3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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たまには株の話でも

今朝のニュースを見たらトランプ米大統領が北朝鮮のテロ支援国家を再指定したそうですね。北朝鮮の強い反発が懸念されます。株価にまたどう影響するのか?見守るしかないですね。

今、引き続き出雲大社古代神殿の3D制作を続けています。大国主様には失礼な物言いですが、当初は「丸太を何本か建てればいいや」みたいに気軽に考えてました。ところがどっこいヤッパリ奥深いですね。しばらくかかりそうです。今回は上空からの遊覧のような軽い動画も作ろうと思ってます。少し前、新しい動画編集ソフトを買ったので早速トライするつもりです。そこでまた知的停滞があるかも・・・・ですけどね 笑。

さて、私なる者もすなる株式投資ですが久しぶり近況など書いてみたいと思います。というか昨年暮れトランプ大統領が当選しそうな勢いが報道されたころからお休み状態です。あのトランプさんですから当選したら何が起こるかわからない不安から所有株を売ってました。

それ以降も北朝鮮の核開発と実験、弾頭ミサイル問題が発生、国連安保理でも全会一致で制裁が決まるなど、今後の世界がどうなってゆくのか先行き不安もあって株を買うのも躊躇してました。

ところが、そんな素人の不安をよそに株価は「そんな核なんて影響ないよ」とばかり日経平均もグングンと騰がり、ついに2万円を越え2万2千円台まで急上昇。私の所有していたナケナシの銘柄も2倍になりました。あぁ、あのまま持ってれば・・・と悔やむばかり・・・。まあ、捕らぬ狸の皮算用ですけどね 苦笑。

今、ここで株価が上がった理由等は書く知識も余裕もないので、もっぱら愚痴と思い読んでください。

トランプさん以後株価がここまで上がるとは予想していませんでした(あくまでに日経平均)。ここしばらくは1万8~9千円前後を行ったり来たりしてましたから。アナリストも今年は確実に2万を越えるという人から2万をピークにそこから下落傾向になるとか、予測もプロでも割れてました。

今回の上昇の反面で、先行き不透明を見越し、売りから入り下落したら買い、その差が利益となる空売りを仕掛けてた方も多かったのではと思いますがその方々は大損。特に信用借りしていた人たちはショックだったと思います。空売りをしていると人間が品性になると言うか、「世の中の不安、不景気」などを無意識に願望する意識が働きます。株価下がった方が儲かりますからね。あぁ、これはあくまで私個人の見解です。

以前のように100万までは無税というNISA取引やFXも最近はあまり騒がれません。あのときの熱気は、煽りは何だったのか?ですね。

つい最近もFX(金融庁が外国為替証拠金取引)のレバレッジ(証拠金倍率)の上限が25倍から10倍まで引き下げられる、との報道がありました(もう決まった?)。レバレッジが高いほど少ない資金でもたくさん儲けることが可能。その代わり大損の可能性もあるということで、今回は特に個人投資家のリスクの軽減が主目的だと思います。しかしレバレッジも下がれば投資商品としての旨味も減り一攫千金も夢となる・・・という状況を招き、これまた個人のFX離れが加速しそうですね。また、デイトレードも減速していますね。
現実として少額の資金で一儲けすることはかなり難しいと思います。

私の場合、元々製造業の仕事をしていた関係から銘柄も製造メーカーが中心で、その御三家はローム、東京エレクトロン、日本電産の株を買ったり売ったりしてました。東京エレクトロンなど今、時価も2万円を越えてます。
ロームも昨年の7月には4千円を切ってました。それが今はあれよあれよの間に1万2千円にまで上昇。その倍率3倍。あの時買って今まで保持していれば・・・でも、そのころはデイトレでチビチビと売買してた・・・というため息ばかりつく自分です。東京エレクトロンも昨年は6千円を切ったときもあって、これ倍率3倍以上。あぁ、これも保持していれば・・・と悔しさ一杯。

よく、損切りを徹底しなければ儲けは出ない・・・と言いますが、
これも損失分を取り戻すだけで精一杯。これが現実だと思います。

以上のようなことから株について思ったのは、
まず信用では取引しない。あくまで手元資金で且つその資金が生活資金や老後に影響しない余剰資金であること。その資金が仮に0円になっても困らない。それほどでなければリスクばかり考え肝心なときに勝負できない。
やはりこの資金要素が大きく、結局、金を持っている人が儲ける・・・という現実です。

私も余剰資金など僅かばかりですからリスクが先行し躊躇してる間にタイミングを逃したケースがたくさんあります。

今、仮に私が1000万円の捨ててもいい資金があったら、
まず三銘柄を300万円ほどで計1000万円分買います。一定の儲けを出すには一銘柄300万円分は買わないとスケールメリットはありません。また空売りはしません。
各銘柄は業種を分ける。三銘柄同時には買わない。社会情勢の変化や関連業種の一時的落ち込み、利益確定で下がったタイミングなど捉えます。時間差購入です。そうすると買ったときよりさらに二番底になるかもしれませんがまたの反発を待つちます。余剰資金ですから不安が先に立ちタイミングを逃す機会も比較的少ない。欲を張らず三勝二敗で気長に取引する。上がるときもあれば下がる時もある。世界経済というものは基本、年率、最低でも0.1%というGDPが上がらないと国家間が成り立たないというのが経済原則ですから、株も長期のスパンで保有。

デイトレや月単位でのスイングトレードは精神的衛生的に良くない。

銘柄の選択は有利子負債、つまり借金がない。その業種でのトップレベルを選択。自分でも経験のある得意分野から銘柄を探す。
基本、東証一部企業が対象。

時代とともに変わってゆく産業構造とそれをリードしてゆく企業選び。

と、これはあくまで私の願望です。

ということで、今は今休眠状態。

新しい事業を始める算段もしていますから、実業で汗を流そうと考えてます。




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浮遊するゼリー

今、出雲大社の古代神殿の3Dを作ってます。どんな感じになるか分かりませんが頑張ってみます。リアルでありアニソンの世界観を併せ持ったような何らかのメッセージを伝えたいですね。

