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3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

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京都御所最大の建物・御常御殿を作ってみました。

お盆を挟んで暑い日差しも少し和らいだ感じですが、読者のみなさんはいかがお過ごしですか。
そういえば、北海道の大雪山系黒岳では早くも初冠雪。何でも、8月の初雪の観測は2003年以来のことで、1974年からの統計では最も早いとのこと!。この天界と下界の違いは何なんでしょう?皆さんも暑さ寒さ?対策に気を付けてください。

さて、前回の記事で御学問所の完成に伴い3DCGも二回に分けて掲載しようと思っていましたが、御所最大の建物の御常御殿を作ってるうちに載せるタイミングを失せてしまいました。何事も興味を持つとそれしか頭に入らないタイプで、もう、日常はスッポリ抜けています。「初盆の提灯代いくらにすればいい?、えっ、そんなこと任せるよ」。そんな感じ・・・・。

京都御所というと正殿である紫宸殿が最大の規模と思われがちですが実は天皇が日常住まわれる御常御殿の方が大きい。その根拠は? と聞かれると自前には寸法図などないのでハッキリわかりません。部屋数が15もあるので大きいことは確かです。

お常御殿の位置を再確認します。


御所作成図

赤く囲ったところが今回完成のお常御殿と御三間、渡り廊です。ここの渡り廊は現在は撤去されています。御所参観の折は常御殿を見学後、ここを抜けて北西にある清所門を出ていくのですね。3Dで作成する過程でバランスを取る為そうしました。

上から見た状態ですと何か紫宸殿の屋根が大きい気が・・・するんですけど、どうなんでしょう。御殿のサイズは昔の不揃いな尺貫法や身舎(母屋)以外の廂部をどこまで含むかによっても大きさが変わってきます。御所の場合だと、どうも隣接する御三間御殿の廂と御常御殿の境界が曖昧な面もあって、それがどうも御常御殿を最大規模にしている感じです。

ちなみに御所内には沢山の上・中・下段の三間からなる広間・座敷がありますが、どのように使い分けてきたのでしょう?まぁ、差別化・序列という事なんでしょうけど、当のお公家さんたちも「今日はどこぞ?」と迷ったかも 笑。

常御殿とともに、読者の方の「庭も見てみたい」とのコメントも頂いたので、細やかですが庭周りと御所内を仕切る長押塀・塀重門も作ってみました。御殿の襖障子や杉戸も張り付けたので結構手間かけました。でも、やっただけ絵になったかな、と自己満足してます。また、御常御殿の一部、南三間も内部を作り込んでみました。

普段、御所参観は外からしか御殿を眺めることはできませんが、
今回は一部、御殿の中を見たり、御殿から外の庭を眺めたり、と、3Dならではの試みもしてみました。実際に上がったことはないので間違いも多いと思いますが、そこは、イメージの世界。まずは見て楽しんで頂ければ宜しいかと思います。


では、まず御所の全景からアップします。(CG等はクリックすると大きくなります)

御所全景
御所の全景です。常御殿と庭園・池が加わったことで前より華やかになったかな。


御所を東から見る
御所を東から見る。

何か源氏物語の六条院に似てきた?

もう一枚、南から小御所・学問所・御常御殿が雁行する様を見てみます。

御所の小御所・学問所・常御殿&庭を眺める

手前には長押塀と塀重門を加えました。少し引き締まった感じかな。ここに塀があるのは公的な儀式を行う紫宸殿と付属屋・回廊とを分けるためにあるのだと思います。あっ、反り橋も添えましたよ。

次にお常御殿周りへと行きます。

その前に例によって同御殿の間取り図をアップします。

常御殿平面図
常御殿平面図。(中央公論美術出版刊「京都御所(新訂)」、藤岡通夫著)から引用。

これを見ると改めて部屋数の多さに驚きます。ちょうど中心には帝の寝所があります。御殿外からはどの方角からも直接侵入できません。必ず廂部及び幾つもの部屋を通らないと入れません。警護がとても厳重だったんですね。帝が就寝中は女官も控えていますが宿直の公家も侍っています。ただし、男子禁制ですから御殿そばの別の詰所ですが。

公家というと筆と紙しか持ったことがない、という風に軟弱に思われがちですが、いや、そんなことはない。刀剣をしっかり持ち警護してます。そもそも宿直自体が寝ずの警護勤務ですからね。だから公家たちも剣術や馬術、弓や鷹狩などの修練を小さい頃から習ってきました。

あの幕末の御所朔平門外の猿ヶ辻で公家の姉小路公知が三人の刺客に襲われるという、俗に「猿が辻の変」がおきた際、扇を振い、刀を奪うなどして奮戦し撃退しましたが深手を負い翌日には亡くなりました。このときの従者はいの一番に逃げたとか。これも公家の鍛錬の一面です。みんな・・・とは言いませんが。それにしても公知が暗殺されたのはとても残念です。岩倉具視と並ぶ維新の立役者になっただろと思ってます。

殿内の間取りを幾つか紹介する前に四方から見た御常御殿の外観をアップしますね。

常御殿南正面全景
常御殿の南正面です。


常御殿南正面アップ
さらにズームアップ。

ここには上段、中段、下段の三間があり帝の日常生活の中でも年賀の祝いなどの行われた表向きの間です。

せっかくですから内部を幾つか。

東正面に帳台構えと剣璽の間を見る
東正面に三間と帳台構えを見る。帳台構えの裏には剣璽の間があります。

剣璽(けんじ)とは、三種の神器のうち、天叢雲剣と八尺瓊勾玉を併せた呼称のことを言い、ここ、剣璽の間に奉安されていました。

各段を見ますと、仕切りの襖がありません。しかも内側に二列づつ柱が立っています。ここに必要?とも思いますが、これが一つの特徴ですね。地震対策かも。

帳台構えと剣璽の間のアップ
帳台構えをズームアップ。


帳台構えと剣璽の間のさらにアップ
さらにズーム。

台構えの写真は、朝日新聞出版刊「京都の御所と離宮」(写真:三好和義)から引用させて頂きました。


上、中、下段とも各十八帖の広さがあります。上段の天井は二重折り上げ天井。組子を用いていて白木の上品さがあります。帝の指示だったそうです。二条城のような金箔と漆、彫金、絵模様を描いた豪華さより清らかさがあります。これも天皇家の伝来の心得なのでしょうね。

