。あぁ、同調を求めてはいけない。私のことのみでした 笑。

でも、そんな忘れてしまうような薬もあれば、
絶対忘れない薬がある。それが一つ二つ増えていく。飲みきれない・・・。22日、乳がんで亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さのニュースをみながらそんなことを思いました。


★ 熱さまシート いくら跳ねても  剥がれない  
    子供の不思議を 病院で視る



熱さまシート

そう、その間違えた内科医院で、どこが風邪?と思われるほどに元気な子供が飛び跳ねていた。何で落ちない?、その熱さまシート。自分だったら寝返りを打てばどっかに飛んでいってしまうかも。子供は軽い、肌はもち肌だから?などと不思議に思いながら、薬剤師さんに聞いた。「それはひとそれぞれですよ。脂性の人やカサカサ肌とかですね」、「でも子供は?」、「子供さんも同じですよ、落ちる子は落ちる、落ちない子は落ちないですよ」。ふぅ~んと思いながらも何か腑に落ちない。きっとその薬剤師さんはまだお子さんいないんだろうなぁ、と思った。
子供の軽さには大人はついていけないなぁ、と、その待合室で思った。そういえば「熱さまシート」は固有名詞、薬品メーカーのブランド名だ。短歌に使っていいのか?30年後には「熱さまシート」も無くなっているかもしれない。すると、私の短歌は宇宙ゴミ?


★ 一瞬の 道空けなのに ハザードサイン 
      点けずにおれない あなたの優しさ 



ハザードランプ


ホントに僅かに車を停め道を空けただけなのに、しかも偶然なのに、私の前に入った車はハザードランプを点滅させお礼を返してきた。そんなに律儀に返さなくても、と思ったけど、嬉しかった。前の運転手は中年の女性だ。運転がちょっとぎこちない。自動車学校の教官だったら「無理にハザードランプを押すことはない。それよりも前をしっかり見て運転しなさい」と小言を言われるかもしれない。でも、ランプを押さずにはおれないんですよね。こんな少しの善意でも感謝を返さずにはおれないあなたの優しさが伝わってくる。
私も「どういたしまして」と示したかったけど、咄嗟のことで要領をえなかった。わたしも、あなたと同じ「ぎこちない」人間なんですよ。






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飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 後編

今、後編を書き出しているところですが、
14日のブログで東京帰りのついでに背景用写真を撮ってこよう、と書きましたが確かに撮ってきました。足に豆ができるほど歩きました。でも、皇居東御苑は金曜はお休みで入れないんですよね、知らなかった。いきなり出鼻をくじかれた感じ。
仕方なく明治神宮に移動。そこでパシャパシャ撮ってましたが、そのときのこと。灯篭を撮っていたら突然背後から40代くらいの女性から「今、撮りましたよね、見せてください。私が写ってるかもしれなから、写ってたら削除してください!」といきなり言われ、小生は呆気にとられながらも、「軒からぶら下がっている灯篭ですから角度は上、写ってませんよ」と言うと、「とにかく見せてください」の一点張り、逆らってこじれるといけないから素直にオープン、スライドしても天井と灯篭しか写ってない。その女性はそれを確認するとやっと納得し、「背後から撮る音がしたから私を撮っているかと思いました」と言うと、そのまま行ってしまった。
何だこれ?、「すみませ~ん、撮ってくれませんか!」とか、「一緒に撮りませんか?」とかは今まで言われたことはありましたが、
今回のように、いきなり「見せろ、削除しなさい」と上から目線で、しかも妙齢の女性から言われたのは生まれて初めてです。
その場では、そのままやり過ごしましたが、今、こうして記事を書きながら、何かムラムラと怒りがこみ上げてきました。私は後から思い出してジワジワと怒りがこみ上げてくる情けないタイプなんですよね・・・・苦笑。ただ、怒りはあんまり引っ張らない性分、翌日にはケロっとしたりします。でも、これはこれで怒りが継続しないのは反撃もできない・・・と何か損した気分になったりして、平凡な男だぁ、としみじみ思います。
 