先日、ちょこっとゼリーのこと書きましたけど、しばしその話を。
私の好きなゼリーには季節はありません。しかし、世間は違います。冬になるつれスーパーから減って行きます。あるいは隅っこへと追いやられます。種類も減る。
夏場には、それこそノーマルから飲むタイプ、ジュレな水っぽいゼリー、こんにゃく、スポーツ系、シャーベット等々、たくさんの種類があって選ぶのに難儀?するほど。しかし、私の好きなのはマンゴのゼリー、しかも特定のスーパーにしかない、いわゆるプライベートブランドなゼリー。とても美味しいのにお値段は格安。贈答品のようなゼリーよりも私にはこのマンゴゼリーが好きです。

今時、大手スーパーではそれぞれプライベートブランドがあってそれが「売り」となって客を引き込む。だから値段の割に美味しいものが多い。各スーパーそれぞれに得意分野があるから一か所ですべて揃い買いすることはできない。だから私はそのゼリーを買うためだけにその店に寄る。買い物としては効率が悪い。買い物かごにマンゴのゼリーだけ十個、二十個と入っているのははっきり言って気恥ずかしい・・・。

でも、他の陳列してある高級ゼリーよりも美味しい、しかも最近多いジュレタイプなお洒落なゼリーより昔からあるこの正統派ゼラチンゼリーがお気に入り。

私と同類の人が意外と多いせいかこのゼリー人気がある。夏場などドッサリ置いてある。隣にはもっと値段の張る美味しそうなゼリーがあるのにあまり売れない感じ。本当はそれがもっと売れることを店は望んでいるけどそうはいかないのが悩みどころ。

プライベート・ブランドと銘打ったからには店頭から無くす訳にもいかない。しかもたくさん売らなければ元が取れない。だから冬場でも結構置いてある。小売業者が、自ら開発し販売する商品群「プライベート・ブランド」は最近なんとなく当初の目論見とは違いお荷物的商品、「鬼っ子」になりつつある気がする。

お店としては「本来、高くて美味しいもの」を買ってくれる客が神様だが、客の目に入るのは格安なPB。
だからというか、私の好きなゼリーもしょっちゅう置き場が変わっている。なるたけ目立たないような所にひっそりと置く傾向がある。私も店内を何周か回る。けっして店員さんには聞かない。

ところがある日、「高い金を出しても買いたい」というゼリーに出会った。禁じ手である。
それはファミマのマンゴプリン。二百円を超える。とにかく蕩けるように美味しい。

なので、買い物に行く妻に「悪いけどセブンイレブンに寄ってマンゴゼリー買ってきて」と頼む。
ところが妻は「そんなの無かったわよ」と返答が返ってくる。置いてない?おかしいなぁ?と、思っているうち、
妻が「これじゃない?」と言って買ってきてくれたものがある。

それが「ファミマのマンゴプリン」。ゼリーでなくプリン。コンビニもセブンでなくファミマ。なんで、そんな勝手な思い違いをしていたのだろう? 多分、「最高に美味しいゼリー」という食感だけが頭にあったのだと思う。買い物の神様の妻に感謝。それにしても、食べてみてどう感じてもゼリーな感じなんだけど。鈍感な私も昔からある「ゼリーとプリンの違いって何?」という質問のお仲間なんだろうなぁ・・・

そして、ファミマ通いしてしばらく、少し味に飽きて、
久しぶり、例のスーパーに寄ってPBマンゴゼリーが気になって店内を探したけど見つからない!
もう季節は冬を迎えるし店頭から消えた?と不安におののきながら何回も店内を探し回った。それでもない。
ついにPBから撤退?と諦めかけたころ、あった!あんな所に、なんであんな所に?という場所にあった。
あって良かった。「つい魔が差したんだよ。これからも買うからね」と私は店内を浮遊するゼリーにこれからも付いてゆくことにした。


★ アコースティックな 音が何処からか 聴こえてくる
                                         影のない窓 曇り日の安逸 



アコースティック


短歌を作っていると晴れた日と雨の日、その中間の曇った日。その何れかを題材に作っている気がする。もっと、いろんな多趣味な歌を作らねば、とも思うけどやはり空、自然の営みに優るものはない。そこにちょこっと小物が視界に入ったりすると生活の音が歌に紛れ込むときがある。

約束のある日なら晴れた方がいいに決まっている。でも、無い日は、晴れても、雨でも、曇っても、それぞれに良さというか、情感がある。今日の曇り日はなんかアコースティックな音が似合う・・・。光でも影でもない単色のノートの表紙を見ると、さめざめと心に来るものがある。



★ 梅ジュース 初冬に飲む 生温さよ 捉えどころない 君の仕草にも似て 

 梅ジュース

君の手作りの梅シロップは美味しい。とても美味しいと褒めると、さらに張り切って作り、気が付けば秋になっても終わらずもう冬を迎える。でもまだ少し残っている。
細やかな褒め事でも君は二倍にして返してくれる。君は僕には過ぎた女房だ。でも、褒め過ぎた?飲んでも飲んでも終わらず流石に初冬に飲むのは薬酒だと思って飲んでいる。捉えどころのない味はもうどこか消えて、君への感謝の気持ちだけが残る。いつもの如く正面切って「ありがとう」と言うのは照れるので冗談気味に言う。すると君の仕草はいつも「嘘言っても何も出ないわよ」と半ば怒っている。素直に言えない私が悪いのだけど。



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古代出雲大社本殿を想像してみた。

夏に山陰地方を旅し出雲大社にも参拝しました。
本殿は神社建築としては全国でも最大規模を誇ります。(以下、写真をクリックすると拡大します)