中段は普通に一重の折り上げ天井。下段はなぜか天井なしの化粧屋根裏。バランス悪いと思うのですが、平安の古性に拘ったかも。

御上段の折り上げ二重天井
御上段の折り上げ二重天井。素木の組子様式です。

格子欄間と折り上げ天井
透かし格子欄間と中段の折り上げ天井です。

今度は上段から中・下段を見てみましょう。

御上段から下段を見る
御上段から下段を見る。

下段奥の襖障子は高宗夢賚良粥図です。

もう一枚、外から斜めに見た御三間を見てみます。

常御殿三間を斜めから見る


殿内の紹介ですが、
そもそも、御常御殿は基本、男子禁制。上述のごとく宿直の公家がここで警護した訳ではありません。御殿外の詰所にいました。ここで天皇に奉仕したのは稚児と年老いた何人かの男性を例外としてほとんどは女官、女儒(下働きの侍女)といった女性たちでした。
稚児は公家の中から選ばれた少年で、幼少から元服まで女官の長・大典侍に預けられ天皇の側近を務めました。ハッキリ言えば、眉目秀麗な少年が選ばれ女官たちのアイドル、遊び相手みたいなものです。

一方の老男性は向東侍と呼ばれ御殿北西の申口之間に控えていたので「男居(おとこずえ)」と呼んでいたそうです。それにしても老体の男にどのような用向き、需要があったのだろうか?伝令?受付?引継ぎ役?聞き役?。ハッキリ言えるのは警護役ではないな。

先ほども書いた帝の御寝之間、十八帖あります。四方の襖には虎の絵が描かれています。まさに帝を守る猛虎です。ここは二重床になっていて中には籾殻があったそうです。今で言う断熱効果があります。また地面には木炭を撒き湿気除けとしたそうです。また、賊から防ぐ意味合いもあったと思います。天井にはネズミの足音が聞こえない工夫もしていたとか。ここは、まったく陽の差さない暗い部屋でしたから帝もさぞ寝心地良くなかったのではとお察しいたします。
御寝所の東隣に御清間があります。天皇が宮中祭祀に行かれる前に身を潔斎し整える神聖な場所です。

南三間の東隣には南から和歌を伝授したりした帝の書斎である御小座敷が二間、私的な寛ぎの居間が二の間、三の間、次の間と北から西に折れ並んでいます。このうち、二の間は十八帖あり帝が食事される所。また、ごく近親の人との対面にも使われた。

御殿西の二間ある申口之間は帝に仕える女官が控えていた部屋でどちらも二十四、三十帖と広い。

以上、ざっと間取りについて簡単に説明しました。普段、帝がどのように御常御殿を使われていたのか、その一端がわかるかと思います。

ところで、上述した老男性の向東侍ですけど、女官と同じ御殿北西の申口之間に控えていました。一体何なのでしょう?女官たちにこき使われていたのかな?。老人と言っても一応男ですし中には元気な爺もいると思うんですけど・・・やっぱり、用は何なの? そうそう稚児たちの控え間はどこ?。どなたか、有職故実の先生教えてください 笑。

御常御殿を一通り説明したので、他のCGとかもアップします。また、その後、南三間の襖障子や杉戸のCGもアップしますね。順不同です。

常御殿北正面全景
御常御殿の北正面です。


常御殿東正面全景
御常御殿の東、妻側から見たもの。


常御殿西正面全景
東とくれば西。西の妻側からの御常御殿です。


常御殿上段から南の庭を見る
御常御殿上段から南の庭を見る。これも、普段、想像できない風景ですよね。庭はちっぽけですけど・・・。


小御所から庭を見る公達
小御所から庭と苑池を見る。

例によって、いつもの公達も登場。幕末、消えゆく公家の世界を惜しみ偲んでいるのだろうか・・・あぁ・・・無情なり。

御学問所から庭を見る
御学問所からの庭と苑池を眺めます。


常御殿東廂座敷廊下
御常御殿の東廂小座敷廊です。


西廂座敷廊下
御常御殿の西廂小座敷廊です。

女官好み? 御所の廂座敷の畳の縁には桃、紅系が多いです。

常御殿南廂
御常御殿の南廂です。ここだけ板敷きです。


次には襖障子や杉戸の絵を載せたいと思います。

ちなみに、今回の襖障子等の写真図版の多くは、
2007年に京都国立博物館で開催された新春特別展覧会に合わせ出版された「京都御所障壁画 御常御殿 御学問所」
を出典としています。さすが展覧会用とは言え絵の輝きが光っています。撮影技術の違いですかね。

また、毎日新聞刊(宮内庁協力)の「御物 皇室の至宝 障屏・調度」からも引用させて頂いてますが、同書の巻末に御常御殿の障壁画の画題と画家一覧が載っていますので、まず、それからアップした方がいいかな。

御常御殿襖障子&杉戸位置図
御常御殿の襖障子&杉戸の位置図。


室番号と常御殿襖障子&杉戸の画題・画家一覧
各間の障屏番号と襖障子&杉戸の画題・画家一覧。

以上を参考にしてCGをアップしますので何度かにらめっこしてみてください 笑。

御常御殿上段の堯任賢図治図
御常御殿上段の堯任賢図治図です。


御常御殿中段の大兎戒酒防微図
御常御殿中段の大兎戒酒防微図です。


御常御殿下段の高宗夢賚良粥図-2
御常御殿下段の高宗夢賚良粥図です。


西廂座敷廊下南面の杉戸・柳に鷺図を見るのアップ
西廂座敷廊下南面の杉戸。画題は「柳に鷺図」。


南廂の杉戸・武陵桃源を見る
南廂の杉戸・武陵桃源を見る。


常御殿西廂北杉戸・檜に蝉
御常御殿西廂北の杉戸。お題は「檜に蝉」。蝉見えるかな・・・・。


西廂座敷廊下南面の杉戸・柳に鷺図を見るのアップ
西廂座敷廊下南面の杉戸・柳に鷺図のアップ。



御三間の杉戸・雪中小鳥図と常御殿南を見る
御三間の杉戸・雪中小鳥図と御常御殿南を見る。

御三間御殿は御常御殿の西に接続し付属屋御殿。東から西へ十畳の上段、十二畳の中段、同じく下段が続く。ここでは、二月十五日の涅槃会、六月の茅の輪、七月の七夕、盂蘭盆など、内向きの行事が行われました。

御三間への続く杉戸・西王母
御三間への続く杉戸・西王母。



※ 今回は気合を入れ作りました!

