3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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秀吉の聚楽第に在った頃の飛雲閣を想像してみた 「外観編」

一応、飛雲閣の外観3Dができたので3DCG図をアップしてみます。今回はCG図をメインにアルバム風に載せます。飛雲閣についての「聚楽第からの移築説」や「聚楽第の何処に存在したのか?」、「そもそも存在したのか?」などの考察については次回私見も含め書いてみたいと思っています。

まずは現在の飛雲閣の姿から、
現在の飛雲閣
現在の飛雲閣

聚楽第は関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅として天正15年(1587年)9月に完成されました。した。天正16年4月14日には後陽成天皇の行幸を迎え(行幸は秀次のときを含めて二回あり)、また天正少年使節や徳川家康の謁見もここで行われました。しかし、秀吉に子が生まれると後継であった秀次が謀反の廉で文禄(1595)7月に高野山で切腹。翌月には徹底的に破壊される憂き目にあいました。聚楽第がこの世に存在したのはわずか8年、とても儚いものだったことについては皆さんもよくご存じのことだと思います。

さて、今回作りました3Dの飛雲閣の外観。現在のものとは違い、「聚楽第に在った頃はどんな飛雲閣だったのだろう?」というモチーフをテーマに想像復元を試みてみました。ですから外観もけっこう違う面もあります。当然、自分の想像がかなり含まれていますが、参考にした資料、絵図屏風もあります。

豊臣秀吉の築造した聚楽第については、実際にこの世に存在した期間が少ないので資料そのものが少なく、いまだに「西本願寺飛雲閣は聚楽第からの移築? 伏見城経由? 本願寺が建てた」等々いろんな説が出ていて確定してません。自分的にも、その少ない資料を読んだり見たりすればするほど「飛雲閣が移築か?そうでないか、余計わからなくなってしまうというのが正直なところです。

でも、そうは言っても100%想像では夢がないので今回は、現存する幾つの屏風から「秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風」を参考に「聚楽第に在った頃」はどんな感じ? で描いてみた次第です。なお同屏風は青幻舎刊・狩野博幸著の「秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風」の内容に基づき写真・文章の一部を引用させていただきました。


秀吉聚楽第行幸屏風
秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風の一部

その「秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風」についてですが、平成20年に、上越市内の一般住宅から聚楽第の様子を描いたと思われる屏風が発見され、上越市立総合博物館が翌平成21年2月、同志社大学教授・狩野博幸氏に調査を依頼、結果、豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎えた際の行列の様子を描いた作品であると確認されました。この新発見の屏風は、後陽成天皇が御所から西の聚楽第へ鳳輦(ほうれん)に乗り移動する様子、また随行する公家・大名、そしてその様を見ている町衆などの姿が活き活きと描かれているのが特徴で、聚楽第を描いた絵画は数例ありますが、このような当時の行幸の様子が描かれたものは、この秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風しか見つかっていません。

屏風の制作年代ですが、
描かれている町家や鳳輦の特徴から、聚楽第が存在した年代とは食い違いがあり、屏風は江戸時代前期、17世紀中ごろから後半にかけて制作された作品だと言われています。作者は当時の「町絵師」によるものではと推測されます。

ちなみに現在残る屏風のなかで聚楽第が存在した時期に描かれたものとしては唯一とされる「聚楽第図屏風」(三井記念美術館蔵)と比べますと、まず天守閣の形状が違います。三井屏風が望楼を載せた初期型に対し今回の秀吉行幸図屏風は望楼を残しながらも形は層塔型で壁は柱の出た真壁の漆喰塗、何となく秀吉よりも後の徳川二代目将軍・秀忠あたりを思わせる外観です。三井の方は二層の殿閣をはじめ様々な殿舎が描かれています。一方、行幸版の方は殿舎が少ないですね。両図共通に言えるのは飛雲閣らしき建物が見当たらないことです。人によっては飛雲閣自体が天守閣だった、との見解もありますが両屏風を見る限り天守には似ていませんね。大広間・対面所のような主要な殿舎群がちょうど二条城二の丸御殿のように南から北へ雁行するように描かれているのに比べ両図とも大きな池や築山があったとされる本丸西側の山里は雲に隠れ見えません。飛雲閣はここにあったのかもしれません。


三井版聚楽第屏風
「聚楽第図屏風」(三井記念美術館蔵)