出雲大社本殿写真



近年、その大社境内からスギの大木3本を鉄の輪で一組にした棟持柱(宇豆柱)が3本発見されました。


宇豆柱(古代出雲歴史博物館)
宇豆柱(古代出雲歴史博物館から引用)。
直径が最大で約6mもある柱穴には、大きな石がぎっしりと積み込まれ、世界にも例のない掘立柱の地下構造も明らかになりました。柱の配置や構造は、出雲大社宮司の千家国造家に伝わる、「金輪御造営差図」に描かれたものとよく似ていて、調査により倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱の跡である可能性が高いとのこと。このニュースは歴史ファンにも幅広く知られ、同大社の社伝に伝えられてきた、平安時代には現在の二倍の高さ・48mもの高さを誇る巨大神殿があったという伝承を裏付ける物証の一つとして俄然・注目を浴びています。

季刊大林(大林組)の復元した高さ48mの神殿も出雲大社の社伝に基づき作成されましたが、今回のことで、ただの復元ではなく実際にあった巨大神殿の再建とも思えるほどリアル感を持って迫るものがあります。

出雲大社の本殿の復元想像図


さらに社伝によれば上古の時代には32丈、高さが96mもあったという伝承があります。俄に信じがたいですが、実際に48mの神殿の実在性が事実論として論議を呼んでいる訳ですからまったくの荒唐無稽とも断定はできません。

では、仮に存在したとしてどのような建物の構造と形であったか? また、そんな巨大な建物を重機・クレーンもない時代にどう建造したのか? まったく見当がつかないのが実情です。

そこで、改めて自分なりに本殿の変遷を振り返り、なんと無謀にも3D京都案の想像図を描いてみることにしました。

まず、上古からの本殿の大きさの比較図を正面から見る。(季刊・大林(大林組)の復元図に基ずく)。


三社比較


左から上古(古事記以前)の高さ96mのサイズ。季刊・大林の48m高をそのまま単純に96mに伸ばしたもの。
次に平安時代の16丈、48mの本殿(巷でよく引用される復元図)。そして江戸時代の延享元年(1744)に建立された現在みる本殿。高さは8丈の24mで上古サイズと比べるととても小さく見えるが、それでも7階建てのビルに相当し充分な高さ。それが96mともなると26階建てに匹敵し、あの日本の高層ビルの先駆けである霞が関ビルが1968年(昭和43年)に登場(36階建ての高さが147m)するまで歴史上一番高い建物ということになる。

ただ高さだけでいうなら飛鳥時代の大官大寺、東大寺七重塔、平安時代の法勝寺八角九重塔、そして109mと日本史上最高の高さを誇った相国寺七重塔等々の仏教塔婆の方が高いが、塔の場合、頭上の法輪の部分が塔の三分の一から四分の一ほどを占め法輪を除けばダーンと本体建物高さは下がる。また日本の塔は内部が床を張らない構造がほとんど(近世以前)で出雲大社本殿のように頭頂部に床を張って人間が入れる建物ではない。従って実質、同大社本殿が一番ということになります。

ちなみに日本の木造塔が地震大国なのに記録上、地震で倒壊したという実例はほとんどなく、では何故倒壊しなかったというと、各階が床を張らず積み木を載せたように分離され、心柱も基壇や構造材とは直接接着せず、それが地震のとき振り子のように建物の揺れを矯正する、いわゆる免震構造だったからだとされています。大社の48m本殿もそうだったかは不明です。また塔と神殿では同一には論じられませんからね。

次に横からみた復元図の比較。


三社側面比較
横からみた復元図の比較。
ここの上古時代のものも単純に48mを96m高さにズームしただけ。従って斜め直階段の長いこと!。200mはある。階段を上るだけでも大変。横風など吹いたらそのまま落っこちそうな怖さ。ホントに存在したの・・・? 思えて仕方ありません。

実在説が高まった平安から鎌倉にかけての48mサイズでも100mと信じられないほどの階段長さですが、本当にこんな長大な階段が存在したのでしょうか?
復元図を正面から見ると階段は真ん中から右側に懸けられてあります。中央は神様の通り道だから避けたということだと思いますが、これだと正直、重心が右に傾き建物自体の立地が不安定になるのでは?と素人ながら心配します。平安時代、同本殿は七回も地震・災害もないのに突然倒壊したとの古記録がありますけど、さも、ありなんです。

ちなみに平安時代の宮殿・社寺建築は中国等との交易を閉じ(民間は別)、所謂、国風文化の影響下、貴族文化に代表される優雅で繊細な建物が主流を占めました。従って細い柱や梁、焼きが不十分な瓦等の強度不足が特徴でした。従って当時の羅城門や大極殿などの巨大建築も地震・災害、そして耐久性も弱かったそうです。現在に至るまで平安時代よりも奈良、飛鳥時代の建築の方が多く現存しているのもそれが理由かもしれません。

薬師寺西塔等の再建で有名な宮大工の西岡常一氏(故人)は、釘一つとっても白鳳・飛鳥時代の方が太く室町、江戸時代へと近世になるほど細くなり建物の耐久性も下がったと言われております。今では30年持てば良いという考えの時代。木造建築の価値が下がり粗製乱造の住宅や街並みがどんどん増えています。法隆寺のように古代の1000年持たせるという建物志向は平安以降、暫時減っていったと思います。

だから、という訳でもありませんが、平安時代の出雲大社本殿が何度も倒壊したのも以上のような原因があったとも考えられます。

大林組のプロジェクトで復元想像された本殿は平安以降に特に発達した貫き(柱に穴をうがち梁等の水平材を通す補強方法)や継手(二本の柱を仕口といって複雑な入子を使って一本の柱に接合、通し柱にすること。柱以外の構造材も共通)の導入により48mの高さは可能として復元されたようです。もちろん、柱等の構造材も太いものを使った、との前提ですが。

では上古の96mは可能か?
上述したように貫きや継手も単純だった時代、それこそ古墳時代のように太縄でしばるとか横板や長押で柱同士を支えるような簡略な補強で建てることができたのか? かなり無理があり、ほとんど実現不可能だと言わざるをえないでしょう。