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空港物語

旅客機は離着陸するときいつも緊張する。最近は精々乗るとしたら国内線かな。
空港は出発と到着を告げるアナウンスが絶えまなく続く。旅する人、家族、ビジネスといろんな形にせよリアルな人間の行動と生の声が交錯する。

そういえば、10年程前、空港で大失態をしたことがある。
受付カウンターでパスポートを提示したら何とパンチ穴が空いていた!期限済のパスポートだった。もう出発1時間半前ほどだったろうか途方にくれた。今回は諦めて帰るしかないと思ったところ、仲間からまだ間に合うかもしれないと言ってくれたので、普段、利用している赤帽のB氏に緊急電話したら、「じぁ、奥さんからパスポートあずかって直ぐそちらへ飛んでいきますよ!」と言ってくれ、私は藁にも縋る思いで待っていた。

行き先は中国の遼寧省で、工場誘致の視察を兼ねていた。お世話になっている方からのお誘いなのでもし乗れなかったら恥をお掛けしてしまう、と内心、ヒヤヒヤしていた。

そしたらギリギリ間に合って、空港の女性スタッフから走って後に付いて来てください!と言われ、必死になって後を追った。機内に何とか着いたら出発10分遅れだった・・・。

そんな私でも待っていてくれた航空会社、機内のスタッフ、乗客の方に「ご迷惑をお掛けしました」と深々頭を下げるしかなかった。以来、パスポートは念入りに確認するようになった。

ホント私はたまにポカをする人間で、この前も車を購入したとき、確か白のボディーカラーを指定していたはずが納車当日、眼の前に見たのは「シルバーメタリック」だった!。えっ?何で?。とディーラーの担当マンに聞いたら「シルバーを指定されましたよ。契約書にもちゃんと書いてありますよ」と言われ、これも、ちょっと途方にくれた。パスポート程ではないけど。

どうも私の早合点で白とシルバーを言い間違えたらしい。もう間に合わないし、自分の落ち度なので今更ディラーに「換えてください」とも言えず。一言、営業氏に「これからは白は白、銀は銀と間違えないよう日本語で言ってよね」と念押ししたけど、きっと営業氏は「アホなユーザーだなぁ」と思ったに違いない。

後で、知人に愚痴ったら、知人曰く「ほう、それは新しいボディーカラーだね」と返ってきた。えっ新しい色?私が怪訝な顔をしたら彼はニヤっと「シロバー」だよ、とこれまた冷やかされた・・・。

でも、乗って街に繰り出してみると白の同車種がダサク見えるではないか。この車にはシルバーメタリック一番似合う。とホントそう思った。結果オーライである。

しかし、いつも結果オーライとは限らない。
何事も気を付けて慎重に事を運ぼうと、今は、反省している。どこまで大丈夫か、わからないけど・・・・。

あぁ、気分を変えよう。

空港の物語を短歌で詠うことにした。

★ マスカレード(仮面舞踏会) そうかもしれない 空港の 世界中が 集まっている 

羽田空港

小さい頃、黒人さんを初めて見て思わずサインをねだったことがある。きっと黒人さんも驚いたことだろう。今、思うと。

空港は様々な人種と民族のひとたちが、思い思いの衣装を着てロビーに並んでいる。空港だから、それなりにみんな普段とは違うお洒落な服装が多い。しかもカラフル。まるで意識しないコスプレを見るかのようだ。空港はハブとなって世界中の人々を繋いでいる。

★ ディパーチャーを 告げる空港の アナウンス 背中合わせに また一人発ってゆく

空港ロビー

お互い見知らぬ同士がロビーの椅子に座っている。出発のアナウンスに次々と人が席を離れ旅立ってゆく。観光なのか、里帰りなのか、ビジネスマンか、そんな詮索はしない。ただ、無事に目的地まで着くことを心のなかで囁いていたりする。

バスに乗っても、鉄道に乗っても、そんなことは思わない。機体が離陸する一瞬、誰しも鳥肌の立つ緊張感を覚える。そんなとき運命を共にする連帯感が機内に生まれる。そう、群れなす鳥のように。

★ 空港の オイルの匂う 展望デッキ 見送る振り手が 風に乗っている 


展望デッキ

たとえ視界に見えなくても手を振り無事な空の旅を願う展望デッキ。家族や友人、同僚、恋人たちの振る手がいつの間にか乗客みんなに手を振っていた。遠ざかるほど見送る人々の思いは機体に注がれていた。

いつも吹いているデッキの風。幾千の見送る振り手を気流のように支えている。


★ 終便の フライトの発つ ウィングの 還れない国 戻れない人のいる


夜の機影

映画、ターミナルのようなことが実際にあるのだろうか?政治、思想、迫害から逃れる亡命者、祖国の内戦で帰れない人。ときに犯罪者の影も・・・。空港にはいろんな事情を抱えた人がいるだろう。夜になっても、最終便が飛び立っても、ロビーの片隅に居残ざるを得ない人たち。やがて睡魔が訪れて朝、目覚めると一枚の毛布が掛けられていた・・・現実のターミナルにそんな一場面はあるのだろうか・・・。

夜の空港ターミナル



★ 空港で 見かけた藍染は 雲南の ナシ族の碧 玉龍雪山の水


麗江の藍染



玉龍雪山

玉龍雪山。

これも昔の話になってしまう。中国の雄大な景色と歴史と文化に憧れ、中国を旅したとき、現実とのギャップに驚き、旅仲間から聞いた雲南に行ったことがある。当時の雲南は個人旅行者のビザ延長が中国でもっともし易く、若い旅人たちがみんな集まっていた。省都の昆明には目もくれず、直ぐ北に向かい大理の城門も抜け、少数民族・ナシ族の天地、「麗江」まで行った。ナシ族はトンパ文字といって独自の象形文字を持ち、現在も宗教行事には使用されているという。原始仏教にもっとも近いとされ世界唯一の生きた象形文字としてユネスコの世界の記憶にも登録されている。そのトンパ文字と壁画が残っている郊外の白沙村にも行ってみた。ここから望む玉龍雪山は夢のように美しかった。2千メートルを超える麗江からそのまま6千m級の雪山まで前衛峰もなくそそり立つ景色は中国広しといえども少ないと思う。

ただ、白沙村のハチの多さには参った。よく刺されなかったと思う。
帰る途中、藍染で知られる村があるというので寄ってみた。大きな樽に紺碧に染まった水が入っていた。そばには染め上げたばかりの藍染の布が干してあった。