この「秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風」については、実際の行幸時に描かれたものを複写され残された屏風ではないか?との推測もなされていますが、自分的には、徳川家康が幕府を開いて以降、豊太閤秀吉とその遺児・秀頼の権威が落ち消えていくなか、かつては華々しく聚楽第で行幸も行われた栄華の絶頂を屏風に残しておこう、という大阪方、秀頼方もしくはその縁を持つ人の意思があって描かれたのではないかと思います。ですから権力の象徴である天皇行幸を主題に描かれたものだと。

実際、「秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風」には、秀吉の御伽衆であった大村由己が著わした「『聚楽行幸記」の記述にある通り、行幸御殿の屋根には金龍、天守最上階の壁面、そして御殿の側面には鶴が描かれています。他の聚楽第屏風には描かれていない唯一のものです。当時、行幸時の御殿は行幸が終わると直ぐ破却され他に移築などされました。二条城の後水尾天皇の場合でも同様で仙洞御所等に移築されました。ですから、この龍と鶴の意匠も後陽成天皇の滞在された五日間だけの存在でした。その短い五日間がピンポイントで描かれているのですから、まさに聚楽第の栄華を描いた屏風だと言えます。

秀吉聚楽第行幸屏風天守拡大
聚楽第天守閣に描かれた鶴の壁画

今回の飛雲閣には、その鶴の壁画と黄金、黒漆、丹塗りを取り入れ表現してみました。
それでは、いろんな角度から見た聚楽第時代の飛雲閣?をアップします。まずは、正面北向き玄関から、

聚楽第の飛雲閣正面ズーム2


次に鶴の絵が描かれている二階歌仙の間など。実際の飛雲閣にはここに三十六歌仙の絵が描かれています。

聚楽第の飛雲閣正面の鶴絵
飛雲閣二階の鶴絵(聚楽第天守の鶴図を参考にしました)

後は続けさまにどんどん行きます。


聚楽第の飛雲閣舟入
飛雲閣舟入 舟でここから出入りしました。



聚楽第の飛雲閣二階斜めから
飛雲閣を二階斜めから


聚楽第の飛雲閣北東2から
南西から見る。赤っぽい壁は茶室。


聚楽第の飛雲閣北西から
南東から見る。


聚楽第の飛雲閣南から
飛雲閣は北向き玄関なので南が後ろにあたる。けっこ地味。というか後ろから見た写真ないので100%想像。


聚楽第の飛雲閣東側から
東から見る。


聚楽第の飛雲閣西から
西から見る。


聚楽第の飛雲閣真上から
真上から(汗)、飛雲閣って結構間取り多いんですよ。


聚楽第の飛雲閣と靄5-16
薄靄に包まれる飛雲閣。雰囲気出てますかね・・・

夜の聚楽第の飛雲閣5-16-1
闇夜の飛雲閣。二階鶴の絵が白く光っています。三階の摘星楼の唐窓も菱形文様が浮き立ちます。



夜の聚楽第の飛雲閣5-16-5
そして夜の飛雲閣の全景。


以上、拙作ながら「秀吉の聚楽第に在った頃の飛雲閣を想像してみた 外観編」でした。

※3D制作には「国宝本願寺飛雲閣修理工事報告書」を参考にさせて頂きました。




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畳考

まずは3D制作現場から、
今、制作中の楼閣3Dですけど屋根が一揃いできました。一口に屋根と言っても入母屋や切妻、方形、唐破風、千鳥派風、むくり屋根とフタを開けたら15パターンもの屋根ができました。単体の楼閣だからと甘く考えていたのは間違いでした。この楼閣、かなり複雑な外観をしていて完成したら「一ひねり考えた記事名」にしようと思っています、なんか、「あぁ、あの楼閣かぁ」と多分わかってみえるかなぁ、と思ってますけどね 笑。何度も書いてますが日本建築は屋根が大事、ここが上手くできれば3Dもそれなりに納まる。ということで屋根が終わってふぅーと一息です。

「たまに短歌」の久しぶりの更新です。

★ 競い馬 祭りの後の 静けさは 白い砂地に ただ旋風の巻く


yabusame小
出典:砥鹿神社HPより

5月の連休、とある神社でお祭りがあり、毎年呼び物の流鏑馬神事がありました。装束に身を包んだ少年たちが五色の布引きを両手に持ち、馬場を疾走して行きました。疾風に揺らめき流れる五色の布引が鮮やかです。

そんな鮮やかな祭りなのに何でこんな旋風(つむじ)の歌になってしまった・・・。僕はこう答える、「華やぎの後だから、大勢の観衆が去ったあとだから、その余韻が心地よい。馬場の砂地には、まだその余熱が残っている」と。鳥居を潜ったらそこで余韻は立ち去り、喧噪な連休明けが待っている。