こんなこと言ったらこのブログ見てる女性の方から顰蹙を買うかもしれませんが、「誰が、アラフォーなんか撮るかよ」とその女性に言い返したい。でもやっぱ、面と向かっては言えない。「助けてください!絡まれてます!」と逆襲に遭いかねない。最近、駅で痴漢と叫ばれ線路に逃げたり、轢かれて死んだ男性のことで世相の話題になってますが、今回、私が遭遇した女性も自意識過剰?で「男性を色物で見るような尊大さが見え隠れしましたね」。時代は「女尊男卑」・・・・あぁ、生きずらい。

脱線しました。本文に入らねば。

中編では、聚楽第に天守は存在したか? という切口からいろいろと書きましたが、今回は本丸のなかに入っていきます。飛雲閣は本丸のどこか?それと聚楽第が解体され後の同閣の数奇な運命、あるいは誤解を自分なりにひも解いていきます。で、まずは本丸内がどんな構造、御殿の並び、林泉の形をしていたのか? 私の作ってみた本丸想像図を基に見解を述べてみたいと思います。想像図を再度掲載します。

聚楽第本丸拡大図(3D京都)
聚楽第本丸の主要部拡大図

本丸内は大きく分けて四つのエリアに分けられると思います。東側の堀沿いは主要な通路となっており北の丸へと通じています。本丸は北と西、そして南の三か所あり、南から入る日暮御門が本丸の正門と思われます。四区画のうち南門に近い南東部に表御殿があったと思われます。玄関から入ったところが遠侍、大名等の控えの間です。奏者の間は大名・公家等の従者の控え間でした。式台の間とも言います。そして対面所があります。二条城でいう大広間と同じです。ここで諸大名・公家と謁見します。規模、間取り等は和泉国の番匠岸上家に伝来したものが残されており、内部は表書院、裏書院、中門、公卿の間等に分かれています。ちなみに室町時代、「主殿造り」と言って、対面や仏事を行う間、寝室などが一つ屋根の下に完結した生活形態の場をそう呼ぶとのことですが、これは、渡り廊下で寝殿や対屋をつなぐ寝殿造りや用途に分けて式台、遠侍、大広間、小書院等が連なる「書院造」とも違っていて戦国時代を経て信長の時代まで続いた建築様式でした。それが信長の安土城あたりから変化があり、秀吉の大阪城、聚楽第へと経るに従って近世の書院造の完成をみていきました。書院造の五大殿である遠侍、式台、大広間(対面所)、小書院、御座の間が揃ったのも聚楽第あたりからで、それが徳川の二条城の二の丸御殿でより大きく踏襲されました。

さて、想像図では対面所に渡り廊下で舞台(能等)に繋がっていますが、これでいいのかわかりません。二条城では行幸御殿が遠侍等より南に位置し、渡り廊下の中間に舞台があります。行幸御殿は天皇の御座所で休息的空間。舞台を観覧されるときは対面所に御座されたのでしょうね。表御殿の御座所ですけど、こちらは格式ばらず内向きの対面の場。二条城でいう黒書院にあたります。そして東につながる御座の間は秀吉(もしくは秀次)の休息、寝所です。二条城では白書院と呼んでいます。

御座の間の北側には台所や料理の間、長局があります。規模も大きい台所は料理場の用途だけでなく、庶務・雑務の事務方や女房衆、家臣の控え間であったりと、いろんな使われ方をしました。料理の間は配膳・盛り付けの意味もありますが、囲炉裏があって家臣同士の談笑や時に家老の部屋とか、女房衆の世間話の場であったり休息の小部屋があったり、まぁ、多目的スペースでした。元々は殿様の暖を取ったりする寛ぎの場だったんですよ。さらに奥は侍女や女房衆の生活の場であった長局。とだいたいこのような構成になっています。一応、それなりに配置したのである程度は当時の御殿の様式がわかると思います。