想像してたよりも濃い藍色と白い文様の組み合わせがとても美しかった。日本の藍染よりいいと思った。持ち帰ったら売れるかも、と俗な想いも湧いたが、事実、帰国してからデパートで売っていた。

麗江の藍染の美しさは、きっと玉龍雪山の透き通った水のおかげだと私には思われた。

その麗江と玉龍雪山のパンフレットが台湾便のロビーに置いてあった。


★ 君の眼に 映る翼は メタルブルー  連れてきた私の 誤算だった

銀翼

メタルブルーなる色は存在しない。ただ、光の屈折で青く研ぎ澄まされた色を発光するときがある。
冷徹でメタリックで金属の人を寄せ付けない硬さがある。

君は空に旅立つ銀翼を眺め、その表情はメタルブルーに似ていた。視界の先に私は入っていなかった。何を思い耽っていたのだろう。暫くして君は僕のとなりに座った。交わす言葉も少なかった。

空港に来て、私はあなたの過去を思い出させてしまったらしい。どんな過去かは知らない。ただ、空港には二つの言葉しか思い当たらない。それは「出会いと別れ」。


★ 空港の 傍で育った君は いつのまにか 子を連れていた 飛行機を見ながら

飛行場の子とフェンス

その空港の傍には小さな公園があって、小さな丘があって、「ここから眺める飛行機が一番美しいのよ」と、会うたびに言っていた。その後、君は会計士になったと聞いた。

久し振り、公園に寄ってみたら、何と君がいた。ただ、昔と違うのは子を連れていたこと。一瞬、ためらい、私はそのまま通り過ぎて行った。我が子に空を指さしながら飛行機を追っている後ろ姿は昔と変わらなかった。



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「鉢合わせはご法度」 - 御所の動線システム

暑中お見舞い申し上げます。毎日暑い日が続きますね。私の住む愛知県でもとうとう名古屋が40度に達しました。観測以来初めての40度越えです。皆様とも熱中症対策をしっかりして、この一夏を越えなければならないと思っています。

普段、帝の住まわれる常御殿と大名と対面する小御所との間にある御学問所を作りました。御学問所は帝の学問の場だけでなく公家との対面にも使われました。小御所より一回り小さいです。

ところがです。南北方向の桁行寸法をどうも実際のサイズより1.5mほど大きくしてしまったようです。確定できないのも、そもそも寸法を書いた平面図が手元にないからです(御所の復原工事報告書も渡り廊下などの付属屋がメインです、宮内庁へ行けば多分ある。けど、怖い)。安政度の指図には柱間の間数が書き込まれていますが、現在のような一間が1.82mに規格統一されている訳ではないので正確にはわかりません。

なので、今回の京都御所も紫宸殿の寸法を目安に展開しています。だから奥へ行くほど間違ってるかもです。どうにも襖障子の嵌まり具合が悪いです。無理して横に伸ばしています。

ボヤキはそんなところにしておいて、例によって今回の御学問所の位置図から紹介。

御学問所完成位置図
御学問所の完成位置図。
赤く囲った所です。結構、御所の核心部まで近づいてきました。後は常御殿で第一期は終りの予定。
間取り図も載せます。
御学問所平面図と室内作成図
御学問所平面図。

御学問所は各縁が畳廊下になっていて、その内側に六室あります。今回は東側の上・中・下の三段から構成されている三間については勢いで室内も作り込みました。ただ、帝の御座される上段間は恐れ多いので今回は省きました。

御学問所の特徴は何と言っても床の間があることです。いわゆる書院造りの定番ですけど、小御所にはありませんでした。寝殿造には付き物の蔀戸もありません。濡れ縁の外側建具は細木を縦横の格子にした舞良戸(遣戸)です。格子だから風水害にも強そう。縁の内側は横に細木の入った舞良戸。舞良戸の裏には明り障子があります。室内の襖障子は小御所の大和絵風から金砂子を用いた狩野派の障壁画へと画風も変わっています。

周り縁も上でも書いた通り畳廊下。天井も上段間は折上げ格天井、中・下段は格天井。他は細木が等間隔に並ぶ竿縁天井。現在の和風建築でもよく見かけるものです。廊下間も含めて全て天井が張ってあります。これも書院作りの定番です。それこそ高欄を取ったら寝殿造の面影は消えてしまいます。常御殿へ近づくほど書院造りの要素が高くないっていきます。ただ、常御殿では、蔀戸が復活していて、平安の古制か、居住性の書院造りか・・・どちらも得難い・・・その辺を試行した途惑いが感じ取れます。

もう一つ、詳細な間取り図をアップします。出典は「中井家文書の研究、中央公論美術出版刊」からで幕末、安政度の図です。

御学問所間取り図(中井家文書の研究)
各仕様も書き込まれた御学問所の間取り図(中井家文書の研究)。

西側には北から菊の間、山吹の間、雁の間と三間あります。菊の間は常御殿の煤払いなどの時に臨時の居所とされたとか。蚊帳を吊る金具も付いているとか。西南の雁の間は同学問所で一番大きい部屋で21畳あります。部屋の用途は今一つよくわかりません。強いて言えば、対面前の控えの間とかですかね。

さて、ここから、今回の記事タイトル「鉢合わせはご法度 - 御所の動線システム」について入ります。キーとなるものは「床の間」の位置です。

改めて間取り図を見ると、上段間の床の間は西側、つまり横側にあります。普通ですと、帝の御座される背後、北面にあるのが通常ですが何故か横です。北面には床の間の代わりに襖障子が4枚敷かれています。間取りから見て帝はこの襖から出入りされたようです。

学問所と常御殿周辺の指図を載せます。

帝の常御殿から御学問所への動線図
安政度内裏図の御学問所周辺図(東京都中央図書館蔵)。

記事タイトルは、この帝の動線図を見れば「成程」と私には思われたからタイトルにしました。即ち、「いかに臣下、あるいは他の者と御殿・廊下で鉢合わせしないように」ということを配慮・前提に作られた間取りである、ということです。

では、具体例として、この常御殿から御学問所へと帝がお出ましになるルートを追ってみます。

常御殿から南へ白色の矢印・線を付けました。これが帝の動線です。鍵の手に曲がった渡り廊を経て御学問所の北廂畳廊下へと行かれ前述した上段間の北面襖障子を開け室内に入られます。この間、東廂の北、常御殿からの渡り廊が接する所には目隠し的な杉戸がある廂・縁廊下からは見えないようになっています。