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「畳考」と言っても特に論文のようなものがあるわけではありません。
ただ、畳の立場が気になって駄文ですが書きたくなったのです。

「なぜ西洋の文化はかっこよく、日本の文化はダサいのか?」
そんな嘆きをたまに聞いたりする。そして、その中に畳もあったりする。考えてみれば西洋文化と言っても正確に言うと、ローマ帝国の古代地中海世界の公用語であったラテン語のその系譜を引く西洋諸国たち。隣国同士が切磋琢磨して文明・文化を磨いていく地域圏、それに対して日本文化は一国、多勢に無勢でちょっとアンフェアだ。絵画だったらフランス、音楽だったらドイツ、という風にそれぞれ得意分野で迫られたら日本もたいへん。

確かに身長、足の長さでは負ける。だから日本の文化はダサい? そんなことはない。日本の持つ独自な感性の文化は世界に誇っていいものだ。ただ、そうは思っても、私のような「日本大好き」人間でも「確かにダサい面あるよなぁ」と思うのも事実。その根拠は? 書き出したら収拾がつかなくなるから、今回は畳に絞って書く。

今でも田舎の家は南玄関に面して八畳二間の床の間付の座敷、さらに仏事・人寄せのため北西の八畳もあったりする。田の字型の家で家族がくつろぐ部屋は北東よりの一間だけ。一番、日当たりのよい南面の二間を客用に使う。しかも使うのはごくたま。お客様、親戚筋第一主義だ。それでは不合理ではないか? 無駄だろう? という最近の気風になって、座敷はフローリングのリビングに変わった。畳は申し訳程度に六畳一間があるかリビングにちょこんと畳スペースがあったりするだけ。どうせなら、畳なんかやめたら?と言いたくもなるけど、そこは日本人、捨てきれないのだ。来客が来たとき客間に使える。やっぱり畳のイグサの香は気持ちいい、とにかく何でも使える便利な多目的スペース、家に一か所はあると都合がいいということか。裏を返せば、畳の部屋は基本、畳だけなのであまり家具とか置かない。椅子も机もソファーもないから寝室にもなる。それは、ある意味で没個性的でもある。ちょうど風呂敷も同じ、決まった形はなく包む品に応じて変化する、使わないときは折りたためば軽くポケットに入ってしまう便利さ、融通加減。しかし、バックのような形の華やかさはないのでもっぱら洋装の現代ではあまり使わない。だが、一見、地味に、ダサく見える風呂敷も、その布地や結び目の凝り方次第で贈答品にもなる芸術性も持ち合わせる。いわば持つ人の感性、センスに頼るところがある。箸もそうだ、洋食ならフォークにナイフと用途分けによる多彩な食器が食卓を飾る。しかし、箸はそれ一つだけで何でも食べられる。便利この上ない。だが、洋食器のようなデコレーション的な飾る楽しみは少ない。しかし拘りのある粋人は形よりも螺鈿細工のような高度な細工美を箸に求めたりもする。風呂敷も箸も形という形はない。強いて言うならば素形だと思う。だから形よりも、よりシンプルで用途の多様性に応じて可変できる面を選択したのかもしれない。

畳もそのような存在だ。
実は畳には、相性のよい家具や置物、装飾品は少ない。和家具させ隅にちょこんと遠慮がちに置くだけ。畳の上には何も置かない。ただ人間だけがそこに座る。何もない真っ新な畳表が畳の真骨頂だ。だから、ここも洋室のような様々な机や椅子、飾り物でデコレーションする面白み、華やかさはない。従って、洋風の生活にすっかりハマった現代日本人にすれば畳の和室、座敷は飾りっ気のないダサいものに思ってしまう。和室には金属やプラスチック、皮系の物も似合わない。似合うのは木質、漆器、紙だ。いずれも植物系だ。絵はどこに飾る?床の間の掛け軸のみ?襖の絵は絵ではない? というか最近はどんどん無地な襖になっている。額縁に飾ってあるのが絵? 床の間は座敷には必須の室礼だ。でも座敷の様式美が完成されすぎていて山水画や書は掛け軸にしか飾れない。生け花も床の間。ただ、ひたすら畳だけが広がっているシンプルな空間。まるで禅問答の場のようだ。