でも、それだと夢がない。
かなり想像が入りますが、たとえば、スギの大木3本を鉄の輪で一組にした棟持柱(宇豆柱)の存在。鉄は古来より「たたら」と言われた製鉄技術です。このたたら技法がとくに盛んだったのが山陰地方。技術も優れていました。出雲といえば山陰。この高度な鉄のたたら技術が上古大社本殿に活用され、建物の強度、巨大化が可能なものになった・・・・、というのは、私のかなり空想の入った96m説の根拠?となるものですが、まぁ、ロマンがあっていいじゃないですが 笑。

さて、こんな私の無理感の半端ない3D京都案による「上古出雲大社本殿96m」の想像図をアップします。

3D京都案の出雲大社本殿正面
3D京都案による上古出雲大社本殿の想像図。
基壇の上に誰か見えますか?小粒のように見えるのは出雲の豪族です。本殿との比較に登場しましたが、それにしても本殿は大きい! 上古においては本殿というよりも神殿といった方が何かシックリくる感じですね。神話に近いからかな。


寝殿の出雲族


本殿部の拡大。大林組さんの復元図をそのまま当用しました。豪族の長もみえます。
その長、上古の服装です。
出雲の豪族
出雲の豪族の長の衣服(原色 日本服飾史 井筒雅風著 光琳出版刊 より引用)



そして、横からの図、


3D京都案出雲大社本殿想像図(下絵)
横からみた本殿想像図。


と、3D京都案も含めた本殿の比較図。

出雲大社本殿の推移(3D京都案含)

どうでしょう?
えっ!ピラミッド?

そうです。ピラミッド型です。やはりというか下半身安定型のピラミッドが一番地震とか倒れにくいし安定していると思いこの形にしました。しいてモデルとなったのは、メキシコのユカタン半島に花開いたマヤ文明の象徴であるチチェン・イッツァのピラミッド。
チェチェンイッツカー遺跡
チチェン・イッツァのピラミッド。

チチェン・イッツァのピラミッドのピラミッドには階段があります。頂部には祭祀に使われたと思われる神殿空間があります。古代世界において、ピラミッドは各文明、各地域に何らかの形として普遍的に存在した建造物です。日本でも古代のピラミッドでは?と目されるものがあります。日本の場合は仁徳天皇陵ではないですが石ではなく土を盛ったもの、あるいは山を削ったもの、山頂に磐座を置いたもの、などが特徴とされています。日本の国土には建築に向いた石、岩山が少なかったことも「土」タイプになったと考えられます。

最近も、NHKが名古屋大学の学術検査チームによるミューオンという素粒子を使ってエジプトのピラミッドを透視、内部に30mに及ぶ空間を発見した、との番宣がありましたが、今後、しばらくピラミッドの話題が続くようですね。

とにかくピラミッドは世界に存在したということですから、出雲大社本殿だってピラミッド型で建ててもおかしくはないし、本殿をささえる巨木や懸け造りの技術、鉄の応用があれば可能かと、ということでこういう形にしてみました。

柱の色等も赤い朱塗りにしました。また、朱塗りの上には縄文・弥生風の文様が描かれ現在の本殿よりもよりシャーマン的な神秘性を帯びていたのでは、と考えています。

神殿に上がる階段も斜めに真っ直ぐ上がる階段では無理があり、踊り場を伴った直階段と直角に上がる折り返し階段のミックスにしました。

これにて完成!

どうでしょう? 荒唐無稽?

でも時間あったら3Dでも作ろうかなと思ってます。
まだ、「聚楽第にあったころの飛雲閣の内部」作ってないのですが・・・、
ムラキな3D京都です。


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梅村京一朗短歌集 さよならの問い合わせ

実は「さよならの問い合わせ」ではなかった。
「お礼の問い合わせ」だった。

つい先日、これから始めるささやかな事業の認可が下りた。嬉しくもあり、ここからが本当のスタートだと、今、心を引き締めているが、それでも不安なことがあって、直接、農林水産省の部局に電話で聞いてみる。それでも心配なので記録が残る問合せメールで改めて質問してみた。応えてくれた方は電話のときの同じ方だった。

私は今後の事業で気になる点を幾つか書いた。そんな私に担当官は丁寧に返事を下さった。官僚という立場の答える限りの言質を頂いた。いわば、お墨付きを得たかった・・・。
私はお礼のメールを返したかった。でも、問合せメールは聞きたいこと、質問したいことを書くフォーマットだ。だからお礼のメールをするのも場違い。そのまま日にちが経った。

「お礼の問い合わせ」があり得ないフォーマットならば、
「さよならの問い合わせ」はもっと意味不明な問合せだろう。と、なぜか「さよなら」の言葉が出てきた。

若き頃、好きな女性と付き合うことは常に別れを予感するものだった。なぜなら、いつ彼女から別れの言葉を切り出されるか心配だったから。それだけ私は軟弱で自信がなかった。

そして、別れた。毎週会っていたのが月二回、一回、後は疎遠へと自然消滅していった。言葉にしない別れ。それは彼女の優しさと恐れの表明だった。

歳を重ねても、男はたまに過去の彼女の事を思い出すものだ。喧嘩別れじゃなかったから、私には抒情を伴う思い出だ。懐かしい。
今、思えば、疎遠になっていった行程は、「さよならの問い合わせ」だったのだ、と今更ながら思う。

やっと見つけた。「さよならの問い合わせ」」の語法を。

強い風が吹いているけれど空はあまねく蒼天だ。台風は去った。
さぁ、人生最後のチァレンジだ。私は生きる。


★ アベリアの 茎は伸び過ぎて 剪定を 待つばかりの 花心かな


アベリア

アベリアの木はよく生垣に使われるそうだ。花期は春から秋ととても生命力のある低木らしい。
六月、いつもの湖畔の散歩道を歩いていると、生垣のアベリアの茎だけ一馬身と思えるほど空に伸びている。伸びすぎだよ、辛くないかい?とどうも気になる。生垣だから、バリカンでサットと一文字に刈ったら気持ちいいだろうなぁ、と思うのは私だけではあるまい。そうだよ。人間側だけじゃないよ。アベリアだってきっと剪定を待っている。綺麗さっぱりと気持ちよくないたいのは、人も花も一緒だよね?。と、花ごころに聞いてみたくなる。