この鍵の手に曲がった渡り廊は帝専用の廊下であり上段間へと誰にも見られることなく入室できる動線となっているのです。で、なかったら、対面する前にバッタリ対面者と出会ったら対面の意味がありませんよね。

もし、仮に床の間が通常の背面の壁に付いていたら、帝は東廂北の杉戸を開けて一端、畳廊へ出てそれから上段間へ入られるか、あるいは菊の間等のある西廂廊から入らざるを得ず臣下の者と鉢合わせする確率は高くなります。

鍵の手渡り廊の古写真があるのでアップします。

京都御所消防演習(明治45年)都中央図書館蔵
京都御所消防演習(明治45年)都中央図書館蔵。

戦前の建物疎開のときに解体され今は塀に変わっています。御所を参観する人はここの塀を潜り常御殿の南正面へと向かうルートになっています。

この鍵の手廊、小御所・御学問所の東前に広がる池泉庭園に張り出すように折れ曲がり学問所と繋がっています。このちょっと遊興感のある渡り廊は指図等で見かけ以前から気になる廊下でした。てっきり寝殿造の透かし廊のように壁がなく、渡りながらに庭園の大池を眺め風趣を楽しむ、そんな渡り廊かと思っていたのですが、古写真を見てまったく違うことがわかりました。しっかり壁のある頑固な廊下です。風趣どころではありません。

これでは常御殿を遮る形になってしまい御殿から大池を望むこともできません。また、庭園自体の開放感と興趣を削ぐ重い存在となりかねない。古写真を見て私はそう印象を持ちました。

では、なぜ、風景を寸断してでも鍵の手廊を設ける必要があったのか?

それは、やはり偶然の遭遇、鉢合わせを防ぐための迂回ルートでないかと思う訳です。
鍵の手自体も、たとえば、摂家の公家がここを渡るとして、帝に身を伏せご挨拶する間を与えるための折れ線、逆に言えば帝も礼を受ける間合いをみる折れ線、そんな感想を持ちました。

帝は皇后・中宮や典侍の住まう後宮や清涼殿・紫宸殿での儀式へと向かうため日々複雑な渡り廊を往還されていました。途中、非蔵人のような地下官人とは出会わないよう中壁で仕切った二重廊。あるいは廊を遮断し過ぎと思われるほどの杉戸の多さ。この多さは何だろう?と思います。

想像するに、防犯云々よりも、鍵の手廊でも書いた帝の臣下との鉢合わせを防ぐための仕切り。先触れする近習の声に杉戸の前で踵を返し帝に出遭わないようにする。あるいは身を伏せてご挨拶するための間合いを与えられる。そうすれば近習が杉戸を開け帝が通られるときに威を正してご挨拶できる。そんな解釈も成り立つと思うのです。

御所には厳しい身分格差があります。入っては行けないエリアや昇殿できない者、自分から先には話してはいけないとか、様々な縛り、決まりがありました。

帝はその身分格差に対応するため「鉢合わせしない」。確かにそうだと思いますが、それ以上に公家や地下官人、女儒などの身分差を越えて共通することがありました。それは天照大御神の末裔であり現人神としての帝に偶然お目にかかることを「恐れ多い」とした当時の人たちの考えが、この「鉢合わせ回避システム」を御所の間取りの基幹に据えたのでは?。

公務等は別にして帝のプライベートな姿は秘して黙す。御簾の奥にベールに包まれた存在。それでこそ尊い。帝は避ける気持ちはなくとも臣下側にとっては「鉢合わせ」など以ての外。

こうした「恐れ多い」の集合体がいつのまにか御所の間取りを天皇と鉢合わせしない動線システムに作り上げていった。これが今回の御学問所の3Dを制作する過程で自分なりに気づいた点です。記事タイトルのごとくです。

さて、では3DCGをいくつかアップします。前編、後編の二回に分け掲載したいと思っています。でないとですね、CGを何十点とアップしたらスクロールして見ていくのは大変。記事最後のランキングバナーまで辿り着く前に「はあぃ、次」とばかりクリックされない可能性もあるかもしれないと、ふと感じそうしようと思った次第です。何より作った本人がスクロールするのも大変だよなぁ、と感じたのですから。何事も程々の長さがいいかな。という訳でいつもながら応援クリックよろしくお願いします!!。

御学問所東正面図
御学問所東正面図。

定番の正面から。外側の舞良戸を取り去ったので中の襖の金箔障壁画が目立ちます。御所の金箔障壁画は金砂子を使うなど豪華さを少し抑えた上品なものになっています。やっぱり左右の桁行が長かった・・・

御学問所東正面図アップ
御学問所東正面図アップ。

さらに近づいてまいりました。下段の奥は岳陽楼図のうちの4枚。原在照の筆。中断に見えるのは蘭亭の図一連のなかの4枚ほど。岸 岱の筆。ここでは対面のほか、歌会始や御読書始めなど行われました。これら襖障子は、「皇室の至宝-御物、毎日新聞刊」及び「新春特別展覧会 京都御所障壁画、平成19年、京都新聞発行」より一部引用させて頂きました。

御学問所北妻側から
御学問所を北妻側から見る。

濡れ縁内側の舞良戸は格子細工のでしっかりした作り。御殿に緊張感のある美しさを出しています。

御学問所北妻側から(アップ)
さらにアップ。

格子の筋がよくわかると思います。

御学問所西正面図
御学問所西正面図です。

こちらは舞良戸と明り障子を交互に並べてみました。もう書院造りの雰囲気満開ですね。

小御所と御学問所
小御所と御学問所。

小御所と御学問所を斜めに並べてみました。

小御所と御学問所を対比
小御所と御学問所を対比。

小御所と御学問所を並べてみました。小御所の大和絵の青が鮮やかですね。
御学問所は、ちょっと金箔を抑えた障壁画ですね。

小御所と御学問所を対比(ズーム)
さらにそのアップ。


御学問所上段間から下段を見る
御学問所上段間から下段を見る。

柱が細いのが気になります。実は壁は厚さ1ミリ?要は一枚です。本来ですと壁は少なくとも100ミリはとりますが、それだと壁は裏表の二枚から構成され3Dを作る上で手間がかかります。一枚の壁に柱を据えるのは比較的簡単ですが、逆に壁が一枚ですので正規の柱を据えたとき柱が結構壁から突起し、それに柱間を支え飾り板ともいえる長押の厚みが柱の幅を越える必要があり、そうすると異様に長押の厚みが大きくなります。まさにアンバランスです。ですから壁一枚には柱をどうしても薄くしがちです。御殿内部を作るときには特に柱の細さが目立ちます。壁の薄さも。厚いか薄いか、一枚か二枚か悩むところです。