今のような室内に全面、畳を敷き詰めるようになったのは室町時代。いわゆる書院造の発生だ。書院造はその後の現代に至るまで日本座敷の規範とされ様式が崩れることはなかった。実は日本人の正座の座り方もこの書院造とともに広がっていった。現代人にとって正座は苦痛だ。座敷だとどうしても正座する機会が増える。昔の人は痛くなかったのだろうか?いや昔だって痛かったと思う。ただ昔の畳は今よりも柔らかったようだ。畳の発達とともにもう一つ忘れてはいけないのが、人の所作、礼法だ。これも正座という一種、緊張状態のなかで生まれた作法。おそらく私たちが思っている以上に洗練された身のこなしだったようだ。不自由の美学。正座の痛みはこんな側面もある気がする。

一見、面白みに欠けるような畳の世界。
でも、それが一瞬、京都にテレポートしたとき、畳の世界から眺める和風庭園の静寂と心地よさ。この郷愁にも似た心の安らぎはどこからくるのだろう?畳がなかったら? やはり寂しいだろうなぁ・・・。日本人のフォーマルさとは何だろう?成人の日の女性の華やかな着物、七五三、結婚披露宴での和装のお色直し、最近増えている卒業式袴。結局は日本人のここ一番のフォーマルさとは和装なのかなと思い、その和装が一番似合うのもまた畳の世界なのだな、と改めて思う。






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孫を歌うな、老いを歌うな、夫婦を歌うな・・・

まずは現場レポートから、
「インスタやるとAHOになる?」で書いた某楼閣の3D作りですが、とりあえず幾つかある屋根の一つが出来ました・・・、ホントはもっと屋根を作る予定だったのですが、ここ二日、熱が出てしまい作る気になれませんでした・・・。体力無い割に食欲は普通にあるのですが、自分の場合、疲れてくると喉が炎症を起こす癖があって、怠け心に余計拍車をかけている次第で面目ないです。
※ 後ですね、書体も人気のある「メイリオ」に変えました。ブログランキングも事後報告ですが、日本史部門は「総合人気ブログランキング」に集約、短歌は「日本ブログ村」の短歌部門に移しました。ともにブログのランキングサイトでは最大級なのでその相乗効果も期待してます。

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私は詩人の中野重治の詩が好きです。もう故人ですが詩の世界では知られた方です。

中野重治
詩人の中野重治

好きな「しらなみ」という詩のなかで、

 ああ 越後のくに 親知らず市振(いちふり)の海岸
 ひるがえる白浪のひまに
 旅の心はひえびえとしめりをおびてくるのだ


と歌う一節があって好きですね。人を寄せ付けない断崖の海は荒々しいまでに旅人の心を締め付けるのに彼は、「しめりをおびてくるのだ」と淡々と詠んでいるところに斬新な感覚を覚えます。

その中野重治にはもう一つ知られる詩があります。

「歌」という詩で、

おまえは歌うな
おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものを墢(はじ)き去れ
すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え
たたかれることによって弾(は)ねかえる歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸郭にたたきこめ


要は昔から歌ってきた花鳥風月、単なる感傷、もののあわれ、などの伝統的な和歌はもう歌うな。もっと、リアルな人間の生活と葛藤を歌え!との意味合いを込めているものですが、これは、中野重治が一時期、共産主義に傾倒し、いわばプロレタリアートのための詩を歌え、との宣言をした詩です。

で、それと、今回の記事タイトルの「 孫を歌うな、老いを歌うな、夫婦を歌うな」と何の関係があるの? と言うわけですが、レトリックの一つとして、本当は可愛い孫を歌いたい、老いの寂しさや安らぎ、夫婦の絆を歌いたい・・・それは人の感情としてごく自然なことだと思います。ただ、身近過ぎて歌というよりも私生活の語り合いみたいになって、それが短歌の表現領域を狭めてしまうのでは・・・という危惧を、ふと、感じるからです。日本では明治から純文学=私小説、という面があって、それは現代にも続き、たとえばお笑いの又吉直樹氏作の「火花」も自己の体験に基づいた小説になっています。私小説が日本の文学表現の幅を狭めている・・・という批評はずっと以前から言われてきたことですが、短歌にもそれは当てはまるような気がします。