★ 助手席に ちょこんと座る 犬の顔 気持ち良さげに 人間化してる


車と犬


なんだよ、その涼やかね眼、気持ち良さげな顔は。いい飼い主さんに出会って良かったね。「何も歩くだけが散歩じゃないよ、ドライブは楽しいよ」、そんな事思いながら外を眺めているのだろうか? 犬の心具合はわからない。でも、表情は確実に人間化している。

★ 旅支度 帰りの予約を しておいて 終わりから始まる オフロードを行く


切符

一人旅だったら帰りの切符など事前に買わない。気ままに漂泊し金が無くなったら帰る。でも、家族をともなった旅はちがう。帰りの予約もキチンとしておいて安心と安全を心がける。大切な家族だ。ただ、どこか気持ちの一辺には、片道切符の旅をしてみたい気持ちがある。気に入った場所で自由に途中下車したいから。安心という終わりから始まる家族のオンロードな旅。でも私の心の旅はオフロードだ。


★ 伸び止まる 丈き草たちよ 猛々しく 生きずなら捨てろ 夏の冠

今年の夏、とくにセイタカアワダチソウが丈高く伸びている。耕作放棄地にすぐヤドカリしてあっという間に草の樹林ができる。猛々しく夏らしい草だがどうにも好きになれない。日本の風土・風景にはとても合わない外来種だ。なのに山羊の好物?だという。どうせ生えるなら天高く生え獰猛な夏を演出しろ! そして、伸び代が止まったら夏の終わり。野草の宝冠をススキに返してくれ。と叫びたくなる。10月、アワダチソウの黄色い花たちが咲き誇っている。でも花が枯れれば、それまで隠れていたススキが表舞台に出てくる。ススキはやっぱり日本に似合ってる。たとえ荒野でも萱の穂波は美しい。アワダチソウの方は荒野をより荒野にしている。

戦国時代、なぜ馬が疾走し合戦が繰り広げられることができたのか? それは萱のおかげだ。家々の屋根はみな萱で葺かれ至る所に萱の草原が広がっていた。そこで戦われたのだ。以上は私の勝手な解釈。合戦はススキのせいではありませんからね。今は野焼きもなくセイタカアワダチソウの天下。月に薄。それはもう夢なのかな。


★ 揺れる銀杏 流れる行雲 父と娘 さざめく笑いに 賛歌を贈ろう


銀杏の樹


銀杏と、流れる雲と、父と娘のさざめく笑い。なんの脈絡もないのに心に沁みるものがあるのはなぜだろう?私が女々しいだけ?。それでもいい。親和性は思いがけずやって来る。

★ 台風一過 晴れ渡る空に 一筋の 飛行機雲が  尾を描いてゆく


飛行機雲

台風が過ぎ去った後の空は雲一つなく美しい。そんな青空を飛行機雲が尾を描いてゆく。災害に遭われた人も見ているかもしれない。一筋の希望に私は思えてならない。


★ 真宗の 坊様禿げれば 直ぐわかり 禅の坊様は 剃ってわからず 

坊主頭


戯歌を詠ってお坊様に申し訳ない。先日、親戚筋の御年忌があって出向いた。そこは浄土真宗の仏さまで、家にはご住職も見え念仏を唱えてみえた。真宗だから「南無阿弥陀仏」を七回唱えれば済むかと思ったけど、甘い考えだった。この日は大雨で寺へは行かずずっと家での読経だった。一時間も続いた。途中、うたた寝をしてしまい焦った。そんなこともあってお坊様の頭をしげしげと眺めた。ふさふさの髪で袈裟を脱いだら普通の人だ。もし禿げそうな坊様なら禅宗がいいな。
などとバカなことを思っていた。

★ 高層の ビルの庭園に 生える草 きっと種子は 人と上がるのだろう


屋上庭園


高層ビルの中階にある庭園。雨も風も降りこまない。蝶や蜂、虫も居なさそう。でも雑草は雑草だけある。どこでも逞しく生えてくる。足元を見れば埃のような土が靴に付いている。雑草の種子たちも、きっと人と一緒にエレベーターを上ったのに違いない。


★ ハッピ着る 君を見つけて 手を振れば ディーラー日和の 売れるといいね

いつも半年点検とうるさく言ってくる営業のC君。遅くまで仕事をしている。気まぐれなドライバーを相手するのは大変だと思う。けれど彼はめげず頑張っている。憎めない顔は天性の営業マンかもしれない。次に買うときまで待ってろよ! と尊敬とファイトを込め手を振っているのだよ。C君。


★ 北白川 というラーメン店のあり 京味か 濃いも薄いも ラーメン街道をゆく

ラーメン店看板

最近増えている外食店は焼肉系とラーメン店。一方でうどん・蕎麦屋さんが減っているような気がする。流行とともに嗜好も変わるということなんだけど。店員の白い長靴の汚れ具合が食欲をそそるというラーメン店の摩訶不思議なメカニズム。そんななかで「北白川」なんて上品な店名をつけて大丈夫?とつい気になる。大きなお世話かもしれないけどね。今夜もまた美味しい店を求めてラーメン街道を走る。


★ 二股の 電線に休む 二羽のカラス 追いつ追われつ 冬は恋の始まり

カラスの夫婦は一生連れ添うという。あの真っ黒な姿からは想像もできない純情だ。そのカラスたち、冬は恋と失恋の季節。


★ 駅前に 増えるマンション 知らぬ間に 相続相談の 看板のあり


駅前マンション

次々と建つ駅前のマンション。その多くが老夫婦をターゲットにしている。電車やバスで市民病院にも行ける。一回り歩いて暮らせる安心と利便な環境。でも、そこにもやはり人生の精算というものが来るのですね。