表御殿とは廊下で繋がっている行幸御殿。本丸西南のエリアに設定しました。表御殿もそうですが広い苑池を眺められるようになっています。屋根は檜皮葺で上の箱棟は黄金で飾られています。隣は中宮御殿。皇后のお住まい、どちらも内向きの対面、休息の御殿となっています。北側には表御殿と同じように台所、長局があったことでしょう。また、寝所であった御座所、それと中宮のため化粧殿もしくは化粧間があったでしょう。行幸時だけの御殿ですから棟数も少ないです。行幸が終われば解体・移築されるケースが多いです。しかし、行幸時は華やかに飾り立てられました。秀吉の御伽衆であった大村由己が著わした「『聚楽行幸記」の記述によれば、行幸御殿の屋根には金龍、御殿の側面には鶴が描かれていました。まさに秀吉絶頂の天正16年(1588年)の後陽成天皇の滞在された五日間だけの存在というか装飾でした。

そして、行幸御殿の南、池のなかに飛雲閣が立っています。御殿からみれば日当たりのよい南向きから同飛雲閣の北向きの正面が眺められます。飛雲閣へは長い渡り廊下で結ばれ向かって右にゆけば風呂である黄鶴台へ、左に曲がれば飛雲閣。舟で渡るなら同閣の室内にある舟入の間へ直接舟着、平安言葉でいうならば詩歌管弦、舟の上で様々な遊興、そして時に芸術論も交わしあったかもしれない。飛雲閣は茶席であり、内々の対面、饗応の場であり、独立した三階建ての楼閣です。回遊庭園のそこかしこから優美な姿が見れたことでしょう。では御殿からなぜ渡り廊下で繋がれた位置関係にしたのか?

実は3Dで作りながら思ったのは、「この楼閣は二階の高欄から、三階から外の景色を眺めるためだけではない。また、対面、饗応、遊興の場だけでもない。実は「行幸御殿、書院の広縁から、そのまま眺められる」ことを前提に正面を北向きにしたのではないか?という着想です。だから、飛雲閣は元々は南向きだったけど移築の際、北向きに180°変えられた、という説には肯けません。最初から北向きに建ててこそ、その美しさが映えるように設計された。そんな気がしてくるのです。

飛雲閣の二階、歌仙の間の外の妻戸には歌仙の姿とともに御簾が描かれています。一見、本物らしく見えますがそうではありません。戸板に直接描かれたものです。俗に言う「騙し絵」ですね。なぜ、立派な三重楼閣にだまし絵が必要?、不思議です。これは私の個人的な感想ですが、書院の縁側から「だまし絵を見て楽しむ」、また、その遊び心を楽しむ。時には画題を変えたり。そんな、ペインティングもできる楼閣だったかもしれない。だから御殿は南向き、飛雲閣は北向きが必要だった。こんな想像はかなり突飛ですが、3Dで作っているとなぜかそう見えるのです。

飛雲閣36歌仙の壁画


後、池の方ですけど、飛雲閣へ直接舟入する黄鶴台を伴った建物は桁行も長く、それに見合った池となると現在の金閣の鏡湖池よりも大きなサイズでないとバランスは取れないと思います。ですから、飛雲閣があったとするならば中編でも書いたこの山里地域しか思い浮かびません。ここには茶室もありました。三井家蔵の「聚楽第図屏風」に山里地域を描いたはずの六扇目が欠損しているのは本当に残念ですね。

本丸北東には奥御殿、正妻である北政所の御殿があったと思われます。表御殿とは直接つながらず、想像図に描きました対面所や広間、小書院、御座の間、その他棟も大阪城の奥御殿を参考に描きました。大阪城は1583年(天正11年)から1598年(慶長3年)にかけて築かれ、聚楽第の方は1586年(天正14年)2月に着工され、翌1587年(天正15年)9月に完成しています。両方ともにほぼ同時期に建てられましたから共通点はかなりあったと思われます。

後、北西の天守のあるエリアですが、これも中編で書いた公家・吉田兼見が記した『兼見卿記』の天正18年(1590)1月18日の記述のなかで、豊臣秀吉の側室の摩阿姫(前田利家の三女。後に加賀殿と呼ばれる)が聚楽天守に住んでいる記述があって、もし、そうなら信長の安土城と並んで天守に居住した数少ない事例ですが、実のところ、この記述が天守なのか、二階建ての楼閣風の御殿だったかは判然としません。しかし秀吉は内裏から聚楽第へ通じる道沿いの家は二階建てにするよう布告を出していますから、城内に二階以上の御殿や楼閣、望楼が点在してもおかしくはありません。秀吉には加賀殿以外にも大勢の側室がいましたから、ここ天守直下のエリアは今でいう高層の高級マンション(当時は二階以上)が立ち並び、そこで側室たちが住んでいたかもしれません。その情景の一つが、「ふと、窓から顔を出した加賀殿と遭遇した兼見」ということです。