なにも短歌は年配の人たちだけのものではなく、若者も含めた幅広い世代で詠まれています。ただ、現実的には年配の方が多く、歌う題材も身辺雑記的な地味なものが多いのが実情です。地味だからダメなのか?、と問われれば「そんなことありません」としか答えようがありませんが、歌う動機が「とにかく作ってみよう」だと、どうしても平板で地味なものになりがちです。私も昔、短歌の結社誌に属し毎月、何首か投稿していましたが、それは義務のようなものであったので自分なりに気に入った歌もなかなかできませんでした。以来、まったく作らない時期、たまに作る時期とかいろいろあって、今は、ただ、折に触れ、眼に触れ、何か共感と感動、さらに美を覚える対象に出会ったときだけ、自然と短歌の一節、ストーリーが浮かんでくるようになり、詠いたい!という衝動に駆られるのです。作歌の対象は、極端に言えば、生きてきて出会ったすべてのもの、目に見えない風や実体のないものであっても、自分と触れ、撹拌し光合成を興すときがある。すると私はそれに感応する。だから、いつ、歌と遭遇するかもわからない。泥濘に足を取られても、そこに「心の光合成」が生じれば、もう詠むモードになる。

ですから、やはり、短歌には単純に「まず先に、情趣、感動ありき」で、そこから生み出されたものが人の心を惹きつける・・・そんな流れが相応しいのかなと思うのです。

「孫を歌うな、老いを歌うな、夫婦を歌うな・・」と言ったのも、実はそれらを直接歌うのではなく、孫を通して、老いを通して、夫婦を通して、その先にある誰でも共感できる歌の領域がある。そこには、普段、無関心だった人や若者たちも集まってくる・・・そんな短歌の世界を夢見ているからです。

現代において短詩系文学はとくに若者から離れている。辛気臭い、華やかさがない。老人の歌うもの、LINEで十分、そんな時代状況のなかで、短歌はどうしたらまた、みんなの興味を引くことができるのだろう?

それは自由詩である現代詩にも同様に言えることだ。
今の時代は詩で心のうちをうたう言葉、文学の衰退期に差し掛かっている。
ではどうしたら?

もう一度、万葉の昔にもどろう。
煩雑な現代は5、7調で繰り返される長歌のなかに織り込もう、、そして最後の結詞に短歌にまとめよう。
長歌の抑揚と韻はきっと日本発のラップになるだろう、と。




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インスタやるとAHOになる??

しばらく3D制作をサボっていたので今、新しい作品に取り掛かっています。前、新選組の最後の本営・不動堂村屯所の間取り図を作成、さあ、これから3Dで立体化・・・・というところで止まったまま。結構な制作日数がかかる予感がして怖気づいて結局そのまま放置状態で今日を迎えました。相変わらずの怠け者です。いずれ、作って完成させる予定ですが、今回は先にコンパクトな亭閣を一つ制作開始しました。何を?、と問われても申し上げられません。また、言っただけで未完成・・・・になったらブログを見て頂いて方に会わせる顔がありませんから・・・。

と、このような3D制作の現場レポートでした 笑。

さて、インスタ? インスタントラーメンの略称?などと、書くと低レベルな「オヤジギャグ」になってしまいますが、
正式にはInstagram(インスタグラム)、略してインスタ。昨日の昨日まで「インスタ?はぁ?」状態でしたが、ちょうど、志村けんの〇珍事件がインスタ上で発生という事案をネットで見聞きして初めてその「インスタ」なるものの名前を知って、どうやら写真がメインのSNSらしい、とその存在を薄っすらと知った次第です。

インスタロゴ2


で、先日、とある起業家たちの勉強会があって、僕(ここだけ僕)も何となく末席で参加しました。
そのとき、プロのアフェリエイターの方の講話もあって傾聴しました。アフェリエイト自体は一応、私のブログにもアマゾンの購入広告
が貼り付けてありますが、実態はお飾りで私のブログ経由でアマゾン商品など買われた実績などゼロです。そんな私からみると、そのアフェリエイターの方の月収はなんと60万! 信じられない!そもそもアフェリエーター専門で食っている人に会うのも初めて、名刺にも「アフェリエーター」の文字や躍っている。まだ、若い方ですよ。

その方によれば、自分のサイトが「いかに知られるか」そのことだけに集中する、と言われてましたが、確かに言われる通りで、その観点からみれば私のブログなど一定の興味を持った方しか見ないからまぁ門外漢そのものですけど。普通のブログですと、ランキングなどのアイコンを押して頂けるととても嬉しいわけですが、アフェリエーターさんのサイトでは、逆にそれはマイナス。そんなことより、ひたすら広告だけををクリックしてもらって、1クリックいくら?の世界に集中する訳です。