御学問所東畳廊下
御学問所東畳廊下です。

天井は竿天井。中断・下段は格天井です。天井が張ってあるので身舎(母屋)と廂部の境が判りにくくなりました。床面は畳廊下。

御学問所上段間を見る
御学問所の上段間を見ます。

上段は御簾に隠れて見えません。御簾を上げるのは恐れ多いので・・・。欄間は細かい細木を縦に無数に並べました。こんなとき思うのはデータが重くならないか・・・という心配がすぐ出てきますがSSDとグラフィックカード、64ビットPCなど性能が上がってきたので、一端、取り込めば後はけっこう3Dもサクサク動きます。ちなみに御学問所まで作った時点でのファイルの容量は400MBでした。

以上、御学問所の3DCGを一部紹介しました。次回は後編として残るCGをアップします。



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上げ底の歌

様々な傷跡を残したが台風12号もやっと去っていった、という訳にもいかない最近の台風。まだ九州に停滞しているようだ。

「台風一過雲一つなく」という表現は最近ではピントがずれている。確かに晴天が戻っても、うだるような暑さが残る・・・。以前はカラッと晴れた爽やかさを伴ってきたけど。

台風が去ると再び耳元に聴こえてくるのはセミの鳴き声。もし、この地上にニイニイゼミの「ツーー」という抑揚のない低周波音だけだったら人はおかしくなるかもしれない。それほど私には不快に感じる。幸いというかクマゼミやミンミン、アブラゼミなどが緩和というか夏らしい不協和音に慣らしてくれるので助かる。

不協和音といえば、
人はみな誰しも何らかの耳鳴りをもっている。難聴のような辛いのもあれば、普段の生活には気にならない程度まで様々。耳鳴りが無ければ人間はもっと気分よく暮らせるだろう、と思うけど、

改めてセミの鳴き声を聞いていると、「もし耳鳴りがなかったらセミの鳴き声が洪水のごとく耳に押し寄せる」のでは?、と、ふと恐怖のように感じてきた。耳鳴りは時として人を自然界の音叉から守ってくれている防波堤の役割もあるのでは?とそう思えてもきたのだが、実際、どうなのだろう?

これで8月に入る。夜は鈴虫の鳴き声が心を和らげてくれる。セミの鳴き声と何と違う!ことだろう。

されど、ヒグラシやツクツクボウシの鳴き声は秋の気配を感じさせてくれる、音律のような心地よさだ。同じセミでもなんで秋らしい鳴き声になるのだろう?不思議でならない。

夏セミのあの「喧しさ」はもっと不思議でならない。暑いとセミたちのテンションも上がるのだろうか?求愛も大声を出さないと届かないのだろうか?

必要悪?
いや、そうではないと思う。人にとって不快でも、自然界は必要としている。だから鳴いている。そう、私は解釈することにした。に、してもニイニイゼミの鳴き声が好きな人っているのかな?

★ 停止線 消えかけた田舎の 駅に立ち 早朝ラッシュの 後の静けさ

田舎の駅

最近は無人駅も多い。ローカル電車のスタイルも変わってとにかくセルフサービス。駅に降りそびれるときもある。
そんな田舎の駅。ホームの停止線も消えかかっている。朝夕だけ通勤通学の乗降客でちょっと賑わう。後はお年寄りとか僅かばかりの利用客がいるだけで眠ったような静けさのなかにある。

寂しさは感じない。穏やかな時間が流れる。

たまに、やってくる電車の音。
そして、なぜか電車の匂いが伝わってくる。
普段、感じたことのない懐かしい匂いだ。

停止線に降りかかる枕木の錆びた鉄の色。

それは何十年と走り込まれ、乗客を乗せてきた田舎の駅の歴史の足跡。

何と錆び色の似合う鉄道駅だろう。

★ 上げ底は 開けてみないと わからない 売る人買う人の 思いが重なる

上げ底といえば贈答品。昔ほどではないけど。それでも、少しでも目立ち、沢山売りたい人、あるいは会社さん。一方、少しでも得したい買い物客。中身はともかく大きければ贈られた先も喜ぶだろうと。ちょっと見栄も。

あるいは、あえて高い値段の小さい物を買ってしばし高級感に喜ぶ人。きっとこの高級感を贈る相手先の人も解かってくれるだろう、と、自分のセンスを自画自賛する人。子供だって上げ底は大好き。サンタの贈り物とかね。

みんな知っていても知らない振りして売ったり買ったりしている。でも、それで喜んだり得した気分になれば世の中は円満に回ってゆく。「上げ底」万歳!だ。


★ 雨粒と 雨音のズレを 頬杖に 興じていれば 猫が邪魔をする

雨粒

頬杖は必ずしも気分の重い時にするものでもないだろう。私もそんな頬杖をしながら何となく雨粒を見ていた。少し後からやってくる雨音のズレにも耳を傾けていた。雨音は後から来るとは必ずしも言い切れない。あの避暑地の一夏。前触れもなく降る驟雨は確かに音が先にやって来た。高原の森の奥のコッテージだから。

猫は雨に詩情など感じないだろう。多分。だから、せっかく頬杖を突いているのに目の前に現れて邪魔をしてくる。猫から見れば私の頬杖は「格好の遊び相手」なのだろう。

★ 充実する 貴女(あなた)の顔は 輝いて 寄せ付けないほどに 孤独の影がある


華やぐ女性

こんな一言を言ってみたくなる。颯爽とした貴女を見ていると。
容姿も美しく仕事もできる。歩くのも早い。並みの男ではついていけない。

隙のない才能と行動力。

でも、その隙のなさが十年、二十年後、
孤独を呼び込むかもしれない・・・


★ 舞妓はん 日本を背負うて いるはると 外人客の シャッターを浴びている

舞妓

京都の舞妓さんには何度かお見掛けしている。残念ながら宴席の場ではない。観光ツアーで回るのも何か味気ない。
京都には今も置屋制度が残っていて15~20前の若い女性が唄や踊り、三味線、茶道、華道、接客から礼儀作法までとことん厳しい稽古を仕込まれ、見習い中が「舞妓」と呼ばれ、認められれば晴れて一人前の芸妓(芸者)になれる。だから舞妓さんといえばほぼ京都限定。