以上、ざっと想像図の本丸内を解説しました。飛雲閣が明瞭に存在した確証はなく、結局、振り出しに戻った形ですが、それでも一つだけ最近出てきた聚楽第および飛雲閣の移築についての新説を書き添えたいと思います。

太閤豊臣秀吉が2代関白豊臣秀次の聚楽第を破却した後の京における新たな正式の邸宅として現在の仙洞御所あたりに築かれた城郭構えの屋敷を「京都新城」といい、その呼び名は最近になってからのことで当時は「太閤御屋敷」とか記されていました。

中むかし公家町絵図(1611~1615)
中むかし公家町絵図

この絵図は江戸時代初期の地図「中むかし公家町之絵図」というもので現在の仙洞御所にあたる場所が当時は北政所の広大な邸宅だったことを伺わせます。即ちこれが「京都新城」のことです。よく聚楽第破却後の建物は多く伏見城に移築されたと言われていますが、そのときの伏見城は指月城とも呼ばれ、その後、地震で倒壊、新たに木幡山伏見城として再建されました。地震時は火災は発生しなかったようで、そのまま用材として木幡山に転用されたそうです。ですから、その時点では聚楽第からの移築遺構も残っていた可能性がありますが、関ケ原の合戦の火ぶたとなった慶長5年(1600年)8月の石田三成による伏見城への攻撃でほとんど焼けてしまい、この時点で移築遺構は焼失してしまったと思われます。

しかし、京都新城の方は秀吉没後も北政所が住み続け、聚楽第にも近かったことから、同京都新城にも聚楽第の破却後の建物がいくつか新城に移築された可能性があります。そのなかには飛雲閣もあったかもしれません。その同京都新城も寛永元年(1623年)、北政所が没し、寛永4年には後水尾天皇の譲位後の仙洞御所としてここも破却されてしまい京都新城は消えてしまいました。当時の常としてここの建物も破却時、京の寺院や公家屋敷等に移されたと思われますが、ちょうどその時期と重なるように現在の西本願寺飛雲閣の黄鶴台から「寛永五年三月から寛永六年八月迄‥」という墨書が発見されたことから、これを飛雲閣移築の時期と考える説が俄に浮上してきました。ただ、聚楽第の移築遺構というよりも、京都新城に建てられた遺構として西本願寺に移築された、との説でこのへんが従来の移築説とは違います。本願寺に遺る江戸初期の文書『紫雲殿由縁記』(寛永15年成立、延亨4年増修)に豊臣秀吉の遺構だと記され、これが聚楽第からの移築遺構説の根拠となったものですが、秀吉の遺構という意味では聚楽第と京都新城は共通しており、そのへんの混乱から、本来なら京都新城からの移築のはずが聚楽第に置き換わってしまった・・・・そう推測できる可能性もあります。

京都新城(書き込み付)
洛中洛外図屏風(岡山蔵本)に描かれた京都新城。

上掲の洛中洛外図には「ごしんでん」、また同時代の東博蔵本の洛中洛外図には「〇〇たいゐん」と付箋がつけられ、当時、北政所の邸宅として新城が描かれている様子がわかります。ただ雲に隠れて細部は解らず飛雲閣に似た楼閣も見当たらない。しかし、現在の仙洞御所にひろがる大池が京都新城当時、アコガセ池と呼ばれた池を利用していることから飛雲閣には十分なスペースであり、舟遊びにも適していることがわかる。また同新城は聚楽第の本丸より広い。以上のことから、私なりに推測すると、「どうやら飛雲閣は京都新城からの移築らしい。ただ秀吉が建てた遺構という意味では同じ。そこから混乱が生じ、いつのまにか聚楽第からの移築説が流布してしまった・・・」との仮説が有力な気がします。実際の落としどころとして。ただ、確証はありません。後、付録ですが、洛中洛外図の左奏上の内裏には二重御殿が描かれています。あの三井蔵本の聚楽第図屏風にも描かれている二重の行幸御殿と同じ構図です。ひょっとして聚楽第行幸御殿の移築かもしれない?