で、そのアクセスを集中するためには検索のキーワードと非リンクが重要とのこと。
google、yahooあたりで年間の検索数は2兆回以上にも及ぶとのこと。一秒あたり6万回ですね。で、その膨大な検索数についてgoogleなどのトップページ10に入るようなキーワードを見つけ、いかに自分のアフェリエイトサイトに誘導してゆくか? そのへんの手法がいわゆるSEOなるものだそうです。じゃ、どんなキーワードが広告に引っかかる? そこでツールとなるものがgoogleで出ている無料(今は停止状態かも)のキーワードプランナーやGoogle アナリティクス、Search Comsoleなどの使って広告の投資収益率や、その要となるキーワードやコンテンツを把握、そしてそれを自分のサイトに反映させる。すると、月200万PV(ウェブサイト内の特定のページが開かれた回数を表す)で月収60万とのこと。

へぇ、とため息ついて聞いてましたが、正直、それで稼ぐよりも、金にならないことでも、自分のブログを通して情報発信する。それが何らかの形で世の中の役に立つ。そっちの方がいいなと思いましたけどね。

で、肝心のインスタですけど、そのアフェリエーターの方から宣伝媒体の一つとして話に出て、インスタがどんなものか実際に見せてもらった訳です。やっと、ここからインスタ書き始めます。相変わらず起承転結の苦手な八方飛びの私目です。

インスタは最近、人気が出てきた写真に特化したSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略)で、とくに若い世代の女性に人気があるとのこと。ただしツイッターのような拡散性はない。彼女らからすれば、もうフェイスブックは古い、30代以上のおじさん?たちが使うもの。彼女たちは見たいタグで検索され出てくる写真を見て「綺麗!」とか「カワイイ!」とか、楽しんでいるらしい。

フェイスブックが本名を証し実際に知っている仲間同士のツールとすればツイッターは匿名で自由に拡散できる。ただし書き込みは140文字まで。これじゃ、挨拶ぐらいしか書けない。

それがインスタになって、さらに書き込みが減り、もう完全なる写真の世界、イメージの世界。そこには書き込み・文章が入り込むスペースはなく、感嘆詞、形容詞だけがひたすらSNS上を駆け巡る。もう究極のSNSの世界なのか?

私は本が好きで若い時は小説や哲学書などいろいろ読んだ。ある夜はドストエフスキーの「罪と罰」を徹夜して読み、朝を迎えたら感動の涙にむせび泣きした(ちょっとオーバーかな)こともある。だから、その時の言葉、語彙の蓄積があるのか、今でも、たまに短歌を作るとき、文章を書くとき、自然と、そこの箇所に合った語彙や文体がスッと浮かんできたりする。それは物事の把握やコミュニケーション作り、時に冗句と話題作り、ビジネスやいろんな場面での発想力にも役立つ。

それが、先に写真ありき、だとどうなんだろう?一番いいのは記憶・記録性のあるアナログ的な紙媒体から得た知識、ネットから得たテキスト文でも、電子書籍でもいい、それらの複合的な言葉とそこから得た感性と、それを具現化したイメージとしての写真。それらが、ない交ぜになったとき、人間はもっといろんな表現ができる。パフォーマンスの源泉になるのでは? と思っている訳ですが。

などと、つらつら書いていますが、タイトル通り、インスタは見るだけだからAHOになる?? とは書きましたが、正直、今後インスタがどう変貌を遂げていくのかわからない。若い世代は柔軟だから、その場に合ったフェイスブックやツィッター、ラインなどを器用に使い分けていくんだろうなぁ、だから余計な心配もいらないとも思う。
ただ、私のような中高年の世代からみたら、「興味あることを書き込んで、イメージした写真を見る、写真から得た感想を文章に書き込む、このやり取りが好きですね。

SNSでは気持ちの丈だけ書けない、残せない。それが寂しいのですよ。






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▽コメントリスト

梅村京一朗短歌集 世界の「サクラ化」

短歌の記事を書こうと思っていたら、桜も葉桜になって散ってしまいました。
今は少し目を上にして残りの山桜を見上げ嘆賞しています。不思議なもので、普段、猥雑に立っている電柱や広告、アンバランスな家並みも桜の時期は全然気になりません。桜の満開の時期はどこでも絵になる不思議な日本の春です。