私の住む地方都市にも芸者さんがいた。父が昔、取引先との接待でお世話になったからと、毎年の新年交礼会に招いていた。芸者さんたちは「客」として招待されることを大層喜んでいた。一番若い芸者さんでも40代、最高齢は80歳近かった。それでも芸者さんがいるのといないのでは場の雰囲気が違った。そんなささやかな交友も父が亡くなってからは途絶えた。もう芸者さんたちもみんな引退している。

最後の砦。その一つが京都の芸者さん。中でも人気なのが若い舞妓さんたち。西陣の織物を散りばめた艶やかな着物と初々しい芸と礼儀作法。そして京都弁がさらに可愛さを増す。おこぼ下駄で歩く姿を見るだけでウットリする。時代を越えている。

昔、欧米から、日本のイメージといえば「フジヤマにゲイシャ」だった。しかし、今は違う。ゲイシャではなく「芸者」になった。21世紀の現代においてもなお、昔からの伝統と衣装を纏い客をもてなす文化はここ京都だけかもしれない。

だから、外国の観光客の人たちも京都で舞妓さんに出遭うと凄く喜ぶ。スマホやカメラでずっと撮っている。YouTubeにもたくさんアップしている。それに舞妓さんも笑顔で応えている。

芸妓、舞妓さんたちは、その細い肩で日本の伝統を担っている。


★ 紛失物 見つけた時の 喜びを 幸せと言えば 君は俯けり

私は忘れっぽくてよく物を失くす。で、探そうとすると見つからず、諦めようとすると、ひょんな所から見つかる。その繰り返しだ。失くしたときの嘆きより見つけたときの嬉しさの方が勝るから我ながら始末に置けない。「見つかる幸せ」と言ったらいいのか・・・幸せな気分になれるから偶には失くすのもいい?そんな訳の分からないことを妻に言ったら、呆れかえって苦笑いされた。私はその「苦笑い」から「苦い」を取って「笑」にした。だから短歌に出来た。

※先ほどまでは最後の部首は「笑(えま)いて」でしたけど、実際は呆れかえって苦笑い、その後しばしの沈黙・・・が正解だったので訂正し直しました。



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王政復古のクーデターが成功したのは実は小御所の間取りのせいだった!?

小御所までの3D完成に漕ぎつけました。後は御学問所と御常御殿。それに渡り廊を加えれば御所の雰囲気もかなり出て来るのではと個人的に期待しています。

さぁ、今回取り上げる小御所ですが、幕末の慶応3年12月9日(1868年1月3日)に京都・小御所で行われた王政復古の最初の会議で実質クーデターが行われた舞台として知られています。、同日、先に御学問所で正式に王政復古の大号令が発せられ京都守護職・京都所司代の廃止、幕府の廃止、摂政関白の廃止を決め、新たに三職(総裁・議定・参与)を設けることが決まりました。

総裁には有栖川宮熾仁親王、議定には仁和寺宮等の宮家、中山忠能・正親町三条実愛等の公家、それに島津忠義(薩摩藩)、徳川慶勝(尾張藩)、浅野茂勲(芸州藩)、松平慶永(春嶽、越前藩)、山内容堂(土佐藩)等の大名。参与には岩倉具視、大原重徳、など公家、そして尾張、越前、土佐(後藤象二郎)、芸州、薩摩藩からは西郷隆盛と大久保利通と、各藩から三名づつが任命されました。

このとき、大政奉還した徳川慶喜の処遇が不明瞭で、いまだ大きな力を持つ慶喜の復権を危惧した岩倉具視や西郷隆盛と大久保利通が密談。同日、急遽、親幕府派の公家等を締め出し、場所を小御所に移動、徳川慶喜の官職(内大臣)辞職および徳川家領の削封が強行決定されました。倒幕派の計画通りに決議されたので王政復古の大号令と併せて「王政復古クーデター」とも呼ばれています。

小御所会議
聖徳記念絵画館壁画「王政復古」(島田墨仙画)

で、そこに小御所の「間取り」がどうして関係してくるの?
ということになるのですが。

御所の3Dを作る過程で何も3Dだけに専念するのではなく作る過程のなかで御所の建物がどのような役割、また歴史に関わってきたのか?それらの疑問を文系的発想から解決してやろうなどという夜郎自大なことも併せ目論んでみたいと思っていたのです。

以上のことから「小御所の間取りの秘密」をひも解いてみたいと思います。ただし!例によって強引に3D絡みの所があるので、7割引きで読んでくださいね 笑。

前述で王政復古の大号令は御学問所で発せられたと書きましたが、なぜ学問所?そもそも御学問所とは何ぞや?です。
王政復古の大号令というと小御所で決議された、というイメージがかなり定着していますが実は学問所でした。

「幕末の宮廷」を口述筆記した一条家の旧臣・下橋敬長によれば、学問所は帝の学問をする場だけではなく、講書始や月次の和歌の歌合なども行われ、帝に公家たちが対面、挨拶する場として使われました。
一方の小御所は大名との対面に使われたそうです。
学問所は帝の常御殿と小御所に挟まれた御殿で常御所より一回り小さいです。
しかし、間取りは四周の廂の内側に六部屋ほどに仕切られ結構複雑な間取りです。
それともう一つの特徴は、廊下を挟んで摂政・関白の控間だった八景の間、そして近習の詰所があったことです。近習は公家が務め今でいう侍従職。さらに近くに公家が宿直した内々番所、そして外様と言われた公家衆の詰所。まだ、あります。非蔵人などの地下官人の番所等あって、とにかく殿舎が複雑な間取りで公家たちの集中する空間でした。

そこで慶応3年12月9日。この時の朝議を主宰したのが親幕府派の摂政二条斉敬。
ここで王政復古の大号令が宣言された訳ですが、二条斉敬が親幕府ということもあって新政府からの徳川家の排除が曖昧なままでした。

で、前述したように不満をもった岩倉、西郷たちが二条斉敬などの親幕府系の公家を締め出す行為に至ったのです。
御所の周りは6000人にも及ぶ薩摩藩の藩兵が取り囲んでいました。二条斉敬などもさぞかし肝を冷やしたものと推察されます。

当時の安政内裏の小御所と御学問所の周辺間取り図をアップします。

安政度内裏小御所&御学問所周辺図
安政度内裏図(東京都立図書館デジタルアーカイブから引用)