結局のところ、飛雲閣が聚楽第からの移築である、という証拠はなく存在自体も証明できません。それでも今回は解らないなりに論点だけは整理してみました。あくまで自分の脳内での整理ですけど。

※ 京都新城については、ウィキペディア及び内藤昌、油浅耕三両氏の論文「豊臣家京都新城-武家地の建築」から一部引用させて頂きました。

後、せっかくですから江戸・天明期に描かれた本能寺方丈の向い唐門を紹介します。この門は聚楽第からの移築と伝わり、現在、これも移築ではないかと言われている大徳寺唐門よりも大きく豪華な彫り物、装飾で飾られた門でしたが天明の大火で失われてしまいました。

都名所絵図本能寺向唐門図
都名所絵図に描かれた本能寺の向唐門


『追記』

書き忘れたのでちょっと付け加えます(H29.6.29)。

今回、飛雲閣を巡って、聚楽第にその存在ありや? 天守閣の存在ありきや?と、甚だ不明瞭な内容になってしまいましたが、一つ、歌人の感性?から、「ひょっとして」と思ったことがあるので書きます。豊臣秀吉の祐筆・御伽衆であった大村由己の記した聚楽第行幸記のなかで次のような表現、言葉の比喩が使われています。「遥閣星を摘でたかく、瓊殿(けいでん)天に連れてそびえたり(瓊殿とは玉のように美しいの意味)。甍のかざり瓦の縫めには、玉虎風にうそぶき、金龍雲に吟ず」。難解な表現ですが、要はいかに聚楽第の甍、天守や殿閣が高く洛中に聳え、その美しいことこの上ない、ということだと思いますが、さすがに秀吉の手前、大きく盛ってはいると思いますが、後陽成天皇の行幸直後に書かれたものですから、その華やかさが伝わってきます。

この表現のなかで気になる言葉があります。「遥閣星を摘でたかく」のところです。星を摘む?そこから連想するのは、そう飛雲閣の三階の名称「摘星楼」です。似た表現でしょう?大村由己はこの詩的な言葉が好きだったのでしょうか。ひょっとすると「摘星楼」の命名者は大村由己かもしれない。なんの根拠もないですけど・・・。

ただ、仮に秀吉が聚楽第に楼閣を建て、その楼閣名を自分で「飛雲閣」と名付けたか?あの秀頼に対する溺愛ぶりで有名な手紙の一節「一日ハ ふしは ( 普請場 ) まで おくり候て まんそく ( 満足 )申候。さりながら、人おおく候て、くちをおもひのままニ すい不申、 いまに わすれがたく おもひまいらせ候。 やがて 参り候て、くちをすい可申候」。 意訳すると、先日は、普請場まで 見送ってくれて 満足です。 でも、人が多くて、思いのままに 口を吸う ( キスする ) ことが出来なかったのが残念で、忘れられません。 すぐに行って、口を吸いましょう、との内容ですが、ご丁寧にも「おかか ( 淀殿 ) に口を吸われてはなりません。 油断なさるな。」とまで書いている。もう明け透けといっていいか、本能のまま書いてます。その秀吉が飛雲閣?ましてや「摘星楼」などというロマンチックな命名をしただろうか?無理でしょう、秀吉は歌人ではありません 笑。きっと御伽衆の大村に「もう、お前に任せる!いい名前つけにゃ」、「ははぁ!承りました。では、摘星楼にします」と言ったかもです。なんとなくその情景が目に浮かびます。私もかなりアレの方かも、ですが・・・・。

「星を摘む」か・・・。やはり飛雲閣は聚楽第に建てられ京都新城に、そして西本願寺に移築されたのだろうか?一つの比喩を巡りそんな連想がわいてきました。

※ 上記「聚楽第行幸記」のなかの一文は狩野博幸氏の著「秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風」から引用しました。