その桜ですけど、ニュースによれば最近は海外からの桜の花見を目的に訪れる外国人観光客も増えているとか。各旅行会社の呼び込みもあると思いますが、それだけではない気もしてきます。何で増えたのかなぁ?と疑問も芽生えてきました。海外での桜といえば、あの日米修好の記念として、1912年3月27日に日本の東京市長であった尾崎行雄からワシントンに寄贈され、約3000本の桜がワシントンD.C.のポトマック河畔に植えられた故事を思い出します。その後、ポトマック河畔にはさらに多くの桜が植えられ、今では全米に知られる春の「桜まつり」祭りとして何十万もの花見客が集まるほどにもなっています。

このポトマック河畔の桜は海外でも珍しいものとされてきましたが、今は各国にも植えられ、桜を眺める、花見を楽しむ、そんな風景が徐々に広がっているようです。私の直観ですが、これは世界の「桜化(サクラ化)」ではないかと、ふと、思われるのです。

今、世界は民族紛争や移民問題、多くの殺戮とした状況を抱えています。そんななかで、桜の持つ美しさ、儚さが心の情緒として、癒しとして、改めて目を向けられている気もします。「もう争う気もなくなる」と。


★ トンネルの 中で少女は 立ち止まり 父を振り向いて また駆けて行く


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のどかな日和、若い夫婦が子連れで散歩していた。下の子はとても小さくベビーカーはまるで止まっているかのようだ。
遊びたい盛りの上の子はずっと先を行っている。それを父親が追いながら見守っている。
小さなトンネルがあって、その上の子の少女は中へ入っていき、暗がりになると少女はそこで止まった。
怖いのだよね。少女は振り返り父の存在を知ると、また前を駆け小さくなっていった。


★ 電線に 枯れ木の擦れて 軋む音 冬の青空に 爪は痛しき


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電線に擦れる音とは聞きたくないよ。錆びたバイオリンの絃はいやだよ。それでも冬は揺さぶりをやめない。
空に向けて「爪が痛くなりそうで堪らないよ!」と叫んでも自然のなかでは無力だ。


★ 手袋よ 脱げば軽々と 床に落つ 一年経てば また手に帰ってくる




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大層な膨らみを持った手袋も家に帰って脱ぐと軽くなって床へ落ちてしまう。手あってこその手袋だ。
そんなことを呟きながら、また次の冬、手にはめると、手袋あっての「手」だと、その存在の温もりに気が付いてしまうのだ。


★ 石清水 径をまたいで 水の落つ 湖上の春に さざ波の立ち



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湖畔の散歩道を横切る感じで岩の清水が湖へ流れ落ちる。雨の日の水滴のように小さい。
それでも飛沫があがる、波紋が広がる。春には小さなさざ波が似合う。



★ メガネ店 メガネの似合う 店員の 入社動機を 聞いてみたくなる 



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とてもメガネが良く似合う女性のスタッフに担当してもらった。フレームの調整中も見惚れるように見ていた。
「よきメガネ店によきメガネモデルの販売員」、こんなに素晴らしいコラボは想定外だった。 


★ 飲み物の 最後の〆は やはり水 中座のワイン 後座のコーヒーよりも


たわいもない歌ですが、最後は水が一番美味しいと思う。その為にこそワインは、コーヒーはより甘美でなければならない。


★ 早咲きの 桜の花は うれしくも 満開の下 人知れず散り 



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早咲きの桜を見つけ喜んでいるうち、真打のソメイヨシノのそろい踏みがやってきた。早咲きは葉桜に、そして散っていった。
でも、その早生が桜の到来を告げなければソメイヨシノに焦がれる思いもテンションが低かったかもしれない。   


★ 携帯が 代表番号の 占い師 看板の文字も 消えて久しく 

占い師には名前と携帯番号だけの看板を道端に立てれば商売が成り立つような面もある。無店舗営業だ。
だからか、風のようにある日去って行って、また別の場所で開業する。風来坊と言ったら失礼か・・・
でも、その看板だけが相談者との接点だから、文字の薄れ消えた看板を見ると、なぜか、その所在が気になってしまう。


★ 窓の外 見えない空の 死角から 狐の嫁入りが 降り出してくる


狐の嫁入り
然なるままにさんのブログから「狐の嫁入り」を引用させていただきました。

窓は外を見たり部屋を明るくしたり新鮮な空気を入れるためにある。
しかし、その限られた窓枠からは知る由もない空の行雲がある。
死角だらけの空からいつ狐の嫁入りがきても不思議ではないのだ。