★ 雨の日の レインコートの 濡れた髪 指先で拭う あなたを見過ぎて


雨と女性

たとえレインコートで身を包んでも雨を防ぎきることはできない。だから傘も差している。
足元を雨の跳ね返りが飛ぶ横断歩道。そこを渡っている一人の女性。コートからはみ出た髪が濡れている。当たり前のことだ。でも彼女の端正な横顔はけっして雨を寄せつけない凛とした表情をしていた。
その彼女が濡れている・・・雨を防ぐのがレインコートという固定観念が崩れていく。そして髪を拭うあなたは一人の艶やかな女性に戻っていた。

★ 玄関で タバコを燻らす 坊様の 市区会館で 家族葬のあり

最近は家族葬が増えている。別にそれがご時世だよと、論評するつもりはない。生々流転の世の中だ。
ただ、お坊様が玄関で立ち話しながらタバコを吸っているのが少しシュールに見えた。


★ 眠るのが 猫の仕事と 寝顔見つ  老いた眠りと 今に気が付いて

眠り猫

果たして一日のうち、私の飼い猫がどのくらい寝ているのか計ったことなどない。ただ寝るのが日常の風景でソファーで頬を撫でてあげるとゴロゴロ喉を鳴らしている。もう飼って何年になるだろう? ふと、寝顔を見ると目ヤニの色が変わっている・・・。鈍い私にもそれが老いた眠りであることを今更ながら気が付いたのだ。


★ ポケットに しまい忘れた カスミソウ 栞代わりに 本に挟んで

花の栞

乙女のような歌だ。確かにポケットにカスミソウらしき花を入れた。入れたというより偶然入っていたという方が正しい。どうしよう?と思ったとき押し花にして栞にでも使おうかと考えた。でも実際は机の上に少し置くだけだった。苦し紛れに一つの花の物語を作っただけ。それが真相であり私の「短歌」という創作。


★ ペチャンコな ポシェットに夢を 膨らませ 少女はどこへ めがけて行くの

「少女」という言葉の響きだけで詩と感じてしまう。そしてリアルな少女が本当に小さなポシェットを翻し私の前を駆け抜けて行く。躓かないようにね。ペチャンコなポシェットには何か詰め込んで帰ってくるのだよ。どこへ目がけていくのか知らないけど信号はちゃんと守るのだよ。と少しお節介な心配をした。私にとって少女は「未来」という羨望だ。
でも私が少年だったころ、少女は少女ではなかった。


★ 電車内 寡黙の支配する 乗客の 疲れは違っても 揺れる平等


電車沈黙

この写真が深夜ならもっと雰囲気が出ていただろうなぁ。午後の通勤帰りが始まろうとしたとき、その電車内は珍しく沈黙が漂っていた。若い生徒たちもいなかったからね。乗客の表情と肩は人それぞれだった。寝ている顔、疲れた顔、ボッーとしている顔、幸せそうな顔。様々だ。ただ、左右に揺れる電車に合わせて頭だけは平等に揺れている。

★ 換気口 侵入者を見れば アシダカグモ その大きさに 今夜は眠れない

アシダガグモは本当に大きい。しかも突然目の前の壁や床に現れるから始末におけない。突然のビックリ度ではムカデより強烈かも。

★ 剥がそうと したけどやめた 亡き犬の 文字も薄れた 注射済証

        (2017-11-17訂正 壁の検査証→注射済証)

注射済シール

もう死んでから2年経つだろうか。実家に戻り家を建て替えたとき、最初の狂犬予防注射の検査済証だった。
犬の思い出はいつまでも残してはいけないと思う。それが人間は人間であり、動物は動物であることの自然界の掟だ。だから検査済証を剥がそうとした。でも躊躇する内、雨が降り出した。濡れた紙を剥がすのはかわいそうだ。そう思うと犬を思い出してしまう。


★ 咳したら スリーブモードの 目が覚めて 画面に一瞬 狐憑きのつく

最近のパソコンは繊細だ。うたた寝し咳しただけで眠りから目覚めてしまった。あわてて画面を見ると白いぼやっとしたものが一瞬現れる。尻尾?狐に憑れのだろうか?

★ スリットガラスに 鳩の置物 見送りて ただそれだけで 謳われる日のあり

何でもないのに、目の前の無造作に重なった配列に感動し涙ぐむときがある。在るべき所にあり、無いところには無い、その存在と形が何かの拍子で崩れ、入れ替わった時、小さな産声が聞こえる。ゴッホの向日葵の絵のように、あるいは糸杉を回る日輪のような化合が私の魂をゆすぶる。 

★ サングラス 外しても変わらない 等質な 日の暮れ方を 独り眺める 

そんな一日の光と影の領域がブレンドされる刻がある。決まって風は止み、遠近のなくなった地平線を私はテレポートするのだ。


★ 犬のふん 乾いてカラコロ 風に乗り 擦れてはこすれ 小さくなってゆく

流石に手の平にはのせられない。それはウンチはウンチだからと思うからなんだけど。
でも、乾いてカラカラと風に回され、それこそモグラの穴に落っこちてしまうのではと、その軽さにふと思う。
空を舞っているのが花粉なら、地の肥やしとなって転がっているのが犬のふん。
ある日、散歩していたら消えていた。


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山陰の旅 萩、秋吉台、山口編

旅も四日目、ついに維新回天の地・萩に到着しました。ここも是非一度訪ねたいと思っていた所です。いつか行ってみたいと思っていたら歳月ばかりが流れてしまった・・・そんな距離感を感じさせる観光地の一つだと思いましたね。地理的にも不利かな。市街自体には前日の午後には着いてました。