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私の旅は『ヒッピーロードの旅』だったのだ。

木、金曜と東京へ所用があって出かけるのですが、帰りのついでに写真を撮って帰ろうと思ってます。
最近、ファイルサイズが6000ピクセルまで写せるデジタルの一眼レフを買いました。今まで背景用に撮っていた写真が
パソコン画面で見るとボケてしまい「使えないなぁ・・・」と常常思ってましたがこれで解決、と密かに楽しみにしています。
で、効率よく撮ろうということで、都心の皇居東御苑、新宿御苑、明治神宮と、ワイドな和風庭園やバック写真が撮れると
計画を立てているのですが、考えてみたらかなり歩きますよね・・・。途中で熱中症で倒れるかもしれない。
多分、一日では撮りきれないからもう一泊するかもしれない、とか、そんなこと考えています。
多分、撮って我が家に帰ってきたら二日は死んでいると思います・・・
えっ?なにが言いたいの? 決まってるじゃないですか、「飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう?」の後編が
また悪い癖でアップロードが遅れる・・・と、いうことの事前報告??で、ちょっと雑文と小品集、短歌の幾つかでも書いておこうと思った次第です。

話は変わりますが、若かかりし学生のころはユーラシア大陸を一年近くかけて貧乏旅行するなど(体験記はカテゴリ欄に記載)
怖いもの知らずの元気な盛りでしたが、最近は旅に出るのも少々億劫になりました。
盆休みを少しずらして家族で二泊三日、山陰の旅を計画しているのですが、航空券から宿、レンタカーの手配まで「お前がやれ」と押し付けられ面倒くさい。これも、一人旅の話を吹聴したりするから、どうも「旅」ならお前がやれ、ということでヤレヤレ。
いつまでも青年ではないのですよね。

今思えば、ユーラシア大陸を股にかけた、若者の特権でもあったバックパッカー、一人旅も、
実は先輩パッカーたちが切り開いた道、「ヒッピーロード」をそのまま旅したに過ぎない、もっと言えば、遠く楼蘭の昔から
隊商たちが交易したシルクロード南路を、そのままトレースしていたに過ぎない・・・と、
最近、思えてくるようになりました。旅仲間で情報交換した安宿や食べ物屋、ローカルバスのルートや治安情報、
観光ルート、大麻の溜まり場、ヒッピーのコロニーなど、ただ教えられ、それをまた誰かに引き継ぐ。
だから、言い換えればすでにお膳立てされた「ヒッピーロード」をたどり、それが一人旅だと錯覚していたのだ・・・と。

当時、一歩、ヒッピーロードから道を外れたら、そこは現地民しかいない未知の世界であり、
足を踏みいれたらもう二度と戻ってはこれない恐怖を感じました。それほど、日本や欧米の世界と、
あらゆる面で価値観が隔絶していました。だから現地で知り合った人の案内とかでしかその迷宮の中には入らなっかった。
地方都市とかは完全にそうでしたね。

本来の冒険的な旅であれば、それこそ、そんな領域への挑戦が本当の一人旅といえるのですが、
そうはしなかった。物価の安い地域でのんびり逗留し、ハッシッシ(大麻)を吸ったり、フリーセックスを伴った
東洋思想?に溺れたり、ヨガや瞑想に耽ったり、日長、ゴアやプーリーの海で円座を組み、歌ったり踊ったり、
ひたすら自由なるものを謳歌していた。それが何物にも縛られないヒッピーの生き方と思っていました。

それが今の団塊の世代にあたる。
私はその一つ後の世代、ヒッピー世代の最後期にあたります。
ヒッピー的な考えの人はいまもいる。
しかし、時代のムーブメントとしてのヒッピー文化は終わっています。

かつてはヒッピーたちも踏み入れず隔絶していた西南アジア、インド亜大陸の内奥地域、
それも今やネットや携帯、SNS情報が世界を駆け巡り、その壁を崩している。
隣に座った人物がISやテロリストだったりする。
今は、海外への一人旅は気楽なものではなくなっている。
情報の発達と危険との隣り合わせ、なんと皮肉なことだろう。

単純に海外の旅を楽しみたかったら、団体ツアーに参加するのが手っ取り早い。
添乗員、現地のガイドさんがいろんな所へ案内し、いやというほどその国のことを話してくれます。
だから短期間で情報通になり旅を楽しめる。