★ 海苔を食べ いくら食べても 底のない ただ磯の香りが 遠く海を呼ぶ


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いくら食べても満腹感はない。でも海苔は何かと添えると満腹感を感じる。
近くに何もなく、ただ、ひたすら海苔を食べると次は鼻の出番だ。
確かにホンノリと磯の香がする。何も満たされないある日、私は遠く海の波音がお腹に聞こえてくる気がする。


★ 柚子入りの 蜂蜜越しに 君を見る 連れ添いてきた 歳月は柔らかき 


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暖かいセピアの色を知っているかい?ほら、柚子の養分が蜂蜜に入ると明るくなる。
明るい蜂蜜の瓶ごしに君を見ると柔らかい表情だけが伝わってくる。
過ぎ去った過去は曖昧なものにしよう。さすれば喉のつかえが無くなり歳月は甘美なものとなる。
さぁ、今日も柚子を蜂蜜に入れよう。


★ 寒椿 なぜお前だけ 鮮やかで 風は裸木を こすってゆくのだ


寒椿

寒椿の赤い花が眩しいほど美しい。私もただただ見惚れている。
風は肌を刺すほど冷たい。周りの裸木を遠慮なく吹きぬいていく。

同情ではない、ただ、なぜ、こんなにも風は裸木を鞭のようにこすってゆくのだ。
寒椿との、そのあまりの違いを冬はまざまざと見せつけてくれる。
「風に耐える裸木だけが春に緑なすのだ」と。


★ 春一番 轢かれた音が 木霊する 枯れ木の森を 猫バスの行き

森の道


猫バスとは二番煎じの表現だ。
春一番が吹くと、路上は枯れ木や枝が散乱している。その上を車が踏みつぶしてゆく。
なんとも言えない鈍い音がする。思わず森の中の猫バスに乗って聞こえないどこかへ逃れたい。


★ 向日葵の 季語は夏なれど 冬に咲く 小さき日輪は 菜の花にとけ

冬の向日葵


冬にも向日葵は一回り小さい花を咲かせる。満足に日輪を追っているだろうか?
首が折れはしまいか? と心配していると、なんだ、菜の花畑のなかで黄一色にとけこんでいるではないか!


★ カーテンを 閉めずに目覚めた 窓の辺の 重き滴の 予感するもの 

カーテンを閉めずに寝た朝は部屋も窓も気分も重い。そして窓ガラスを伝わる滴も重い。
重い尽くしのなかで感じる予感も重いのだろか?一発逆転の青空よどうか来てくれ


★ 階段を 上がる音と 降りる音 寝正月の朝  妻は太ったと思う

階段の昇り降りを気にすることなどほとんどない我が家。ただ、寝正月、ごろごろしていることも多い。
だからか、妻の昇り降りが少し重い感じ。言ったら怒られるからブログにこっそり書く。
ただの階段だけど時に違う音階がある。それは何だろう? 多分、鼻歌を歌いながら階段を上がるときだろう。
「なにか良いことあったかい?」。


★ ハシバミの 花はなぜに 緑色 桜に隠れても やがて実は満開に

ハシバミ


ハシバミの花はミドリムシが垂れ下がっている感じでおよそ花には見えない。全然、綺麗ではない。
なに、桜とのこの落差。そんなハシバミに限って桜のそばで咲いていたりする。
でも、満開の桜が散った後、本格的な春になると「待ってました」とばかり鈴なりの果実をつける。ナッツだ。
私もナッツ入りのチョコレートは大好きだ。花をとるか、団子をとるか?どちらか悩んでしまう。自然は上手くできている。



★ 古書店の 本の梱包の 見事さに 見惚れつつも なかなか開けず



古書店


時々、古本をネットで購入する。すると、結構な確率で見事に梱包された本が届く。蟻の入る隙もないほどの密着度だ。
職人芸を感じるが、いざ、梱包を解くのがたいへん。でも解いたときの達成感?もまんざらでもない。実は古本屋さんはそれを狙っているのかも?しれない。丁寧さと、頑固さ、昔ながらの古本屋さんはなぜか懐かしい。


★ 湖岸道 光と影の 彩なしに 吸い込まれてゆく 自分の別がいる

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湖岸の散歩道。歩いていると湖面と岸に迫る木々が光と影の領域に斑模様となる。光をまたぐ?影を踏む?そのどちらでもない世界に私の分身がいる。


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たまに短歌

2017年5月8日更新

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寝つきの悪い夜は、いにしえの京を想いながら寝ます。すると鼓の音のように京の日々歳々が甦ってきます。・・・浅き夢みし男のブログ語りです。

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