萩の第一印象は、日本海の内湾に面した自然豊かで穏やかでのんびりした地方都市。ここが維新胎動の長州藩の地、吉田松陰や高杉晋作、木戸幸一、伊藤博文など幕末を代表する志士たちを輩出した土地とはとても思えないほど、幹線から外れた、はっきり言って「外れ感」のある小都市でした。だからと言って期待外れとかそうではなく、いい意味で城下町の風情を濃く残す街並みに魅了されました。この街はレンタサイクルにでも乗って市中をのんびり漕ぎ歴史に触れる、そんな滞在型の観光地であり、旅するバックパッカーたちにとっても一時のたまり場に最適? そんな国内的にも珍しい土地だと思いましたね。。

萩の菊が浜の澄んだ美しい海岸線を眺めていると、かつて、ここで英国と下関戦争が行われ、砲艦が飛び交った? 尊王攘夷を主導し京都の政局を握った? 長州征伐をめぐって藩内で主戦派と恭順派が血みどろの粛清が行われた?。 それら歴史上の出来事がまるで嘘のように感じられます。

元々、毛利藩は関ヶ原の戦いで負けたこともあって藩庁を日本海側という辺鄙な萩に置きました。幕府への遠慮もありました。それが幕末動乱を迎えると萩では藩をまとめることはできず山陽側の山口へ移転。その結果、萩は維新、明治以後の本流からは外れた都市になりました。まぁ、それゆえ、今も城下町の雰囲気をよく残している訳ですが。また同藩は関ヶ原で負けたこともあって領地が120万石から一気に四分の一の30万石に減らされました。しかし家臣団はリストラせずそのまま多くを抱えました。

そんな背景もあって、萩藩の大身の家臣たちの武家屋敷が並んだ堀内地区(旧萩城三の丸)も、萩では城下町の雰囲気を一番残していると言われますが、家老の長屋門や物見矢倉、長州独自の土塀も冬の日本海の風雪にさらされてきた面もあって所々塀は崩れ門も傷んでいて、大藩の割に地味で華やかさはありません。どこか退嬰の儚さがあります。多くの家臣を抱えて質素倹約に励まざるを得なかったのでしょう。また幕末に藩庁が山口に移され多くの藩士も移住、建物も移築されたことも、萩の寂れていった大きな主因でもありました。もう一つの菩提寺・天樹院は明治になって廃寺の憂き目にあってしまいました。

どこまで本当かわかりませんが、長州藩では正月の年賀のとき、家老が「今年は倒幕の機はいかに」と藩主に伺いを立てると、藩主は「時期尚早」と答えるのが習わしだったという、流説を聞いてますが、実際、萩に来てみると、「そう言いたくなる気分」は肌身に感じますね。だから藩士たちの鬱屈した気持ちが幕末一気に「志士」として吹き出たのでしょうね。

萩市域に入り最初に訪れたのは市郊外にある東光寺。藩主・毛利家の菩提寺でここは珍しく黄檗宗の寺であり、地方寺院には少ない立派な大雄宝殿や三門等の重要文化財も残りぜひ拝観したいと思っていました。境内へ入ると、意外に雑草に覆われ所々蜘蛛の巣や建物の傷みも散見され、「ここ、ひょっとして住職さん無住の寺?」と訝しむほど境内はちゃんと管理されていない雰囲気でした。市の予算が足りずここまで手が届かないのかな・・・?。(写真はクリックすると拡大します)



東光寺大雄宝殿
ちょっと荒れ気味の東光寺大雄宝殿



毛利家墓所
毛利家歴代墓所


幕末、藩庁が山口に移されたことも遠因でしょうね。明治になって廃仏毀釈の嵐のなか、薩摩藩など藩主の菩提寺さえ消滅してしまいましたが、まだこちらは残っているだけマシかな、とも思いましたね。

で、次に松陰神社を参拝しました。あの有名な松下村塾も見学しその小さくて質素な建物に驚きましたが、境内全体の雰囲気は東光寺とは打って変わって立派に整備され観光客も多く賑わっていました。やはり萩は殿様でなく松陰たち志士が主役の土地なんですね。

松下村塾
松下村塾
松下村塾内部
松下村塾内部



後、いろいろ史跡が多すぎて回りきれず木戸孝允旧宅や高杉晋作誕生地は割愛しました。そのなかで屋敷全体が揃って残っている豪商の「菊屋家」は尋ねました。自分も建築が好きですからね。ここもやはり商家関連の民俗資料や生活全般の当時の什器や道具、家具調度品や美術品がガラスケースの奥に展示されているのでなく、当時、どのように使われていたのかがわかるよう部屋毎に置かれていました。リアル感ある見学でしたね。

菊屋庭園
菊屋庭園
菊屋室内
菊屋家室内
菊屋の蘇鉄
菊屋家の蘇鉄

日本庭園に蘇鉄が植えられるようになったのは室町時代の将軍・足利義政のころからと言われています。桂離宮にも蘇鉄が散見されますが、どうも当時の上流階級にとって南洋を思わせるエキゾチックさが気ごころを誘ったみたいですね。ちなみに蘇鉄を植えると縁起が悪いといいますがどうなんでしょう?菊屋さんの蘇鉄はとても立派ですね。ここまで育つのに何年かかったんだろう?