情報量からいったら一人旅の方がずっとか少ない。ガイドが付くわけでもないし。
それでも、たとえ「ヒッピーロード」を疑似的に一人旅した、と言われようとも、やはり青春時代に
海外を長期にわたって旅した記憶は今も甘美な思いが去来します。
その後の人生に影響した「私だけの価値観」を与えてくれたからです。
たとえ、その価値観が、「生きるのが下手」なものであっても心の財産に変わりはなく。

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『小品集 市電のある街』

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★ ポケットは しまい忘れる 所なの そんな戯言を 君に言われて  

ポケットにしまい忘れて、後で気が付いてポケットから出した時、二重に嬉しいときがある。
危うくなくしたかもしれないのに、しっかりポケットが受け止め忘れていてくれたことが嬉しいからだ。それがポケットの隠れた役割?そんなこと言えば「戯言」と言葉が返ってくるのは当たりまえか・・・

★ エチケット という名のオルゴール しみじみと トイレで耳を 傾け
       る日のあり


音楽でない音楽、それがトイレのオルゴール。トイレの音隠しだ。でも、それがたまに、吸い込まれるように音楽として
耳を傾けるときがある。その日はなにかあった? と、自問自答していたら思った。 そうだよ、最初から音楽だったんだよ。


★ タイトル戦 2ラウンドKOで 湧く場内 延びるPK戦と 時差のない夜

ボクシング

可笑しなもので、ボクシングのチャンピオン戦で一応12回戦まで放送枠を用意していても二回であっさりKO勝ちしてしまうときも
案外ある。 チャンピオンを応援していた観客は大喜びだ。あっけなくKOで勝てば勝つほど興奮は増す。ボクシング好きじゃないの? 
もっと観戦したいんじゃないの? いや時間なんて関係ない。一方のサッカーワールドカップ予選ではPK戦に持ち込まれ、選手も最後の力を振り絞っている。こちらは長時間だ。短時間で勝利を収めても、長時間でもファンにとってはただ嬉しい。そこには時間の時差はない。



★ 理髪店 顔に被せた 蒸タオル 透ける明りは 繭の中に似て


繭


たまに熱いときもある髭剃り前の蒸しタオル。理髪師さんが「熱くないですか?」と聞いてきても、「熱いよ」と言ったことはない。
でも、たまに適温でとても気持ちいいときがある。そんなときは天井を見上げる余裕が出てくる。もちろん、天井は見えないけど、
ボンボリのような明るさだけは伝ってくる。そして、その明るさのなかで揺籃する自分の心がいる。繭の心だ。


★ 夕暮れ レールの上を カタコトと ベビーカーが揺れる 市電のある街

ベビーカー

その慣れてないベビーカーを押しているのは、最近、他所から引っ越してきた若い奥さんだろうか?
きっと市電のある街に住んだことがないから、市電のレールにカタコトと揺られてしまうのかな?赤ちゃんはいい迷惑かも。
でも赤ちゃんも、きっと市電のある街に慣れたころ、一人前の若者に成長していることだろう。


★ てんとう虫 なぜに切り株に しがみ付く 草でも木でもなく 
       その小さき芽に

てんとう虫

てんとう虫は、さがせば幾らでもいる。初夏、雨上がり、とても艶やかなおてんとうを見せてくれる。旺盛な夏は
切り株にも芽がどんどん出てくる。そんな一味違った芽はてんとう虫にとっても美味しいのかな?タケノコを食べるような気分。
こればかりはてんとう虫に聞いてみなければわからない。ところでてんとう虫の好物って何だっけ?


★ いつのまにか 猫はいなくなり また戻る 柔らかきソファーは 万年の床 

猫と言えばソファー、気持ちよく寝ている。そして、しばらく席を外して、ふらふらと戻ってきてソファーの上で丸くなって寝ている。
万年床とはよく言ったものだ。人の万年床は最悪だけど、猫に万年床は似合う。

猫とソファ





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2017年5月8日更新

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寝つきの悪い夜は、いにしえの京を想いながら寝ます。すると鼓の音のように京の日々歳々が甦ってきます。・・・浅き夢みし男のブログ語りです。

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