これで見ると、学問所が廊下を挟んで沢山の殿舎に繋がっていることが分かります。間取りも複雑。一方の小御所は他の殿舎からは離れています。一つだけポツンと孤立している感じです。間取りも単純です。

小御所間取り図
小御所間取り図(新潮社刊・日本名建築写真選集より引用)。

これで見ると、四周を板敷きの廂(広縁、今でいう広い廊下)で囲まれたなかに上・中・下の三段からなる三間があるだけです。
とてもわかり易い間取りです。内壁は一切無く襖障子を取り払えばまさにガランドウ。柔道場みたいなものです。

この解りやすい間取りが、
王政復古のクーデターを強行した一つのカギになるのです。

学問所だったら、親幕府方の二条斉敬が仕切り、慶喜の処遇を曖昧なままにしようとする。しかも、公家たちの詰所、番所があって西郷・大久保なども介入しにくい。

それが小御所なら、元々、大名の対面所だったこともあり武家、武士も近づきやすい。建物の位置も間取りも中の人間を一歩も外に出さない。まさに閉じ込めるのに都合がよい。中の廂も広く三段間から逃れようとする、親幕府系の大名も捕縛、監禁しやすい。たとえば土佐の山内容堂など。また都合よいというか小御所の直ぐ隣に大きな物置もあります。押し込むにはいい?

岩倉、西郷、大久保たちは内心「ここならいける。強行突破も!」と思ったに違いありません。

そして運命の小御所会議。

山内容堂ら公議政体派は、徳川慶喜の出席が許されていないことを非難、慶喜を議長とする諸侯会議の政体を主張しました。山内容堂の猛烈な抗議に岩倉、大原たちも押され気味になり両者譲らずのまま休憩に入る。そのとき下段にいた西郷が岩倉に言った有名な一言「ただ、ひと匕首(あいくち=短刀)あるのみ」。この言葉が土佐の山内容堂にも伝わり、恐れをなした容堂もダンマリ。

こうして岩倉らのペースで会議は進められ最終的に徳川慶喜の辞官納地が決っした。

西郷の迫力も凄みがありましたが、小御所に半ば軟禁状態になった容堂ら公議政体派の負けでした。

クーデター成功の裏には、
実は西郷たちの軟禁計画があった。

そして、それにふさわしい場所が小御所だった。

と、私なりの3D作成からヒントを得た推測でした。

さぁ、本番、小御所の3DCGをアップします。
(現在の小御所は昭和29年に花火の引火により焼失。同32年に再建されたものです)

 参考・引用しました書籍を掲載します。

・京都御所 中央公論美術出版刊 藤岡通夫著

・皇室の至宝 御物 毎日新聞社刊 襖障子等の一部引用

・日本名建築写真選集  新潮社刊 主に間取り図等

・京都御所渡廊及び附属建物復元工事報告書 宮内庁京都事務所刊

・幕末の宮廷 東洋文庫


まず、今回の進捗マップから。

小御所位置図
小御所位置図。赤く囲った所が今回作った小御所の3D。


小御所東廂正面全体(修正分)
小御所を東廂正面から見た図。蔀を取っ払い大和絵の襖障子が色も鮮やかです。

小御所の規模ですが、
南北の桁行が約23mほど。東西の梁間が14m。濡れ縁は含めていません。高さは12mほど。清涼殿とほぼ同じ規模。
ただし廂部分をどこまで含めるかによっては変わってきます。

清涼殿に比べると屋根の妻側も豪華な飾り金具で装飾、華やかです。蔀の裏側には明り障子が付いていて近世の書院造りの要素を取り込んでいます。柱もみな角柱です。廂部分は板敷きですが内部の上・中・下の三段の間は書院造りですが床の間などはありません。廂の天井は化粧屋根裏で、三間は格天井です。

あの、濡れ縁を囲む高欄のタマネギのような擬宝珠ですが、塗金されたものか青銅のままか今一わかりません。
今回は塗金にしましたが多分青銅かも。でも他の飾り金具はどうなんだろう?取り合えず近世らしく金にしました。

北西西廂から見た小御所(追加分)
北西西廂から見た小御所。

結構、迫力あるよう撮りましたが実際はそれほどでないかも・・・


北廂妻側から見た小御所
北廂妻側から見た小御所。


北東から見た小御所と渡り廊
北東から見た小御所と渡り廊。


小御所東廂を見る
小御所東廂を見る。

大和絵の襖障子が18面見えます。


小御所東廂を見る(中アップ)
さらにそのアップ。


左から布障子、小田に賤が種おろす、嵐山大井川筏、曲水の宴
左から布障子、小田に賤が種おろす、嵐山大井川筏、曲水の宴の大和絵が描かれています。

布障子については図柄がわからず、とりあえず無地にしました。ここは多分、水墨画だと思います。


東廂②左から朧月山の端霜、山かつ早蕨折、野辺に春駒
画題は左から朧月山の端霜、山かつ早蕨折、野辺に春駒です。犬が可愛い。


東廂③左から柳に鶯、粟津原、清涼殿東庭に於ける小朝拝
画題は左から柳に鶯、粟津原、清涼殿東庭に於ける小朝拝です。



小御所を南東から見る
小御所を南東から見ます。



東廂内部(修正)
東廂の内部です。天井が張ってなく化粧裏屋根で高いですね。
虹梁も何本も迫力があります。自分で言うのもなんですが。



斜めからの東廂内部(修正)
同じく斜めから見た東廂内部。誰ぞや公達がみえますね。



紫宸殿と小御所
紫宸殿と小御所です。


北西から見た御所(小御所追加)
北西から見た御所。

屋根の甍がだいぶ増えてきました。


小御所と紫宸殿の並ぶ屋根群
同様に甍群です。


南東から見た御所の全景(小御所追加)
南東から見た御所の全景。


南東からから見た御所の甍群
南東からから見た御所の甍群


東から見た御所の甍群(小御所追加)
東から見た御所の甍群。



東から見た京都御所(小御所等追加)
同じく東から見た京都御所。






小御所から茜空を眺める公達
小御所から茜空を眺める公達


なぜか独り、物想いにふける公達。密かに想い女人のことを考えているのだろうか・・・


黄昏の紫宸殿と小御所(追加分)
黄昏の紫宸殿と小御所。



茜色の空と御所(小御所追加)
茜色の空と御所です。


以上、お粗末様でした。
次は御学問所です。飽きたと言わないでください。
公家町を再現するには何といっても御所が中心なんですからね。



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