萩市街には武家屋敷の跡をとどめる塀や門は多く残っていますが、実際に住んでいた居住区、母屋の残っている屋敷は少ないです。とくに家老などの重臣屋敷については皆無に近いレベルです。


萩の土塀
萩の武家屋敷町の土塀




ですから宿泊先のホテルも含まれる堀内地区(旧萩城三の丸)の鍵の手道を自転車であてもなく巡り、土塀や門、生垣や果樹、花を眺めて風情に浸りました。なかでも口羽家の長屋門や長さが51.5mもある旧厚狭毛利家萩屋敷長屋、旧福原家萩屋敷門など見ました。

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

萩城模型
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋の室内になぜか萩城の模型がありました。




復元された萩城総門
復元された萩城総門


さぁ、萩の歴史の中心.萩城跡を見学。ここは天守閣や櫓も残らず石垣だけの城(最近、総門だど復元)。物足りといえば物足りないのですが、ここは観光客も少なく緑豊かな城内には庭園跡や茶亭、堀沿いの道を自転車で散策するのはとても気持ち良かったですね。城内の石垣を左に折れ右に折れ進むと、二の丸東側の潮入門跡を出ると突然、萩の海が目に飛び込んできて、この開放感!素晴らしいものでした。岸に寄ると海の水はとても澄んでいて感動しましたね。全国、城多しといえども、こんなに城近く澄んだ海岸が接している城はここ萩城だけでしょうね(沖縄のグスクはあるかも)。ここの小浜、砂浜を仕切る石垣には一部銃眼のある塀が復元されていて、大河ドラマの「花燃ゆ」のロケ地にもなりました。ここはおススメです。


萩城跡
萩城天守台跡



萩城東園御茶屋庭園跡
萩城東園御茶屋庭園跡
萩城小浜の海
萩城潮入門跡をでると小浜の海が見えます。水が透き通っています。
萩城小浜
萩城小浜の銃眼付塀。ここは「花燃ゆ」のロケにも使われました。


城内の旧本丸跡には歴代藩主を祀る志都岐山神社が鎮座していて、そのすぐそばに「福原家書院」が旧地の三の丸から移築され残っています。福原家は代々家老を務め家禄1万1千石の大身の身分でした、万石を超える家老の屋敷また書院等の居住部が残っているのはたいへん珍しく貴重です。ところが、実際に見た書院は古ぼけていて数年後には朽ち果ててしまうのではないか・・・? と心配になるほど(ホントかなり心配)手入れされてません。江戸時代の寺の書院などくさるほど(言い方すみません)ありますが、武家屋敷、しかも万石クラスの武家書院は建築史的にもとても貴重であり早急に修理してほしいです。


福原家書院
今にも崩れ落ちそうな福原家書院


後、萩焼の工房も訪ねマッグカップとか買いました。萩焼は素朴な感じがいいですね。でも歪み度は全国一かも?

さて、ここまで書いて気付くのは、私の旅日記には食べ物が出てこない・・・。正直、グルメではなく会社役員をしていたとき、接待やお付き合いでそれなりにいろんな食を体験したのでもう思い残すことはない。ただご飯とみそ汁だけでいいような気分です。元々、学生のときに二週間ほど断食修行したこともあるほど、いかに食べ物の欲から解放されるか・・・と、今から思えばバカなこと考えていたなぁ、と振り返ってます。肉も好きではなかったのですが今は家族から説得され食べるようになりました。ですからブログに食べ物が出てきません。もっとも当ブログにそんなこと期待してる方は皆無に近いと思いますけどね 笑う。

ただ、ここ数年はゼリーにはまってます。とにかく大好きでスーパーでまとめ買いしたりするんですけど、毎回、レジで精算するとき恥ずかしいです。しかもマンゴ味ばかりですから。とくに若い女性の前では。何となくゼリーは女性の食べるもの、みたいな感覚があるからなんですが、「おまえが勝手に恥ずかしがってるだけでレジの女性などな~にも思ってないよ」というのが真実だとは思いますけど。自意識過剰かな。これから冬、店頭にゼリーが無くなっていく季節です。買いためておかなければ、と熊みたいなこと考えてます。

閑話休題。

萩を後に秋吉台へ向かいます。四国カルストは見たことはありますがここは初めてなので期待してました。秋吉台は秋芳洞の方が人気があるのかもしれませんが、鍾乳洞は以前、中国東北部の遼寧省(吉林省かも)にある巨大な洞窟を舟にのって進み天井からは滴がどんどん落ちてきてびしょ濡れになる、という経験をしたので、今回はパス。広大なカルスト台地がお目当てでした。

で、いよいよ山道を車で上り台地の入り口に到達したとき、もう感動しましたね。うねるような広大な大地にカルストの無数の矛がそそり立っている。これは完全に信州の霧ケ峰や美ヶ原を越えていると思いましたね。すぐそば秋吉台カルスト展望台があってここからの景色も素晴らしい。でも実は展望台を後にルート242号線を走る先々にもっと素晴らしい景色が見渡せましたが残念ながら途中停まれる駐車スペースがなかったのであっと言う間に景色が過ぎ去ってしまいました。残念。


秋吉台
秋吉台


でも、ほんの数分でも感動できたので今回はそれでよし、として、最後、山口市へとひたすら走る。

瑠璃光寺の五重塔は背後にこそ高い杉・檜に囲まれていましたが正面はないのでよく見えました。写真でみるとおりプロポーションもいい品のある素晴らしい塔でした。近くで見ると軒、柱と屋根を支える組ものの斗栱の構造もかなりシンプルで派手さはないですけど、それを補って余りあるほど、美しい塔身です。あぁ、見学できてよかった!。


瑠璃光寺五重塔
瑠璃光寺五重塔
瑠璃光寺五重塔アップ
瑠璃光寺五重塔の軸組。



で、もう新山口駅へ行ってレンタカーを返し新幹線に乗るだけ。
窓外に見る山口の市街はなんか品があるんですよね。かつては戦国大名の大内氏の拠点で小京都と言われた名残が今もそこはかとなく残っているんでしょうね。

それから山陽新幹線をひたすら東上、沿線ぞいの都市や住宅地はけっこう平地が少ないため山の方まで家が建て込んでいますが、不思議とそれが見ていて違和感がない。逆に高台を活かした造形的な面白さが感じられました。一つ一つはバラバラなのに、たとえば坂の町、尾道のように全体としてみるといい。美しいというよりも、街並みが山の形状に沿っているから結果的に統一感のある都市に見える。また山陽の個々の家もセンスの良さを感じたこともプラスしてるかも。この雰囲気は神戸まで続き、中国地方のハイカラさんはここでお仕舞です。

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2017年5月8日更新

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